峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

旗を掲げろ

2016年05月20日 | 佐々町町内会連合会長

このところ、全くやる気が湧いてこない。
塾生に向き合うことや家族に関わることなど私的なものについては相変わらず面白いだけで充実している。ただ、地域の町内会長とか町の連合会会長として私なりに抱き続けてきたつもりの情熱みたいなものが急速に冷めているのだ。こんな自治体なら佐世保市と合併した方がましだなどという思いが浮かんでくるほどだ。

たまっていた事務的な仕事をまとめて仕上げ、午後、提出する書類等を携え役場へ出向いた。いつものように1階の保険環境課に寄り、用事を済ませ2階総務課へ行く。用事を済ませた後、参事と係長と、とにかく、このままではこの町はダメになってしまうという危機感を共有して2時間ほどあれこれ話をした。
最後に、仕事が出来、信望の厚いK係長に、あなたが中心となって業務改善を進めろと激を飛ばした。だれか志のある職員が核となって旗を掲げなければ何も始まらない。何も変わらない。

何とかしなければという危機感を持って私の話を聞いてくれる職員の方がいる以上、諦めないでいよう。

 

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タイトル奪取ならず

2016年05月19日 | 将棋

我らが由紀ちゃんこと、室谷由紀女流二段が加藤桃子女王に挑戦していた第9期マイナビ女子オープン五番勝負第4局が昨日、東京渋谷の「将棋会館」で行われ、93手目で室谷由紀女流二段が投了、これで室谷由紀女流二段の1勝3敗となり残念ながらタイトル奪取はならなかった。

シリーズを通して室谷女流二段の方が指しやすかったようで、特に序盤は室谷女流二段の研究が功を奏していたことは加藤女王も認めているところ、今後の課題は終盤力だろう。室谷女流二段自身そう語っている。

それはともかく、室谷女流二段にとって初めてのタイトル挑戦は貴重な経験となって今後に生きてくることだろう。
女流棋界で今、最も旬で勢いのある女流棋士・室谷女流二段の益々の活躍が楽しみだ。

がんばれ、由紀ちゃん !!

 

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打開するには

2016年05月18日 | 佐々町町内会連合会長

昨日午後2時から江迎警察署にて開かれた「江迎地区暴力追放運動推進協議会」の理事会に出席した。
特に、マンネリ化している事業について意見交換した。

ところで、警察に関係する組織にもう1つ「江迎地区防犯協会連合会」というのがある。理事会で、これといった議題も用意されていなかったので、これら組織の2つある必要性について言及した。

というのも、両組織の主な役員構成は、佐世保市の旧北松浦郡5町の地区町内連合会会長と浅子町内連合会会長、それに佐々町町内会長連絡協議会会長と佐世保市旧北松浦郡5町の支所長、並びに佐々町総務課長、そして、江迎警察署署長と刑事生活安全課長からなる。つまり、全くダブっているのだ。

理事会、総会ともそれぞれ別に行っているが、「暴力追放」と「防犯」への意識、取り組みについて、自治会・町内会は同様なのものとして捉えている。わざわざ区別する意義を感じていない。


自治体に関するところの「町内会長連絡協議会」と「保健環境自治連合会」が2つあるのと同種の問題だ。典型的な縦割り行政の弊害の1つだ。その例を挙げながら、統合すべきではないかと問題提起した。

事の始まりは警察の担当部署の違いによるところからなのだろうし、一緒にした方がよいと私たちも思うと刑事生活安全課長は率直に応じてくださった。ただし、変えるのは難しいとこれまた率直にお話しいただいた。いわゆるお役所的体質は、やっかいだ。
とにかく、機会を捉えて県警の方にその旨、問題提起をしていただきたいとお願いするしかなかった。

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友と飲む

2016年05月17日 | 暮らし

昨日は、中学校の体育大会の振り替え休業日だったので午前中に塾を開く。

女房どのが佐々バスセンター発、午前11時過ぎの高速バスで糸葉さんの待つ福岡へ発った。

午後1時過ぎ、役場・産業経済課課長と企画財政課係長の2名が来訪、3時間ほど多岐に渡って意見交換する。

午後6時前、町内会連合会の副会長の1人を務めてもらっている高校時代からの親友である藤田くんが迎えに来てくれて八助寿司へ。もうお一方交え3人で町のあれこれについて意見交換する。

その後、珍しく藤田くんの方から「もう一軒」の声がかかり、午前様になる直前まで2人で飲んだ。

 

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地域での役割分担を共に考えよう

2016年05月15日 | 民生児童委員

降雨が心配されたが、予定通り午前9時から佐々中学校の体育大会が開かれた。

例年、民生児童委員は体育大会にお招きいただき、テント席から生徒たちの競走や演技に拍手を送っている。
今年はそれに加え、平成29年に民生委員制度が創設100周年を迎えるに際し作成されたリーフレットを、午前8時半に集合し、開会式の前に応援席の保護者の皆さんにお配りした。
いい機会だから、民生委員・児童委員の活動を少しでも知っていただこうと先の町の民生児童委員協議会で話し合って決めた。

ところで、全国的に民生児童委員の数が不足している。今年、3年に1度の一斉改選が行われるが、3月の町内会長改選の時と同様、私と交代して引き受けてくださる方がいらっしゃるかどうか危惧している。
それはさておき、そもそも、役割は分担して受け持つ方が望ましいに決まっている。それが、私は民生児童委員と町内会長を11年に渡り兼任している。町内会にとって望ましくないことおびただしい。よくも、こんな状態が10年以上も続いたなと我ながらあきれる。このような状態を放置し、ズルズルお引き受けしてきた私の責任は大きい。

ただし、私の暮らす町内会だけではない。佐々町32町内会中、5町内会が町内会長と民生児童委員を兼任している。
そこに暮らす、みんなで考えなければならない問題だ。

 

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女房どの

2016年05月14日 | 夫婦

金曜日の午後、女房どのが帰って来た。

向こうにいる時の女房どのは、朝早く起きて和也くんの弁当を作ることから始まり、赤ちゃんの世話を焼き、掃除、洗濯をし、買い物に走り、昼食・夕食を作りと八面六臂の働きをして若い夫婦を支えている。母親とは実に有難い存在だ。

こちらに戻っても、朝食の用意から始まり、洗濯、掃除、買い物、昼食・夕食作り、その他と私を支えてくれている。妻とは実に有難い存在だ。

当たり前のようだが、これは決して当たり前のことではない。だから、感謝と敬意を込めて私は彼女のことを女房どのと記す。

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民生児童委員一斉改選

2016年05月13日 | 民生児童委員

様々な福祉課題が山積する中、地域の人たちそれぞれの立場に添う地域福祉活動の担い手として、民生児童委員に寄せられる期待は高まっている。

民生委員は、民生委員法に基づき厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員である。また、民生委員は児童福祉法に定める児童委員を兼ねている。給与の支給はなく、ボランティアとして活動しており、任期は3年となっている(再任は可)。折しも今年12月1日付で、その3年に1度の一斉改選が行われる。

全国民生委員児童委員連合会の資料によると、民生委員制度は大正6年に岡山県で発足した「済世顧問制度」に始まる。翌年には大阪府で「方面委員制度」が発足し、昭和3年には方面委員制度が全国に普及した。
発足当初は、経済的生活困窮者に対する援護活動を中心に活動を展開していたが、昭和21年の民生委員令公布により、名称が方面委員から民生委員に改まり、救貧活動だけではなく、地域の福祉増進のために幅広い活動を行うことになった。
その民生委員制度が来年・平成29年に「済世顧問制度」から数え、制度創設100年の大きな節目を迎える。

私が最初に民生児童委員の委嘱を受けたのが2001年12月1日のことだ。当時の町内会長の植杉さんにお声をかけていただいたのが事の始まりとなった。
結婚を機に佐々町に移り住み、当町内会に居を構えてからも間もない頃で、もちろん知り合いもなく、町内会のお付き合いは女房どの任せで、どこにどなたが住んでおられるのかなど全く分からない状態であり、まさかそんな私にそのような役割が回ってこようなど思ってもいなかった。
そもそも「民生児童委員」がどんな働きをするのかさえも知らず、母親に電話して相談したものだ。

その時、母親はこういって励ましてくれた。
民生児童委員というものは、自らなろうと思ってなれるものではない。人様からお声をかけていただいて始めて出来る役割だ。喜んでお引き受けしなさい。母のその言葉で腹が決まった。

早いもので、それから15年経とうとしている。
私がいくらかなりと人間として成長できているとすれば、それは、民生児童委員や町内会長という役割を務めさせていただいたからに他ならない。
その後、植杉さんに、何故、私のような者にお声をかけられたのですかと訊ねたことがある。なんとお答えなされたか忘れてしまったが、今でも率直に不思議に思う。後に、町内会長役も植杉さんにお声をかけていただくこととなった。植杉さんでなければ、決して私のような者に声がかかることはなかったと心底思う。

植杉さんと母がいて、今の私が在る。
そうして、この大きな節目の年に私の民生委員・児童委員としての役割を終えさせていただこうと考えている。

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もうすぐ民生委員制度創設100周年

2016年05月12日 | 民生児童委員

昨日午後1時半から3時過ぎまで佐々町民生児童委員協議会の定例会に出席した。

経済的困窮、あるいは社会的孤立状態にあるいわゆる生活困窮者(世帯)の増加や、深刻化する子供の貧困、児童虐待、また高齢者に関わる認知症対策、悪質商法被害防止等々、今日的な福祉課題は多様化すると共に複合化して私たちの社会に暗い影を落としている。

これら新たに浮き上がってきた問題に対し、政府は昨年4月より「生活困窮者自立支援制度」や「子供・子育て支援新制度」を施行するなどその対応に追われているが、いかんせん対策は後手後手であり、不十分である。

また、その運用に当たる自治体・社会福祉協議会も、支援を必要としている人たちが見えにくい(隠れている)という特殊な状況下、これまでのように窓口で待っていればそれで事足りる話ではなく、むしろ、多くの場合はこちら側から直接、彼らの元に出かけ、彼らの生活の質の向上を図るための総体的な支援が求められるだろう中、その在り方を手探りしているというのが現状のように思われる。
人的資源は十分なのかといった問題を始め、課題は山積している。

と、ここまで書いたところで錦織選手の試合が気になる。続きは明日以降に…。

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組織を機能させるには

2016年05月11日 | 佐々町町内会連合会長

昨日、午後2時半から5時位まで町の観光協会の理事会に出席した。
この日の理事会は、28年度の佐々町観光協会の方向性を決める重要な会議だった。しかし、全理事11名中、出席者は会長と副会長を含む5名、前回の理事会の出席者も同様だった。
観光協会が機能していない。理事会への出席者が過半数に満たない。これがそのことを如実に物語っている。実際、27年度も事業らしい事業を行っていない。

これまで何年もかけて観光協会の在り方を議論してきた。昨年度は外部から専門家を招き検討委員会を設け、議論を重ね「長期ビジョン」まで策定した。それなのにこの有り様だ。
観光協会の事務局を担当しているのが町の産業経済課と町商工会事務局だ。この日の会議の司会・進行、さらには28年度の事業方針についての説明他、すべてを事務局が行った。

「事務局」任せにしていては何も変わらない。会長がリーダーシップを発揮すべきだ。一貫して私はそう主張しているのだが、みなさんの賛同を得ることはできない。それどころか、会長ばかりに責任を押し付けてはならないと噛み合わない議論になってしまう始末だ。そもそも「事務局」って、事務を取り扱うのが役割であり、事業の方針を決めるところではないはずだ。

結局、事務局が提案している事業方針を受け入れるか否か、会長始め、理事1人ひとりが尋ねられることになった。だが、国の交付金を使う事業であり、出席者が過半数に満たない理事会でそれを決定するのは問題があるとの意見が出され、最終的には日程の調整をした後、再度、理事会を開くこととし、この日の会議を終えた。

元々、町観光協会は「イチゴ祭り」からの出発だった。とっくの昔にその役割は終わっている。だったら、いったん解散してはどうか。そうも発言している。

町の公民館連絡協議会は、かつて、そこから再生した。

コメント (2)
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大切な人

2016年05月10日 | 夫婦

第一子が誕生したばかりの有紀さんと和也くん夫婦をサポートするため、当分の間、月曜から金曜まで女房どのが福岡まで出向くことになった。という訳で、昨日から私の平日の一人暮らしが始まっている。

実際そうなるまでは、全く問題ないと高を括っていたのだが、いざそうなってみて相当に応えている。
よく考えてみると無理もない。女房どのとは何十年もの間、暮らしを共にしてきた。妻であり、恋人であり、家族であり、戦友である。特に、3年前に彼女が早期退職してからというもの、いつも私の傍に居て3度3度の食事の世話から一切合切を面倒見てくれている。

戦争を経験して初めて平和の有難さがわかると言われるが、人は失ってみないことには本当に大切なものに気が付かないのかもしれない。

3番目の天使のおかげで、私にとっての大切な人の存在を痛切に思い知らされている。

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