如月。響きのいい月名だ。如月の初めから体調を崩し、1日中横になっていた。まだ、ふらふらしている。疲れが一気に出たのだろう。耐えることの多かった12月、1月だった。近しい関係ほど耐えることは多かった。「耐える」とは自分と異なる相手の部分を受け入れていくことだろう。違って当然なのだが、どうも自分の考えややり方とは違う、そう思うことは多い。でも、それは相手の価値観、私の価値観があるということは当然相手の価値観から見れば私の方が受け入れ難いことなのかもしれない。むしろ、相手はそんなことも考えずに、すいすい生きているのかもしれない。自分のなかで、そういうことを受け入れて相手を排除していかない、そういいことを今は学んでいる気がする。人にはいろいろな部分があってつまらぬこだわりで相手を遠ざけてはいけない と思うようになった。遅すぎる気付きである。
「ゆたかさ」とはなにかを有することではなく、どれだけ受け入れていけるか ということのように思った。抱えこめる懐の大きさなのだろう。
「ゆたかさ」とはなにかを有することではなく、どれだけ受け入れていけるか ということのように思った。抱えこめる懐の大きさなのだろう。