「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」 この時期になると思いだす和歌です。「な・そ」が禁止の係り結び などと色気のないことを学んだものです。植物は季節を忘れない。
認知症の母をみていると、記憶がいかに学習に(知識に)なくてはならないか ということを感じます。人がいない時には「ガスを使わない」ということをケアマネさんが散々説明して、注意事項として母に紙に書いてもらい(3枚)台所に貼りました。その30分後、私が買いものに出たすきに、私のやりかけのママレードを煮ていました。いけないと思いながらも、さすがに声を荒らげました。その紙を何故書いたのかも、自分がガスを使ってはいけないともわからなくなり、一時は落ち込んで泣いていてのですが、夕食を食べ終わるとその紙を剥がしだしました。5分と維持できない記憶では「学習」ができないのですね。記憶がないということがどんなことなのか、それはただその瞬間を生きているだけで、何も残らない・・・・。今の会話も3分も経てば何も残らない・・・。切ない限りです。でも、どうも感情だけは残るらしい。帰る時はさびしそうになる。それがまた、切ない。
腰が痛むのでグリーン車で帰ました。このまま旅に出たくなりました。
認知症の母をみていると、記憶がいかに学習に(知識に)なくてはならないか ということを感じます。人がいない時には「ガスを使わない」ということをケアマネさんが散々説明して、注意事項として母に紙に書いてもらい(3枚)台所に貼りました。その30分後、私が買いものに出たすきに、私のやりかけのママレードを煮ていました。いけないと思いながらも、さすがに声を荒らげました。その紙を何故書いたのかも、自分がガスを使ってはいけないともわからなくなり、一時は落ち込んで泣いていてのですが、夕食を食べ終わるとその紙を剥がしだしました。5分と維持できない記憶では「学習」ができないのですね。記憶がないということがどんなことなのか、それはただその瞬間を生きているだけで、何も残らない・・・・。今の会話も3分も経てば何も残らない・・・。切ない限りです。でも、どうも感情だけは残るらしい。帰る時はさびしそうになる。それがまた、切ない。
腰が痛むのでグリーン車で帰ました。このまま旅に出たくなりました。