今日は久しぶりに(最近久しぶりが多いです)イグナチオ教会のごミサに授かりました。なかなか彦根教会のごミサには出かけられません。神父さまのお話は、相手と向かい合うときに、「相手の短所と自分の長所」で向かい合うのではなく、その逆で、『謙虚』でなくてはなりませんでした。なにか傲慢になっていた私を呼んでくださったようでした。
父の日なのですが、どうも父には何もしてあげられません。父の好きなものは・・・?そんな感じで、コーヒーは好きだったので、お友だちの手焙煎のコーヒーを点てました。父は贅沢も言わずに、母の作ったものを黙って食べていました。それでも、結婚しているときに遊びに来ると、元夫とおいしそうにうな重を食べていました。戦争中は肋膜を患い、弟は軍隊で自死し、そして、失意で起き上がれない祖母のために、おそらく結婚したのではないかと思うのです。父の青春は、その前にすべて終わっていた感じです。原文で明治時代の文学を読み、西条八十に師事し、そして、たくさんのクラッシック音楽を聞いていた父は、全部封印して母と結婚したのかもしれません。母は若くて美人でしたから・・・。
私は父の遅い子供でしたので、甘やかされて育ったと思います。ただ、私にはあまり父の思い出はないのです。写真を見る限り、日曜日には上野の山や千葉方面や井之頭公園などに連れて行ってくれたようです。高校進学やら引っ越しやらも、父とはほとんど相談もなく過ぎました。というのか、家族の対話というのがなかった気がします。
私は兄と父親コンプレックスになったのでしょう。お兄ちゃんが欲しかった、頼りになる父親がほしかった、で生きてきてしまいました。でも、父にとっては、弟の自死があまりにも大きな痛手だったのではないかと思うのです。二人が山で仲間とバカ騒ぎをしている写真がたくさんありました。
今度は父の日には、父に「うな重」をご馳走しないといけませんね。