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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ひまわり

2015-07-15 15:30:06 | 日記
 梅雨の合間なのか?猛暑だと言う。幸い、我が家は風通しがよく、暑くてどうにもならないということはない。外に出て青い空を見ると、ひまわりが似あいそうな夏の空だ。ひまわり畑に行きたいと思った。もう二十年以上前になるのだろうか、もと夫と映画「ひまわり」を見たのは。よく二人は映画を見た。ビデオで見ることもあったし、小さなシネマで見ることもあった。私の映画ライブラリーはもと夫が教えてくれたものが多い。「ひまわり」もそのライブラリーにある映画だ。今,思うとこの映画は男と女の本質や愛情と言うものを深く描いているように思う。現実を生きるための愛情もある。それは必要不可欠のように思う。でも、そうでない愛情もあるような気がする。それが愛の本質かもしれないと思う。もと夫と私は現実を生きるには純粋すぎたのかもしれない。


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モカの死

2015-07-09 22:44:51 | 日記
 モカは近所のお米屋さんの犬でした。ミニチュアダックの雄。いつもおばあちゃんとお店番でした。といってもお米屋さんの商いはあまりなく、近くの農家の野菜の直売や宅急便の受け付けなどが主な商いでした。いつもお店に行くとモカをかまっておばあちゃんと世間話でした。ですからいつも時間に余裕がある時に出かけました。モカは帰ろうとすると鳴いて怒ります。そんなモカが急に亡くなったと聞きました。まだ5歳でした。急に具合が悪くなり、病院に行って手術をしても手遅れだったとか。おばあちゃんが涙ながらに話すので詳しくは聞けませんでした。モカは人気者で午前中は隣にある高齢者向けのヘルストロンという機械を使う治療所のおじいちゃんやおばあちゃんにかわいがられていました。午後には疲れたのかおばあちゃんの横でスースー寝ていたと言います。サービス精神旺盛のモカはみんなに可愛がられた分、ストレスもあったのではにないかと おばあちゃんは言います。家に戻って、「モカはもういないのだ」と思うとしばらく何も手につきませんでした。2週間に1回くらいしか遊ばなかったモカの死にこんなにさびしい思いをするなんて・・・・。モカのお墓はお庭にあるそうです。今度お花を持ってモカに会いに行こうと思います。

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なでしこ

2015-07-08 23:00:27 | 日記
 女子W杯も終了。アメリカの圧倒的な強さ。アメリカも日本もイギリスも選手の起用といい、試合後のコメントといい、男子と違い心があるような気がする。うまく言えないが、余裕と言うのか本来のスポーツの意味を理解していると言うのか、ビジネス化してないというのか、人間味を感じる。「なでしこ」の花言葉を教えてくださったのは、岡野俊一郎氏だった。「純愛・純粋な愛・無邪気」とか。いつまでも「なでしこ」でいてほしいと思う。印象に残ったのは、日本戦でイギリスのオーンゴールで号泣したDFバセットの真っ赤なマニキア。そして、監督の「泣きたいだけ泣いていい・・」という言葉。やはり「なでしこ」だ。

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祭りのあと

2015-07-05 21:47:51 | 日記
 平塚の七夕祭りが終わった。街にはたくさんのゴミと油臭さだけが残る。静かな日常がやってくる。年々、浴衣がけの若い子が増えている。流行りなのか派手な髪飾りをつけている。京都の祇園祭の頃の情緒はどこにもない。着物の着方も京都は若い子でもきちんとしている。文化の違いなのだろう。祭りは非日常。そこにはなにか日常にない期待がある。着物を着た若いカップルが歩いている。この日を楽しみにしていたのだろうな と思う。いや、若者だけではないのかもしれない。ふと触れた指が非日常の世界へ連れて行ってくれる。突然の雨が非日常へ連れて行ってくれる。お祭りは大好きだった。本当は今も好きなのかもしれない。非日常のなかで逢いたい人がいるのだろう。

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海に架かる虹

2015-07-01 23:35:53 | 日記
 夕方、熱海へ向う東海道線から幻のような大きな虹が海に架かっていた。あんな大きな虹を見たのは初めてだ。美しかった。わずか3分くらいの出来事。隣の駅に着くころには虹は雲の中に消えていた。今、交通事故の後遺症の治療を受けているが、「治してあげよう」という気持ちが肉体を通じて伝わってくる。体がどんどん回復してくる。「幸せにしてあげたい」と思う気持ちに私は気付かずにきたように思えた。忙しく働き詰めだった私を別れた夫はなんとか楽にさせたかった、歪んでしまった心をまっすぐにしてあげたかった、そんなことを思っていたと 話した。私は自信がなくて、そんな気持ちを受け取ることなく、頑張り続けた。いつもいつも私は自信がなかったのだろう。自分の頑固さも自信のなさも、肉体が回復することで気がつくとは・・・。日々回復する体に大きな虹がかかり始めたようだ。

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