のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

むしろ、大人のほうが難しいかもしれない

2010年10月10日 09時08分10秒 | 日常生活
高校時代の友人とランチ&お茶タイムを楽しみました。
いつもは会った瞬間に、気持ちは高校時代を遡り
近況報告をしつつもテンション高く笑って過ごすことが多いのですが
秋という季節のなせる業なのか、昨日はしっとり落ち着きモード。
お互いの仕事の悩みを語り合いました。

あ。語り「合って」はいません。
アタシは悩みを抱えるほど真面目に仕事に取り組んではおりませぬゆえ。

しかしながら、友人の悩みや考えは、
私が最近の教会生活や人との係わり合いの中で抱いていた思いと
重なり合うところが多く、思わず「そうか!そういうことだったのか!」
と膝を打って納得しました。
私にとって「納得する」ということは
「心の中でもやもやしていたことがきちんと形どられること」
「言葉で説明できるようになること」なんだということ
そして、そういうふうにもやもやしたものを正確に捉えられると、
それだけで、問題が解決していなくても
随分すっきりするものなんだな、ということを体感できた時間でした。

中でも友人がぽつりと呟いた
「大人でも難しいけど
 子どもは特に『嬉しい』と『楽しい』、『悲しい』と『怒っている』を
 ごっちゃにしてしまうんよ。
 そこがごっちゃになってわけわからんくなったり
 喧嘩してしまったりすることが多いと。」
という言葉には、目から鱗がぽろぽろぽろぽろこぼれ落ちました。

そうか。
そういうことか。
「悲しい」と「怒っている」は見極めが難しいし、
互いの感情を誘発しやすい。
悲しくて悲しくて、悲しみの原因に怒りが向けられることもあるし
分かってもらえないことに怒っていて、
怒りを突き抜けて悲しくなることもある。
だから、瞬間的に感情が暴発しちゃうのね。

友人いわく、子どもたちは自分の感情に振り回されることが多くて
だからこそ、大人が心の中のごちゃごちゃをきちんと整理し、
「それは怒ってるんじゃなくて、『悲しい』なんだよ。」
と言葉で明確にしてあげと、落ち着くことが多いのだとか。

そうかもなー。
そうだろうなー。

と自分自身を振り返って納得。
納得したけれど。
私は「悲しみ」から「怒り」が派生しやすいし
そうした「悲しみ」を養分とした「怒り」を
抑えこむことがとても苦手なのよー。
身体の中に暴れ馬を飼っているってとても大変。