読む本がなくなってワナワナしていたので、BOOKOFFがリオープンするやいなや、本を買いに行った。
少しずつ、日本の本のスペースが狭くなっていく。
その中から、読みたい本を探すとなると、自然と新規開拓をすることになる。
今回開拓したのは、朝井リョウの『何者』。
読み始めてすぐ、『今、世の中はこうなっているのか!』と、新鮮に驚いた。
6人の大学生が、就職活動をするところから話が始まる。
6人が誰かのアパートの部屋に集まって、飲んだり食べたりしている。
そうしながら、それぞれがTwitterで好きなことを発信していて、
それを6人の中の誰かがチェックしている。
これって、普通のこと?
今、目の前で顔を合わせて喋っているのと同時に、こっそり何かをどこかに向けて発信する。
発信されたものをチェックしながら、表面は何もなかったようにおしゃべりが続く。
Twitterという名前は知っているが、いったいそれが何なのかは知らない。
そこで私は調べてみた。
TwitterをWikipediaで調べる人は珍しいと知りつつ。
Twitterにログインした際、自分専用のページ「ホーム」の「タイムライン」には自分の投稿とあらかじめ「フォロー」したユーザーの投稿が時系列順に表示され、各ユーザーが自分の近況や感じたことなどを投稿し、時に他のユーザーがそれに対して話しかけたりすることで、メールやIMに比べて「ゆるい」コミュニケーションが生まれる。一方、「キーワード検索」をすると「キーワードを含んだ投稿」のタイムラインが生成され、「キーワードを含んだ投稿」でつながったグループが自然発生する。同じキーワードを含んだ投稿をすれば、グループに参加することもできる。「トレンド」により、いま多く投稿されている「キーワード」を知ることができる。トレンドの範囲を国別に、または主要都市別に絞り込む機能もある
なるほど・・・
って、わからない単語がいくつかあるけど、要するに140文字のプチ・ブログみたいなものか?(違うか・・)
小説の中で、メールアドレスからその人のTwitterのアカウントを検索することができる、というくだりがある。
アカウントを複数作って、使い分けている人もいるという。
小説では、仲間の前では、就職活動する輩を小馬鹿にしている人が、実はひそかに就職活動をしていて、
別のアカウントで、その就職活動について発信したりしているのだ。
誰が、どんなことを考えているのか、どんな行動をとっているのか、
その人と話すことなく知ることができる。
それはたしかに興味深いことだけれど、こういうTwitterという形になると、どこか違和感があるのは私だけか。
その違和感を説明してくれた人が、小説内にいた。
主人公の男子学生は、フェイスブックやTwitterが流行って、みんなが限られた言葉で会話するようになり、
だからこそどんな言葉を使うか大切にしなければいけない、と思っている。
仲間内の二人のTwitterの内容から、その二人をジャッジした主人公に対して
フェイスブックもTwitterもやらない先輩が言うのだ。
「簡潔に自分を表現しなくちゃいけないんだったら、選ばれなかった言葉のほうが圧倒的に多いわけだろ。
だから選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してる」
「たった140文字が重なっただけで、あいつらを束ねて片づけようとするなよ。
ほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、想像してあげろよ、もっと」
顔も知らないどこかの誰か達と、ゆるく広く繋がりたい、と思うのはそれでいいと思う。
けれど、よく知る人のTwitterだけで、その人の別の一面を知ったようになって、
そのことについて語ることもなく、勝手に判断するのはやっぱり何か違うような気がしてしまうのだ。
フェイスブックもTwitterもインスタグラムも、まったく興味がない私が
ブログは細々続けていられるのは、自分を表現する場は私が創り出すアートにも似ていることと、
つたないそれを誰かがキャッチしてくれる喜びがあるからだと思う。
だから、ゆるく広く繋がりたいとは思わなくても、発信する人の気持ちはとてもよくわかる。
作家の朝井リョウ氏は平成生まれだそうである。
作家の世代も、どんどん新しくなってゆくのだな。
生涯、情報難民ではあっても、こうして知らない世界があることを知るのはおもしろいものである。
「何者」 朝井リョウ 新潮文庫
あとで知ったけれど、この作品は直木賞受賞作だそうだ