太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

やっぱり月、だけど太陽

2012-11-30 12:26:57 | ハワイの自然
こんなに太陽がまぶしいハワイに住むようになって、

日本にいた頃にくらべたら、ずっとずっと太陽が好きになった私であるが、

やっぱり月の魅力には言葉にできないものがある。



満月には、そわそわする。

ささやかーーな石のコレクションを月明かりの下に出し、月光浴。





ついでに自分も月光浴。





ずっと見ていても、飽きない。



ワイキキの夜景と満月





ちょっとカメラでお遊び

ホノルルの夜景が、不思議な絵に変身。




翌朝、6時。海から朝が始まろうとしている。

水平線上に、マウイ島とモロカイ島がはっきり見える。




朝の6時なのに、反対側にはまだまだ明るい満月が居座っている。



7時。朝日が昇ってきた。


昨日もおとといも夜のあと、朝が来て、きっと明日もあさっても同じなんだけれど、

じっくり観察していると、どの朝も、どの夜も違う。

今日はどんな夜が来るだろう。



やっぱり太陽も好き。

誤解されたら、必死で誤解を晴らそうとしそうな太陽が好き。

だけど、誤解されても、べつにかまわないと思っていそうな月も好き。








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「タンポポ」~MOVIE MUSEUM

2012-11-29 12:09:36 | 日記
カイムキにある、ムービー ミュージアムで「タンポポ」を観た。

ここは、けっこうコアな映画を放映している上に、椅子が楽、さらに5ドルという安さで、

こまめにチェックするようにしている。




この庶民的な建物といい、

ここで働いているおじさんの庶民的な雰囲気といい、

そのおじさんが顧客管理しているのがパソコンではなく、ちっさい手帳に手書き、というのもたまらん。





椅子は20席ぐらい。



映画が始まったら、オットマンを起こして、背もたれをグーッと寝かせて、ラクチンスタイルで。

ワインやチーズなどをそれぞれ持ち込んで、リビングで映画を観ている気楽さ。



「タンポポ」は、昨年、夫の叔母に勧められて、そんなにおもしろいなら1度見てみるかと思っていた。

この映画館で一緒になった男性は、もう何回見たかわからないそうで、今まで見た日本映画で1番だと絶賛していた。


わくわくしながら映画が始まり、

渡辺 謙が若いなあ、とか、ホタテマンをやっていたこの人は何という名前だっけ?とか思いつつ、

映画の後半も後半、もうすぐ終わるという頃になって、

最初はデジャブかと思った。

次は、昔に見た予告編の記憶かも、と思った。



でも全然そうじゃなかった。


私はこの映画を見たことがある、という激しい確信が沸いてきた。



私はこういうことが、よくある。

本でもそうだ。

おもしろい、おもしろいと思いつつ読み進め、終わりのほうになって

「あ。これ、読んだことあるワ・・・」

と気づく。


どうしてこんなにあっさりと、なんでもかんでも忘れてしまうんだろうか。

それなのに、忘れたいことは忘れないようにできているのだから腹立たしい。


悔しいので、1度見たことはおくびにも出さず、映画館を出た。








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ジョン万次郎と希望的観測

2012-11-28 12:24:35 | 日記
日本語のようには英語で伝えられないとか、

うまく聞き取れないとか、外で働くようになっても、いまだ言葉の壁は立ちはだかっているが、

それはきっと「まだ」1年半しかたっていないからで、

あと何年かすればいつのまにか解決するんだろうとタカをくくっていた。

だってジョン万次郎だって英語が話せるようになって日本に戻ってきたんだから




ハワイに住む日本人の友人にその話をしたら

「うーん、それはどうかなぁ」

と言うではないか。

というのも、彼女が働く日本企業には、夫がアメリカ人の人が何人かいて、

ほとんど結婚10年以上だというのだが、不思議とみんな英語が全然上達しないというのだ。

なんでそんな恐ろしいことを平気で言うんだろう・・・・



「だってね、電話で家にいる旦那さんと話しているのを聞いていると、最初は英語で何か言ってるのよ。

でもそのうちキレてきて、日本語で『だからその引き出しの3番目に入ってるから見てよ!違う、赤いやつよ、赤いやつ!』

とまくしたてるのよねえ」



友人が言うには、たぶん彼女達が英語をマスターするより先に、旦那さんのほうが日本語を覚えてしまうんじゃないか、と。



・・・・すごい説得力。

それはまさに我が家じゃないか。

夫に腹が立って、どうしても何かを言いたい時に、以前は日本語でバババーっと言っても、殆ど夫は理解できないのだったが、

最近はどうやら理解してしまうことが多い。

あれは便利だったのに。

私は「言ってやった」という満足感があったし、夫には何を言われたかわからないから、それほど傷つかないし。



言語について少し勉強したときに、

12歳までの子供であれば、英語の環境に入れば自然と英語が身につくものらしい。

大人になると、それも結構いいお年の大人であれば、ゆめゆめ「いつのまにか身につく」と楽観すべきじゃないのかもしれない・・



「ジョン万次郎はどうやって英語を話せるようになったんだろうね?」

と言う私に友人は、

「そりゃあんた、万次郎は英語を理解しなくちゃ死ぬか生きるかだったわけだからさ。必死さが違うわよ」



残念ながら、やっぱり努力は必要ってわけなのである。






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朝ごはん

2012-11-27 17:06:04 | 食べ物とか


我が家の不思議な朝食風景。


ここんちの庭で採れたパパイヤ

ここんちの庭で採れたパッションフルーツ

我が家の庭で採れたバナナ



ここまでは、まあ、いい。


しかし、これに


冷奴(青シソと生姜添え)

緑茶



自分でも、組み合わせが変だとは思う。

冷奴が、納豆になることもある。

手前のパンケーキ類は、昨日、外食した朝食の残り。



緑茶は、以前はコーヒーだった。

今でも気分でコーヒーにすることもあるが、夫がデトックスを始めたあたりから、ほぼ緑茶党になった。

普段は、パンケーキの代わりにエゼキエルブレッド(参照記事「エゼキエルブレッド」)。



よその家で、何を食べているかというのは、大変興味深いものである。

「普通」だと思っていたことが、他の誰かにとってはそうじゃなかったりする。

昔、友達の家でお昼や夕食をよばれたとき、

たまご焼きにバターが入っていたり(母は入れない)、砂糖をかけたトマトや、その家のスタンダードに軽いカルチャーショックを覚えたものだ。

突然、夕食時にテレビカメラがお邪魔するという企画の番組があったけれど、

あの番組のおもしろさの一つは、たぶんよその家が何を食べているか知りたい、という

素朴な興味じゃないだろうか。



改めて我が家の食卓を眺めると、

立派なスタンダードの出来上がりだな、と思う。








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私たちが得たもの、失ったもの

2012-11-26 10:00:45 | 日記
テクノロジーで思い出した。

昔、地図にも載っていないような小さな島に行って、ルポを書く人が書いた本を読んだことがある。



彼は、ある島に船でたどり着き、

滞在して何日か目に、今夜は嵐がやってくるから、と言われ、1本のヤシの木を指差し、

「おまえはあの木だ」

と言うがいなや、無理やり木に登らされて、幹に身体をくくりつけられた。

村人それぞれに木があてがわれており、みんな身の回りのものを腰にくくりつけてスルスルと木に登ってゆく。

果たして日が暮れてくると、大嵐がやってきた。

ヤシの木は、大きく風に揺さぶられて遊園地の遊具のように180度ぐるぐると回った。

嵐が去り、夜が明けてみると、小さな島は丸ごと波に洗われて、家も何もかもなくなってしまっていた。

村人は、さしてガッカリすることもなく、また新たに家を建て始める。



また、ある日、村人何人かと集まっていると、その中の一人が

「タバコを買ってくる」

と言ってその場を去った。

それきり、4日たっても5日たっても彼は戻ってこない。

その人の妻に彼のことを聞くと、「最寄の島までタバコを買いに行ったから10日は戻らない」とこともなげに言う。




電話も電車も車もなかった時代、人は必要があれば歩いてどこまでも行った。

それほど遡らなくても、私がうら若かった時代には携帯電話も普及していなかったし、パソコンだってなかった。

社会人になりたての頃、来客がたいそう重そうな、黒電話がついた箱を持ってきて

「これが自動車電話だ」

と見せてくれたのを覚えている。

ワープロだって画期的だったし、ポケベルですら便利なものだと思ったものだ。



親にとられたくない電話を待って、お風呂も入れずに電話機の前でうろうろするとか、

約束の時間に会えなくて不安になるとか、

そんなのは当たり前だった。

今は、どこにいても連絡がつくし、自分だけにかかってくる電話番号があるし、メールだってできる。

スマートフォンでは、音声だけで電話をかけたりもできるのだ。



先日、チベットとモンゴルの人々の暮らしのドキュメントを観た。

電気も水道もない。移動手段はラマか徒歩。

でも人々の表情は満ち足りており、私はふと、そういう暮らしに憧れに似たものを感じた。



今、これだけテクノロジーが氾濫している暮らしの中で、それを使わない生活をするのは辛いんだけれど。



大事な相手の居場所がわからなくて、不安な気持ちで過ごした夜。

あの頃の私が持っていて、今の私が失ったもの。

チベットやモンゴルの人々が持っていて、私たちが失ったもの。

無論、彼らにないものがたくさんあるのもわかっていても・・












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