太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

手直し3回目

2024-04-25 09:12:51 | 絵とか、いろいろ
遊び心で仕上げた夜のコオラウ。
仕上げたつもりになって、額装までしたが、昨日、マイクとコリンに見せて感想を聞いたあと、手直しを加えた。

最初

2回目

最後の手直し

山肌の、中心の下側。
紙の色がかなり明るくて、そこに目がいってしまうということで、暗い色の紙を重ねてみた。
やり直しができるのは、コラージュの良い点。
あとの2点と一緒に、来週、ギャラリーに持ち込む予定。




Vickiと約束

2024-04-18 07:38:59 | 絵とか、いろいろ
友人のVickiはグラスアーティストだ。
近年、材料のガラスがどんどん値上がりしているうえに、ハワイまでの送料もばかにならず、ガラス以外の分野を模索中だ。
専門はガラスでも、アーティストだけに、絵を描いても、なかなかに味のある良いものを描くし、写真も、どうしたらこんなにいいものが撮れるのかというものを撮る。

私が、今は技術的には進歩したけど、プロになる前に創った作品のような勢いや自由さを失ってしまった、という話をしたら、Vickiはおおいに賛同した。

「わかる!!だって、これら、みーんな商業用だもの」

素敵な絵や、写真のカードや、ガラスを指さして言う。

「生活していかなきゃならないから、売れるものを作るのは仕方がないとわかっていても、嫌になることあるよ」

そんな中で、私の3作目のコオラウは、失敗作を遊び心で仕上げたもので、ワクワク感が違った。プロになって初めて、売れる売れないを考えず自分のためだけに創ったものだったからだ。
ちなみに、そのコオラウは手直しされて、こうなった。
ビフォー

アフター

右端の水平線に、染めた紙の色具合で島のように見えてしまっているところを修正したのと、雨上がりだけに現れる滝を加えてみた。
先に創った2作品は完全に売る用だけれど、これは自分用。
でも、軽い気持ちで、これも出してみてもいいかな、と思っている。


「すっごいいいこと、思いついちゃった!!」

Vickiが言う。

「今年が終わるまでに、一つ、自分のためだけに何か創ろう。
それでお互いに見せあおう。いいと思わない?」

それはいい!
自分のためだけに、創る。
それは、実はとても贅沢なこと。
プロになる前には気づかなかった、いや、プロになったからこそ気づいた最高の贅沢。
貴族をパトロンに持った画家たちも、聖堂にフラスコ画を描いた画家たちも、たぶん求められるものを生み出さねばならなかったのではないかと想像する。

何をつくろう。
今からワクワクしている。



コオラウ ショー

2024-04-05 07:04:02 | 絵とか、いろいろ
カタカナで書くと、なんか変。
コオラウとは、オアフ島の東側を北に向かって伸びる山脈の名前で、ko'olau。
大きな爪で削り取ったような、独特の山肌をもつこの山は、偏西風を雨に変える。
傾斜がきつすぎて、人が登ることはできない。
この山のおかげで島の東側は涼しく、雨が多いけれど、そのぶん緑が濃い。
我が家も、この山のすぐ麓に位置している。

作品をおいている、ひとつのギャラリーで、6月にko'olauショーをやることになった。
これは2回目で、1回目のときに出品した作品は、ディズニー映画の関係者が買っていき、「リロ&スティッチ」の実写版(今夏公開予定)の中で使われる。

今回、出す予定の作品が2つできた。

まだ無題。
H3というフリーウェイからの景色。
このあたりは岩肌が多い。
45X60センチのキャンバスに、コラージュ。
筆で描いたようにみえるかもしれないけれど、これはみんな染めた紙を貼ったものだ。
After rain
これは職場の入り口から見える景色。
山肌に白く見える筋は、雨上がりだけに現れる滝。山に降った雨が、いくつもの滝となって落ちる。
大雨のあとは、家から外に出ると、滝の音が聞こえるほどだ。
20×40ぐらいの木板に、コラージュ。

作品創作に腰があがらないの、やる気が出ないのとグズグズ言っていたが、
ギャラリーにいるジェイが、4月の初めの時点で、

「まだ公にはなってないけど、6月にko'olau ショーをやるよ」

と教えてくれた途端、俄然やる気が満ちてきた。
私に必要なのは、期限、なのか・・・
あんなに宿題が嫌い、期限を決められるのが嫌い、やれと言われるのが嫌いな私が、期限がないと動かないとは皮肉なものだ。

ハワイに来る旅行者は、ハワイといえば海という人が多い。
けれど、ハワイに住んでいて、今は他の場所に住んでいる人たちは、ハワイといえばko'olauという人が、断然多いのだそうだ。
13年、毎日この山を眺めて暮らしているが、見飽きることがない。
義両親にそう言ったら、

「53年、毎日見てても飽きないわよ」

とシュートメが言った。
富士山と一緒だ。
日本へ行けば、富士山を探してしまう。同じような写真を何枚も撮ってしまう。テレビで富士山が映れば、見入ってしまう。
生まれてからずっと富士山を見て育ったから、富士山は私にとっては心のふるさとなのだろう。

ko'olauは、私の第二の心のふるさとになるのだろうか。








私が失ったもの

2024-02-22 07:50:46 | 絵とか、いろいろ
マイクに出会うまで、私は芸術を仕事にしようとは思っていなかった。
むしろ、好きなことは趣味のままのほうがいいと思っていた。
コラージュのメンターであるスーザンに、作品をギャラリーに持ち込んでみたらと勧められても、断られるのが怖くて聞き流していた。

マイクのおかげで、作品をプリントして売るようになり、彼が間に立ってくれたおかげで、ギャラリーに飛び込みでなく持ち込めるようになり、ラティーシャに出会って、オリジナルもたくさん置かせてもらえるようになった。
そうしてかれこれ10年以上も、作品を創り続け、売り続けている。

次の作品のアイデアに詰まった時、昔の作品をアレンジすることがある。
好きな題材というのは、何度でも作ってみたくなる。
コラージュは染めた紙を選んで貼ってゆくため、筆で描く絵とは違って、たとえ同じ構図で作ったとしても、けして同じものはできない。まったく同じ紙は存在しないからだ。
昔の作品のほとんどは、既に売れてしまっていて、手元には数えるほどしか残っていない。
それらを出してきて、眺めるとき、私は私が失ったものに気づく。


作品を売り始める前に創ったものには、勢いがある。
自由で、思い切りがよく、元気なエネルギーがある。
それは子供たちが描く絵に似ている。彼らは何者にもなろうとしていない、そのまんまの自分を、そのまんま表現する。
だから突拍子もないものであっても、そこには素晴らしい勢いがあって、見る人の目を引き付ける。

たとえば、これは12年前の作品。

今、アンスリウムを題材にして創ったら、こんなふうにはならないと思う。
もっとスマートで、おさまりよく創るだろう。
そして、これは正真正銘、作品第1号。
目を覆いたくなるような、稚拙な出来だけれど、なんともいえないおおらかさがある。
この10年余の間に、技術的には大きな進歩をして、昔よりも格段に「上手な」ものを創ることができる。
けれど、確実に失ったものがある。

私が私だけのために創っていたのが、今は、売れるものを創っている
それが原因だと思う。

もちろん、創りたくないものは創れないが、そこには必ず「売れるもの」という条件がつく。
仕事にしている以上、それは当然なのだろうけれど、技術を得た代わりに失ったものについて思うとき、呆然となる。

美大時代の友人で、夫婦で焼き物を生業にしている人がいる。
彼女があるとき、言った。
「好きで仕事にしたけど、生活していくとなるとなかなか好きなものだけ作るわけにはいかないよね・・・」
当時、彼らは紅茶会社から依頼された、点数を集めるともらえるオリジナルカップか何かを大量に作っていた。
自分の好きなものはまた別に作ればいいんじゃない、なんてわかったようなことを言ったような覚えがあるが、私は本当に何もわかっちゃいなかった。


私が私のためだけに創っていた、あの私に戻ることはできるんだろうか。
作品第1号を、寝室の壁に飾った。
かき氷みたいなプロテア、目玉焼きみたいなピンクッション、まるで子供の作品のような第1号を見ながら、私は私が取り戻したいものについて思うのである。







蓮の花と鯉

2023-10-16 07:27:37 | 絵とか、いろいろ
思えばずいぶん長いこと作品を載せてなかった。
久しぶりに記事にしておこう。

Lotus & Koi

幅が65センチほどのキャンバス。

鯉はハワイでもKOIで通じる。
左下に1匹、右下の蓮の実の左側に2匹。
Judithに写真を送ったら、「油絵みたいに見える!」と言っていた。
確かにそうかも。
何層にも紙を重ねて貼ってある感じは、実物を見ないとわからないものだ。

今、これはスキャンするためにColinのところに出してある。
戻ってきたら、ひとつのギャラリーに持ち込む予定。

蓮の花と鯉は、なぜか何度でも作りたくなる課題だ。