太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

おねえちゃん

2020-10-30 12:46:54 | 人生で出会った人々
いつから私は姉のことを「おねえちゃん」と呼ばなくなっただろう。
気がつくと私は、姉の名前を短縮して「ちゃん」をつけて呼んでいた。

姉とは4歳離れている。
子供の頃は、二段ベッドのどちらに寝るか、といったようなことで喧嘩をした。
身体が弱かった姉に母はかかりきりのことが多く、私はいつも祖母と留守番していた。

いつも私の前を歩いていた姉と対等になったのは、私が社会人になってからだ。
そこに、私と5歳違いの妹も加わって、私たちは親友のようになった。
なかなか嫁にいかない娘に焦れた母に頼まれて、三人で出雲大社に行った。
そのあと、長崎のオランダ村にも出かけりした。


私たちは、顔も性格もまったく違う。
姉はきっちり四角で、私はスライム、妹は角が丸くて柔らかい四角。
四角に収まりきれない私を姉は持て余し、融通がきかない姉を私は理解できない。
それをくすくす眺めているのが妹。


姉に言われたことで、忘れられないことがいくつかある。


私が高校生のとき、祖母が入信していた宗教の本部に祖母のおつかいで何回か
行っているうちに、
私が入信しかけたことがあった。
私が宗教にのめりこむことを恐れた母はひどく怒り、玄関先で母ともみ合いになった。
東京で働いていた姉が帰省しているときで、
姉は私と母の間に入って、母に言ったのだ。

「シロがそうしたいと言うなら、それが正しいんだと思うよ、私は」

反発しあうことのほうが多かったのに、そう言われて驚いた。
そのすぐあと、急激に私は冷めて宗教には見向きもしなくなった。



私が離婚すると決めて別居していたとき、姉が手紙をくれた。

「誰かと生きてゆくのに1番大切なことは、理解しあえることじゃないと思います。
たとえ喧嘩になっても、相手をわかりたいと思う、相手にわかってもらいたいと思う、そのひたむきな気持ちがあれば大丈夫で、それが大切なのだと思います。」

それはまさに、私と相手に欠けていたもので、
なぜこの結婚が、こんなにみじめで虚しいものだったのかがわかった。
けれど、もうそれを同じ相手とやり直すには、遅すぎた。


姉は常に、自分が正しいタダシ子さん、そんなふうに思うこともあった。
でも、みんな、自分が正しいタダシ子さんなのではないか。
誰もおのれの正しさのスケールで、違う正しさを測りきれやしない。
違う正しさがあるから、自分の正しさの輪郭が見えてくる。

姉が大病をして、姉を失うかもしれない境地に立ってみて初めて、
姉が姉の正しさを持って、存在してくれていることがどれだけ私の支えになっていたかを思い知る。
姉を失うことは、親を見送ることよりも、もっと重いことかもしれなかった。


姉は今、元気に生きている。
私がスピリチュアルにハマっていた頃、スピと屁理屈でこねくり回した長いメールを読んだ姉が、
「私には難しいことはよくわかんないけど、シロちゃんが幸せならそれでいいや」
という返信をよこした。

わからなくていいんだ。
わかろうとしたんだから、わからなくてもいい。

私は相変わらず、姉の四角四面が理解できず、
姉は私のグニョグニョ加減を理解できないでいるだろう。
しかし、私にはない四角四面さでもって姉がいてくれるから、
私は安心してグニョグニョしていられるのだと思う。









あしたは満月

2020-10-30 10:35:03 | 日記
朝からすごい風。
雲なんかみんな吹き飛ばされた。

寝室の窓から。

昨夜は、あと二日で満ちる月がまぶしいほどの光を放っていた。
我が家のどの窓にもカーテンやブラインドがないので、
月の明かりが直接部屋に差し込んで、月光浴しながら寝ている。


朝のウォーキングから戻って、庭に水菜を取りに行く。
義父が蒔いた水菜の種が、あれよあれよという間に育ってすごいことになっている。
とりあえず、少しだけ刈ってきた。

庭にこの20倍はある・・・

アジア系のものも扱っている近所のスーパーに、ときどき水菜が売られている。
いつだったか、レジに水菜を持っていったら、
「それはなあに?」
「どうやって食べるの?」
と質問責めにあったことがある。
私も、水菜は大人になってから知った野菜で、サラダにするか、鍋に入れるかぐらいしか知らない。

この大量の水菜、生のままじゃ食べきれそうにない。
鍋にしたいけど鍋もなし。
さっと湯がいて、辛子醤油で食べてみよう。
以前、友人に聞いて1度だけ作ったことがあった。
湯がいてみたら、ホウレンソウのように胡麻和えにもできるんじゃないかと思えてきた。

写真じゃわからないけど、風がビュービュー。

バジルも、どんどん育って、立派な木といえるほどになっている。
切っても切っても、むくむく育つ。
何度、ペストを作ったことか。
途中から切って水に挿して、こうしてキッチンに置いておくとすぐに白い根が伸びてくる。
葉をちぎりながら使えるのでとても便利だ。



明日はハロウィーンで満月。
今年はコロナウィルスの影響で、子供たちのトリックオアトリートは禁止になった。
うちの職場も、今年は仮装大会はない。
昨年、私はクレオパトラで優勝してトロフィもらったんだった。
あれから1年後に、こんなことになるなんて想像もしなかったことよ。
どんなことも、それが起きるその時までの、何も知らない自分を振り返って
そんなふうに思うものなんだけど。






冬、到来

2020-10-29 10:09:15 | ハワイの自然
冬は突然やってくる。
ハワイは昨日、冬になった。我が家の場合、

・普段は家の中で上半身裸でいる夫が、Tシャツを着始める
・夕飯のあと、温かいハーブティを飲みたい気分になる
・ベッドに、ブランケット(サマーセーターのような素材)を足す
・猫が2匹ともベッドの中に入って来る
・ボーイの猫が、キッチンのストーブ(コンロ)の上で暖を取る

あったかいのが好きなボク

これらが満たされたとき、それが冬の到来だ。

シアトルに住む義家族と電話で話しているとき、ハワイも寒くなってさー、と言うと必ず

「フッ、どうせ20度以上あるんでしょ」

と失笑気味に言われてしまうが、その通りなので何も言えない。
私は冬のシアトルに行ったことはないが、
「凍えるほど冷たくて、ジトジト雨が毎日降って、手袋の中も湿って、夜が異常に長くて・・・」
と言うので、今後も冬は行かないと思う。

ウォーキングの景色

毎週水曜日に、夫が帰宅したらそのままビーチに行くことにしていて
昨日も小雨の中を出かけていった。
どうせ濡れるのだし、雨が降ろうが関係ないのだ。
海水はほんわかと温かいが、風があったせいか、水面から出た部分が寒い。
首まで海水に浸かっていると、お風呂に入っているような感じ。
雨脚がひどくなってきそうだったので、15分もいなかったけど。



寒い寒いと言ったって、海で泳げる。
トロピカルな気候にすっかり慣れてしまい、もう本来の冬の寒さを忘れてしまった。
今朝は、20度を切ったと思う。
どんなに肌寒くても、窓は全開にしておきたいから、余計に寒い。

外は快晴、いい天気

庭に出ると、太陽の当たったところが暖かくて気持ちがいい。
笑われても、これがハワイの冬なんだから仕方がない。
今日は湯舟にお湯をためて入ることにしよう。









肉じゃが、昭和の伝説

2020-10-28 12:17:26 | 食べ物とか
ダイエット道をひた走っている夫は、すでに4キロ減量した。
便乗している私も、2キロ減でようやく48キロまで来た。
まだ、着れない服を試すのは時期尚早だ。
47の声を聞いたら、あの、ムチムチでモリモリだった白いパンツを履いてみようと思う。

先日、五目豆を煮たら(その記事はコチラ)、夫がハマった。
どうやら私は夫と結婚してから、豆を煮たことがなかったらしい。
朝食に少しと、お弁当に毎日、五目豆を入れていくので、あっという間になくなって、
既に2回目の豆を煮た。
具に入れた ひじき もお気に入り。
どうやら私は夫にひじきも煮たことがなかったようだ。
海藻はダイエットにもいいし、ひじきの煮物を作ろうと乾燥ひじきを水で戻したら、
「え・・・・・」
というぐらいに増えてしまった。
乾物が、戻すとどのぐらいの量になるのかという感覚を、すっかり失っている。

母が作っていたように、油揚げとニンジンを入れてひじきを煮た。

油揚げも多い・・・



話は変わるが、
肉じゃがが上手にできる女性は男性にモテる、というのは昭和の伝説だろうか。
その昔、竹下景子さんがお嫁さんにしたい女優ナンバーワン、なんていわれたけれど
今じゃそもそも、お嫁さんにしたい、なんていうフレーズは魅力でもなんでもないだろう。


私の経験でしかないが、肉じゃがが好物、という日本人の男にあまり出会ったことはない。
カボチャの煮物好きはさらに少なく、酢のものに至っては皆無だ。


日本では、まだ女性は手料理を期待されているように思う。
しばらく前に、日本で「ポテトサラダ事件」というのがあったと、友人から聞いて知った。
日本の主婦は厳しい環境の中にいるのだな。
ハワイで、出来合いのおかずを買う母親に嫌味を言う人はいないと思う。
手料理神話など、ここにはないといっていい。

世界に誇るだけあって、日本の食卓のレベルを維持するのは楽じゃない。
メインのおかずと、小鉢的なもの、さらにもうひとつ、と組み合わせを考え、
中華、イタリアン、和食、と材料をうまく使いこなしながら料理するなんて
私はそれが普通だと思ってやっていたけれど、もうあんなことはできない。


アメリカ人は、ほんとにたいしたものを食べてない。
家から持って行くランチは、ピーナツバターサンドにりんご。
夕飯はナチョス(トルティーヤチップスにチーズをかけてレンチンしたやつ)とか、
チーズとクラッカーに、缶スープ。
肉を焼いたのに、お決まりのマッシュポテトとグリーンビーンズ添えたら、それでおしまいだし、
冷凍のピザに野菜スティックでも、バランスが取れてよろしいという食事になる。

そんなんであれば、料理ができるかできないかはあまり関係ないし、
たいしたことを求められないから、誰でも食事の支度はできて、
同じメニューが続いても平気なので献立に悩むこともないのだ。


料理は、上手じゃないけど苦にならない、ぐらいで気楽に暮らせてしまう国なのである。









オンナの鯉の滝のぼり

2020-10-27 13:57:14 | 本とか
林真理子氏の作品に「東京の女性(ひと)」という短編がある。

等身大の女性を、林真理子氏はさらっと描く。
ほんとはこうなんでしょ、というのを、ぺらりとめくって見せる。
向田邦子さんほど辛辣ではなく、倉本聰氏ほど苦しくならないにしろ(『北の国から』は苦しくて見ていられない)
できれば見て見ぬふりしておきたかったところを、見せられてしまう。
「東京の女性」のあらすじはこうだ。

東京で編集の仕事をしている主人公の女性は、田舎で貧しく育った。
マスコミで働く、育ちのいい男性と婚約し、結婚までの仮の住まいとして
あるお屋敷町の未亡人の家に間借りすることになった。
60歳の未亡人と主人公は一気に仲良くなり
東京のお屋敷町に住み、上品な言葉遣いをしている自分に酔うのだが、
その未亡人に「女」を見てしまってから、ギクシャクとしてくる。


あー・・・・わかる。
私も二十代の時、同じ思いをしたことがあった。


夜間のインテリアコーディネーターの学校に通っていたときにグループ活動があって、
グループ仲間の、50代の女性Mさん(40代だったかもしれない)の家に集まったことがある。

Mさんはマンションに独り暮らしで、東京に息子さんがいるらしい。
私たちのグループには、30代前半の男性(独身)が含まれている。
家に通されたとき、寝室のドアが少しだけ開いていて、壁に掛けてある、フリルたっぷりの、 白いネグリジェ が見えた。

30代男性(独身)がターゲットなのは明らかだと思うのは、考えすぎだろうか。
でも部屋の中は完璧に片づけられており、うっかり寝室のドアだけが半端に開いていたとは思えない。

わざとそれが見えるように、ドアをあけておいたMさんが、たまらなくなまなましかった。
ドアの前を何度も通って、ネグリジェを掛ける位置やドアの開け具合を調節しているMさんを想像してしまい、
嫌なものを見てしまったような、やるせないような気持ちになった。
女であってはいけない母親に、女を見てしまったら、きっとそういう気持ちになるかもしれない。

小説の中では、それを「いやらしい」と言い、また「なまなましい」と表現している。


当時、私は二十代だったが、今私はMさんの年齢を超えた。
小説の主人公の気持ちもよくわかるが、60歳の女性の気持ちも、今はわかってしまうのである。

いくつになっても、女を捨てたくはない。
けれど、女であることにしがみついているのも、みっともないと思う。
子供がいないので、良い母親や祖母になりきることでごまかすこともできない。
自分の年齢を受け入れることと、それに甘んじることはまた別だと思う。
それは確かだけれど、
ほうれい線やゴルゴ線、目のたるみと闘ってコツコツ顔を鍛えてみたり、
体重を元に戻そうと努力している私は、
まるで「老い」という滝を登る鯉のようだ。

女にしがみつかずに、女でいる

言葉以上に、それはなんと難しいことであろうか。
私はまだ、年齢とオンナの、いったいどのあたりで折り合いをつければいいのか皆目わからないのである。