太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

常夏の冬の朝

2017-10-29 15:39:36 | 日記
数日前から、ハワイはぐんと寒くなった。

寒いといってもハワイだから、たいしたことはないのだが

日本の冬の寒さを忘れている身には寒いと感じる。

冬が来たのは気温以外でもわかる。

まず夫が、上半身裸だったのがTシャツを着るようになる。

氷の浮いたものではなく、あたたかい飲み物を飲むようになる。

ベッドのシーツとキルトのコンフォートの間に、コットンの薄いブランケットを追加する。

シャワーのあと、湯船に浸かることが増える。

冷たい豆腐サラダだったのが、湯豆腐になる。



昼間は夏ほどでないにしても、泳げるほどには暑い。

1番寒いのは晴れた日の朝方だ。

毎朝3時半に起きて、ベッドから降りると床がひんやりして「ひえっ」と思う。

そのまま歩いてバスルームに行くと、タイルがさらに冷たくて「ひえー」と思う。

あわてて室内履きをさがして履く。

トイレに座ると、便座が冷たくて目が覚める。

日本の便座暖房というのは、慣れてしまうと当たり前だけれど、あれは「さりげない愛」だったのだなあと思う。

満天の星空の下を、半袖Tシャツで歩き出すと、だんだん体があたたまってくる。

下り坂は少し走ったりする。

帰宅して、瞑想して、日本の両親にレイキを送って、ようやく5時ぐらいになり、40分ぐらい二度寝する。

猫がやってきて、膝の上あたりで丸くなって寝ると、そこだけ温かくていいのだが

足先だけがずっと冷えている。

若いころは手の先も足先も冷えるなんてことはなかったのに。

起き出して、お風呂にお湯をためる。

家を建てた時にTOTOの湯船を買ったのだが、日本のこじんまりしたアパートについている湯船ぐらいの大きさしかなく、

夫が入るとギチギチに体育座りをしなければならない。

でも、小さいからお湯がすぐにたまるし、夫よりも私のほうが数多く使うから問題なし。

少し熱めのお湯に体を沈めると、ものすごい幸福感で満たされる。

しばし目を閉じ、その幸福感に浸る。





朝風呂が贅沢で特別な感じがするのは、子供の頃からの体験によるものかもしれない。

我が家で朝風呂に入るのは、元旦だけと決まっていた。

見慣れた家や家族の顔も、元旦だけはどこか違って見えた。

外が明るいのにお風呂に入るという非日常に、子供はわくわくしたものだ。

そして朝風呂に入ると、私が歌う歌があった。


♪ おはらしょうすけさん なんで身上(しんしょう)つーぶした

朝寝 朝酒 朝湯が大好きで そーれで身上つーぶした♪



おはらしょうすけさんが誰なのか、もちろん子供の私は知らなかったが

いただきものの、おはらしょうすけさんの人形があって、徳利をもったしょうすけさんの頭を指でつつくと

ビヨンビヨンと上下する。

その歌は、誰が教えてくれたのかも忘れたが、なぜかその節だけを覚えた。




思い立って、おはらしょうすけさんについて調べてみた。



小原庄助

民謡「会津磐梯山」の囃子言葉に登場する架空の人物。

いっぽう、会津の商人説、武士説、塗り師説もあり、「会津塗り師久五郎」を本名とする墓もある。



なるほど。

あれは会津磐梯山という歌だったのか。



ハワイの我が家のTOTOのお風呂でも、私はやっぱりおはらしょうすけさんの歌を歌う。














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ばかまるだし

2017-10-26 07:44:22 | 日記
夫とシンガポールについてのテレビ番組をみていたときのことだ。

私「シンガポールっておいしいものがいっぱいあるねえ」

夫「中国人がたくさんいるしね」

私「フィリピンも行ってみたいね」

夫「?」

私「だからさ、フィリピン」

夫「なんでここでフィリピンが出てくるわけ?」

私「だからー、 フィリピンのシンガポール 」


夫は言葉もなく、原油にまみれた海鳥を見つけたような顔をして私を見ていた。


私「な、なによぅ・・」

夫「シンガポールとフィリピンはまったく違う場所だよ」

私「えーそうなのー」

夫は書棚から世界地図を出してきて、私に見せた。

「ここが、シンガポール。ここが、フィリピン」

そして深い深い溜息をついた。





私にはこういうことが、わりとある。

母は私を知っていて、

「思ったことをそのままポンと言わないように気をつけてよ」

とよく言ったものだ。

「あんたの梅干の話、思い出すだけで溜息が出るよ」

私は梅の実が熟して梅干になると思っていたのだ。

6歳とか7歳のときの話ではない。二十歳ぐらいだったから問題なのである。


「ホラ私、美大だったしさァー」

と言い訳していたこともあったが、それでは他の美大出の人に大変失礼だと思う。

これでも一応受験して進学校といわれる学校に入った。

しかしこのありさまでは、学校の名前も人に言わないほうが学校のためかもしれない。

どうしてこう、ものを知らずに生きていられるのだろうか。

我ながら不思議でならないのである。






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喉もと過ぎていつも忘れる

2017-10-25 07:58:14 | 日記
日本へ行く飛行機で、私はしたたか乗り物酔いをして閉口した。

私はしょっちゅう乗り物に酔う子供だった。

父の運転する車では後部座席でいきなり吐いて、隣の姉に嫌がられた。

遠足は楽しいが、バスは苦手。

小学校低学年の頃は、バスなど使わない遠足があったし、バスも旧式で窓が全開できたが

バスが進化してくると、なぜだか窓が全開できなくなったりして、酔う子供にはつらかった。

気の持ちようだと激励されたり、酔わないツボを押したり、

酔い止めの薬を飲んだ記憶があまりないのは、車に酔うのは思い込みのせいだと、家族も自分も思っていたからだろう。



自分で車を運転するようになって、車には酔わなくなった。

バスは、車内の独特の匂いに「む・・・」とするけれど、本さえ読まなければ2時間ぐらいは平気だ。

しかし問題は飛行機である。

乱気流と、体調によっては降下していくときもよくない。

酔い始めのときは新鮮な空気が必要なのに、飛行機では窓を開けるわけにもいかない。

通路側の座席ならいいが、窓側や真ん中になってしまったら、吐きそうになって席を立つたびに人に迷惑だし、

かといって座席で吐くのはもっと迷惑だし、座席のポケットの「エチケット袋」をチラチラ見ながら

我慢できるぎりぎりまで、まるで尿意のように押し寄せては引く波に耐える、その時間の長いことといったらない。

二十代の頃、突発性難聴という病気になり、そのときの精密検査で耳の三半規管がちょっとおかしいということがわかった。

「乗り物に酔うでしょう」

医者はそう言って、でもこれは治るものではないのだと付け加えた。

酔うのは気の持ちようではなかったのだ。

そんなわけで、大手を振って飛行機に乗るときには酔い止めの薬を服用するようになったのだけれど

これが効き過ぎる。

北海道に行ったとき、現地に着いても眠くて眠くて、どこを歩いて何を食べているのかも朦朧としてわからなかった。



あれから数十年。

薬の量を調節しながら、酔ったり酔わなかったりを繰り返し、

だんだん慣れて、わざと薬を飲まないことが増えてきて、なんかもう大丈夫かもと思っていた矢先の

今回の乗り物酔いである。

幸い、機内が空いていて、三列がけの椅子に横になることができたが、

食べ物の匂いをかいだだけでこみあげてきて、せっかくの機内食が一口も食べられなかった。


子供の頃から酔い続けて、酔うことのつらさを誰より知っているというのに、

その辛さをすぐに忘れてしまう私はアホだ。

酔ってもたいしたことないかも、などと思ってしまう理由がわからない。

成田に着いても、まだ酔っていた。

トイレで吐きたいのだが、10時間以上なにも食べていないので出るものもない。

空気だけが胃から げえー と出てくるだけ。

日本で酔い止めをいくつも買い込み、帰りはしっかりと服用した。

喉元すぎてすぐに忘れる我が身のなさけなさよ。











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日本的

2017-10-24 08:07:52 | 旅行
日本で、姉夫婦と妹夫婦とともに、熱海の 来宮神社 に行った。

三連休の真ん中で、来宮神社周辺は道も狭くて混むので、電車で一駅手前の駅に車をとめて

東海道線に乗った。




樹齢2000年以上の楠のご神木。


夜は63個の明かりでライトアップされるそうな。

木の神様も眠れないんじゃないかと・・・・




ご神木のすぐ横で、お抹茶が飲める。

お茶碗を選べるのもうれしい。

おまいりのあとは、坂道を下って熱海駅まで歩いた。

私達は沼津市に住んでいたので、熱海には時々行った。

夏は海水浴や海上花火を見に行ったり、薔薇の季節はローズガーデンもすてきだ。

熱海駅は、その頃とすっかり変わっていた。

駅ビルなんかができていて、息苦しくなるほど人でいっぱいだ。

駅の近くの老舗の蕎麦屋でお昼を食べて、車に戻り、三島へ行く。





SKAYWALK MISHIMA

昨年あたりにできた新しい名所。

この日は富士山の半分から上が雲にすっぽり隠れていたが、晴れるとこんなふうに見えるらしい。

2000人が乗っても大丈夫ということだが、歩き始めるとだんだん左右に揺れてくる。

全長400m。

一列になって歩き始めて、半分もいくと飽きてきた。

ただこうして歩いて渡っても、また同じ橋を歩いて戻ってくるだけでしょ・・・・

振り返ると夫も同じ顔をしている。

私達だけそこでUターンし、妹達は最後まで歩き、戻ってきた。

敷地内にある、屋根のないエスカレーターを上がってゆくと売店がある。

売店の中は、たくさんのベゴニアや薔薇が天井から下がっていて見事だった。

そこで伊豆の名物のイチゴ大福を買った。

ちょこっと寄るにはいいところだけれど、帰る時に右折ができないのが難点。

静岡方面に行くには右折したいのに、左折しかさせてもらえず、800m先でUターンせよと言われる。

しかし、800m行ってもUターンできる場所がない。

くねくねの山道で、意外と交通量もあり、相当の距離を反対方向に走ることになった。

あれはなんとかしないとなあ。

だから、そのあと関東方面に行く人にはおすすめだ。






そのあとに寄った、畑のど真ん中にある富士市のカフェ。

古民家をカフェにしたようだ。

いつも思うのだが、姉と義兄はどうしてこうもいろんな場所に詳しいのだろう。

義兄は三度の飯より出かけるのが好きで、出かけない休日はないといっていい。

いったんどこかに行くとなると、綿密に調べ、独自のパンフレットを作ったりしているらしい。

定年後は休暇アドバイザーになればいいのに。



カフェの中は、天井にどっしりとした梁がめぐっている。



どこひとつとっても、気がきいている。

ここで食べたのがお汁粉。



この写真使うの2回目。




日が暮れてきて、外で風に散った葉がかさかさと音をたてていた。

きんもくせいの香りがほのかに香ってくる。

柿の枝が、実の重さにしなっている。

車に戻り窓をあけると、どこかの家で魚を焼く匂いがした。

どこもかしこも、日本。









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2017-10-23 13:26:49 | 日記
職場のレジスターで、バッグから財布を出そうと苦戦している、白人のご婦人。

黒いこぶりのショルダーバッグで、外側にポケットがついている。

最初は手をバッグに突っ込んでいたのが、メガネを出し、ハンカチを出し、

鍵の束を出し、口紅を出し、コンパクトを出して、ようやく財布が出てきた。

使いやすそうに見えて、マチがないのと、口の幅のわりに縦が長いので

中に入れたものはどんどん底に押されてしまう。


「ほんとに使いにくいったらないわ、これ。

そういえば、空港の中を歩いていたら、向こうから同じバッグを肩にかけた女性が歩いてきたのよ」


一目で同じバッグだと気づいた二人は、すれ違うときに一旦立ち止まって


「I hate this bag!(私このバッグダイッ嫌い!)」


と同時に叫んだという。

気持ちを分かち合ったふたりは、そのまま笑顔で別れた。

「その人もいつもイライラしながら財布を出してるんだわよ」

その光景を想像したら、クスリと笑えた。






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