太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

大晦日2022 ~世代

2022-12-31 16:31:54 | 日記
日本は新年、ハワイは大晦日。
土曜日は私のレギュラーの休みなので、職場はオープンしているけど私は休み。
明日は元旦で職場はcloseで、明後日は私のレギュラー休み。三連休とは、あなうれし。

天気がいいのでいつものビーチに行った。




海水はあったかい。
アメリカ本土は大寒波だというのに、海で泳いでいるなんて、ここは別次元なのか。

一足先に年明けした日本に、LINEを送る。
元旦の午後は、姉の家に妹家族が集まるそうだ。

両親が健在だったとき、元旦には父の二人の弟家族が集まってお昼を食べた。
父は以前祖父が座っていた家長の席に座り、ご機嫌だった。
祖父母を見送り、幼かった私たちや従兄弟らが大人になって、両親がいろいろいうところが出てくるようになり、父は最後まで集まりをやりたがったが、自然消滅のように取りやめになったのは、父が亡くなる3,4年前だったろうか。
同族会社で、どうせ毎日顔を合わせている人たちと無理して新年に会う必要もなかったし、それぞれに、それぞれの事情があった。

その両親もいなくなり、今は姉と妹の家族が集まる。
父は男兄弟ばかりで、オヨメさん同士のしがらみがあったけれど、うちは姉妹ばかりだから、その点ではもっと気楽だ。
姉と妹家族は、子供たちが小さい頃から夏休みにどこかに出かけたりしていたので、いとこたちはきょうだいのように育った。
私の前夫は気難しく、私は気を遣うのがいやで、私たちは外野にいたけど。
姉の息子や、妹の娘たちがいつか家庭を持ったら、その家族が加わるのだろう。

角田光代さん著の「ファミリーツリー」。
私が最近読んだ本の中で、1番強く心に残った。読み返そうと思って、本棚に入れた。
子供がいない私たちは、夫の側も、私の側の家族からも浮いている。
私たちは何も築かず、だから何も残さない。
何かを築く困難さを知らないかわりに、築いた人が受け取るものを、私たちは知らずに終わる。
けれどそれを悲観的にとらえたことは、1度もない。
何かを築いた人がけして体験できない、「何も築かなかった」という体験をしているだけで、私たちはどちらの家族のツリーの端っこの一部であることに変わりはないのだ。

私の実家のファミリ―ツリーは、線路が切り替えられるように切り替わったところだ。




夫婦間の呼び名

2022-12-29 12:11:51 | 日記
ペットの呼び名が変化してゆく話を書いたが、夫婦の呼び名もそれぞれであったりする。

日本の場合、名前に「ちゃん」や「さん」をつけて呼ぶことが多いかもしれない。

2人だけがわかる特別な呼び名というロマンチックなのも、たまにある。
映画「スクルージ」で、主人公とクレアは出会いがしらに頭をぶつけたことがきっかけで恋人になったのだが、頭をぶつけてできたコブという意味で、クレアは彼を「ランピイ」と呼ぶ。

私の夫は名前の頭にGがつくので、「グル」及び「グルちゃん」と呼んでいるが、いつからそう呼び始めたかは覚えていない。

英語圏ではどうだろう。
最も一般的なのは「ハニー」。
ジュディスも大声で「ハニー!」と呼ぶが、アジア顔のトニーがのっそり出てくると、違和感がいなめない。
思い込みなのだろうが、「ハニー」というのは白人が1番似合うように思う。
夫も妻も「ハニー」と呼ぶが、夫が妻を「スウィーティ」と呼ぶことも多い。
じいさん、ばあさんになっても、ハニーでありスウィーティ。これこそ夫婦の理想だと私は勝手に思っている。

日本人で子供がいる夫婦だと、二人きりの間でも互いを「おとうさん、おかあさん」と呼び合う人たちがいるけれど、あれはいけない。
子供がいても、二人だけのときは夫婦に戻ってほしい。(って私が言ってもしょーもないんだが)
いつか、その話をこちらの人にしたら、「Kidding Me!(まじでか!)」と驚いていた。
「子供に向かって、これをDadに渡して、とは言うけど、夫をDadとは絶対に呼ばないよ、彼は私のDadじゃない」
いやそれはごもっとも。
でもまあ、これは日本人特有の「照れ」であるのかもしれないし。



私の母は、父のことを「さーちゃん」と呼んでいた。
私たちの前では「おとうさん」だったけれど、二人の間では「さーちゃん」。
父の名前はサダオなので、さーちゃん、なんだろうが、恋愛で結ばれた二人ならまだしも、お見合いして数回会っただけで結婚した二人が、いつどんなきっかけで「さーちゃん」と呼ぶようになったのか、不思議でならない。

お見合いのとき、どこかのレストランに行って、何かを書き留めるのにペンがない。そこで父が、
「マユズミ、持ってます?」
と母に聞いたそうだ。
生まれてこの方、化粧などしたことがない母は、それがいったい何であるのかわからなくて困ったらしい。
革ジャンで大きなバイクを乗り回していたようなお調子者の遊び人の父と、田舎出の母がどうして結ばれたのか。
父はロマンチストであったと思うけど、品行方正、真面目な優等生の母が、どうしたら「さーちゃん」などと呼ぶようになるのだろう。

仕事から帰った父は、ひとりでお風呂をつかうのを嫌って、風呂場のドアを少し開けて、母をそこに立たせて湯舟に浸かっていた。
今日あったことなどを話しながら、母も嫌がりもせずにつきあっていたのを思い出す。


自分の親のことは案外知らないものだ、と何かの本に書いてあった。
亡くなる前に、聞いておけばよかった。
長生きしてくれたのだから、聞く機会はいくらでもあったのに。
私の知らなかった若い両親のことを、もっともっと知りたかったと、今頃しみじみ後悔しているのである。






ペットの呼び名

2022-12-29 11:24:16 | 日記
私の個人的な「あるある」は、ペットの名前は変化してゆくことが多い、だ。
友人の猫のモモは、モモにゃん、モモちん、モー、もんさん、といくつもの呼び名を持っていた。

うちのチーズケーキ達とて同じ。
私はたいてい、「チ―ちゃん」(これは私の妹の呼び名と同じなので、妹は日本で頻繁にくしゃみをしているであろう)
あとは、「チー」、「ちーぽん」、メスは「ちーこ」、オスは「ちーボーイ」といったふうである。
夫は、2匹とも「チーザ―」、メスは「プリンセス」、オスは「バディ」と呼び、
チーズケーキというフルネームで呼ばれることは、もはや皆無である。

呼び名を変えようがないようなコーちゃんですら、「コーコー」、「ココナッツ」、「ココビーン」、「キューカンバー」、「ぺろろ」など、本来の名前の文字がひとつも入っていない名前をいくつも持っている。


しかし、この傾向は英語圏ではあまりみられないように思う。
ブライアンちのセイディは、いつだってセイディだったし、レイナんちのクリオも、いつだってクリオだ。
日本語では名前のあとに「ちゃん」をつけるから、それが変化して「ちん」になったり、あるいは「ぽん」になったりして、呼び名が変わりやすいのかも。

猫自身は、それほど呼び名にこだわっていないようで、どんな名前でも呼ばれるままにされている。
人家があるところに住む野良猫は、行く先々で違った名前を持っているといわれる。
「べーつに名前なんかどーだっていいけんね」
という猫のおおらかさが、またイイのである。





16年

2022-12-27 08:07:47 | 日記
クリスマスの翌日は、私たちの結婚記念日である。
10時に美容院に行って髪を切って、夫と記念日のランチを食べに「RIGO」に行った。
RIGOは日本人シェフの、イタリアン・スパニッシュレストラン。
最後に行ったのはパンデミック前だから、3年ぶりだ。

雰囲気もいいし、食事も美味しい。
こういう良いレストランが、パンデミックを生き延びてくれて嬉しい。
銀行だった建物をレストランにしているので、頑丈なドアの金庫が店内にある。

スペイン料理のタパスは、スペインの居酒屋スタイルと思えばいい。
小さな盛り付けの小皿がいろいろあって、いくつも頼んでみんなでシェアして食べるのが楽しい。
エビのオリーブオイル煮

アサリとアスパラとトマトのリゾット

写真を撮り忘れたけど、チキンシーザーサラダ。
ガーリックチーズトーストがついてくる。


この店で忘れてならないのは、ティラミス。
以前は四角く切って出されていたけど、このようにカップ入りになっていた。味は同じ。
このティラミスは、私が食べたどのティラミスよりも美味しい。
たまに品切れになっていることがあるから、私はテーブルについたら確認することにしている。

結婚記念日だからといって、何か特別なことはしない。
今日のランチだって、予約もしないで行ってみたし。

私がまだ独身だった頃、女性ばかりの異業種交流会に所属していたことがある。
四十代以上の自営業が殆どで、あとは30代のフリーランスで仕事をしている人や、私のように家族経営の会社にいる人が数人。
月に1度集まって何か企画したり、社会見学と称してどこかに行ったり、世間知らずの私には良い社会勉強の場だった。
その中に、老舗のテイラーを営むTさんがいた。
Tさんはたぶん40代半ばぐらいで、子供がいなかった。いつも素敵なスーツを颯爽と着こなして、朗らかで楽しい人だ。
他の熟女たちが、
「Tさんは結婚記念日や誕生日に、50本以上の豪華なバラの花束なんかもらうのよねー」
と、冷やかすように言うのだが、その根底に黒い嫉妬があることに私は気づいていた。
なぜか、家庭が円満でない人が多かった。
するとTさんは、
「子供がいないと、こういうことでメリハリつけないとダメなのよ」
と言った。
私はそれを聞いて、そんなものか、そうかもしれない、と妙に納得してしまったけれど、自分にいろいろなことがあってからは疑問に思うようになった。

あれはTさんがその場をさらりと切り抜けるための方便だったのか、それとも本心であったのか。
幸せでない熟女たちが、納得したのか、「チっ!」と思ったのか。

子供のいない夫婦というものを、通算27年やってみて思うのは、
そんなメリハリをつけたところで、離れたものが近くなることはなく、現状維持の役にも、立つかどうかわからないということだ。

サプライズも、バラの花束も、豪華なディナーも、プレゼントも、なんだか嘘くさい。
何日も前から、結婚記念日だねー、と言い合い、
思い立ってレストランでランチを食べ、なんということのないことを話し、うちはそれがいいのだと思う。




クリスマス2022

2022-12-26 15:11:57 | 日記
今年はクリスマスが日曜日で、ということは、金曜土曜、月曜が休みの私は四連休。
ということは、ちょうど1週間後になる元旦も日曜日で、来週末も四連休。なんとうれしや。

クリスマスの日の朝食は、義両親と共に食べるのが習わしになっている。
シュートメが焼いた、クランベリー・オレンジのスコーンはかなり美味しかった。
朝食のあと、叔父叔母がやってきて、恒例のオープンプレゼントが始まる。
今年もプレゼントの山。
本来ならばプレゼントをあげる役である世代の私が、てんこ盛りのプレゼントをもらって喜んでいるなんてね。むろん、私たちからもいろいろプレゼントを用意はしたけれど、毎年、エビで鯛を釣る状態。
社会的には立派な中年でも、家族で1番若いということは、いつまでもコドモの立場気分でいさせてもらえるのだと思う。


夕方、今年は叔父叔母の家でクリスマスの夕餉を囲んだ。
夕焼けのコオラウ山脈


叔母のラザニアと、友人のスティーブが焼いたフォカッチャ

2種類のビッグサラダ

私が作った稲荷ずし
シュートメが焼いたストロベリールバーブパイ

12名が集まって、こじんまりとクリスマスを祝う。
「普通に過ごせることが大事なこと」
親の介護で四苦八苦している友人の言葉が身に染みる。
みんな自力で動くことができて、美味しいものを美味しく食べることができて、私は自分のことだけを考えていればいいことのありがたさ。

年齢の割にはかなりアクティブで元気な義両親が、いつどういうことになるのかはわからないけれど、今ある祝福に感謝して過ごそう。