太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

慣れ、とは

2024-04-26 07:53:12 | 日記
ちょうど1週間前、遅番の仕事から帰宅したら、夫が夕食の準備をしていた。
その日はすき焼き(カセットコンロを買ったことだし)だったので、材料を切るだけだったのだが。
手を動かしながら、夫が言った。

「今日、仕事辞めてきた」

まるで、「豆腐、切っておいたから」というかのごとくサラリと。

「(* ̄- ̄)ふ~ん」

それに対して私はそう言った。

「またすぐ見つけるよ」

「そだね」

この10年余りで、私はここまできた。
最初の何回かの転職のときには、私は大騒ぎだった。
転職=あまりよくないこと、というイメージが日本人にはあったし、
もし仕事が見つからなかったら、という不安もあった。
辞めたそうな夫を説得し、不安に押しつぶされそうになり、どうしてこんなことになったのかと、考えても詮無いことで眠れなかった。
それが今は「(* ̄- ̄)ふ~ん」である。

心に波風たたぬわけではない。
でも、ここで大騒ぎをしようがしまいが、何も変わらない。
辞める理由も聞かない。
聞いたところで、もう辞めてしまったことでもあり、どうしようもない。むしろ、聞いたことでストレスが増えるのは御免である。
何がどれだけ嫌か、ということは、その人でなければわからないということは、夫と暮らすようになって身に染みていることだ。
それについて、説得したり話し合っても、もともとが違う人間なのだから、解決には至らない。

なんとなく、そんな予感はごくうっすらしてはいた。
まあまあ機嫌よく出かけていくから、このまま乗り切れるかと思っていた矢先。


私はこのことを、口に出さないようにしていた。
以前は、黙っていることができずに言いふらすことで心の均衡を保っていたのだが、そうやって自分にとってネガティブなことを共有の潜在意識にやたらと広めるのはよくないように思うようになったからだ。

数日前、マイクに会ったときに話した。マイクには何でも話せてしまう。スポンジのようにすべてを吸い取って、いらぬジャッジをしないマイクには助けられている。
昨日、日本人の友人に会った時、近況報告のひとつで話した。
彼女は、私が夫に出会う前から夫の友人だった人で、私の知らない夫も知る人だ。

「またやりよったん?」

そう言って、アハハと笑った。
胸にあった塊が、スッと溶けた。

「たくましくなったわー、昔は大騒ぎしてたやんか。
ま、あれやね、転職は趣味みたいなもんやねえ」

趣味で転職されてたらかなわないが。

「またいつもみたいになにか見つけてくるって。家があるし、シロも働いてるんやし、絵だって売ってるんやから大丈夫。
うちなんか、20万円ぐらい家賃払ってるねんで」

友人はシングルマザー。
ようやく娘が大学を出たと思ったら、車だ何だとまだお金がかかる。

私は何もなかったような顔をして、私がやることを淡々とやる。
心配しても仕方がないし、悪い方に考えれば気持ちも滅入る。
よどんだ雰囲気でいたら、それに合った現実しか起こらないのだ。
仕事中にケガをして働けなくなったとか、病気になって働けなくなった、とかではなくてよかった。
元気でいてくれたら、どうにかなる。







手直し3回目

2024-04-25 09:12:51 | 絵とか、いろいろ
遊び心で仕上げた夜のコオラウ。
仕上げたつもりになって、額装までしたが、昨日、マイクとコリンに見せて感想を聞いたあと、手直しを加えた。

最初

2回目

最後の手直し

山肌の、中心の下側。
紙の色がかなり明るくて、そこに目がいってしまうということで、暗い色の紙を重ねてみた。
やり直しができるのは、コラージュの良い点。
あとの2点と一緒に、来週、ギャラリーに持ち込む予定。




タンジェリンの剥き方

2024-04-25 08:50:31 | 食べ物とか
日本ではもうミカンの季節は終わりごろだが、ハワイでは店頭にミカンが並ぶ。
ミカンといっても日本のミカンではなく、
店頭に並ぶといっても、むろんハワイで採れるのでもない。
タンジェリンといわれるミカンは、カリフォルニアあたりからやってくる。

タンジェリンは、日本のミカンよりも小ぶりで皮が薄く、皮と実が密着している。
甘さははっきりしていて、ミカンよりも当たりはずれなく甘いように思う。

さて、その剥き方だけれど、多くの人はお尻のほうから剥く。
お尻のほうが柔らかくて、親指が簡単に入って剥きやすい。
しかし、ヘタのほうから剥くと、白い繊維のような筋が皮と一緒に剥けて、具合がいい。
おへそのようなヘタを、ポンと取る。
最初、固くて剥きにくいのを我慢すれば、あとはするりときれいに剥ける。

ミカンのあの筋を、丁寧に取り除いて食べる人もいる。
私はめんどくさいからそのまま食べるけれど、筋がないほうが舌触りがいいので、なければないに越したことはない。

昔、叔母とこたつでミカンを食べていた。
叔母は話をしながら、ミカンの筋をゆっくり取っていた。
私が2個食べ終えても、まだ最初のミカンの筋取りをしていて、見ているこちらがめんどくさくなる。

「そんなにその筋が嫌いなの?」

すると叔母は言った。

「特に意味はないけど、こうしてると落ち着くのよねぇー」

なるほど。
確かに単純作業の繰り返しは瞑想状態に近く、頭がすっきりするかもしれない。
筋を取ることで落ち着きたい人は、今まで通りお尻から、
さっさとつるりとした実を食べたい人は、ヘタから剥いてみるといいと思う。




闖入者

2024-04-24 19:32:19 | 日記
義両親の家に遊びに来ていた、隣家の3人兄弟の末っ子トレイが、いきなり我が家に乱入してきた。
トレイは7歳。
映画「ホーム アローン」の主役の男の子に、トレイは似ている。
猫たちは、普段慣れない子供に追いかけまわされて気の毒なばかり。
子供が身近にいないのは猫だけじゃなく、私たちとて同じだ。


「コーちゃんは、どこ?」

寝室のベッドのカバーの下に隠れているコーちゃんを、カバーをはがして頭をなでる。

「僕はね、ただ挨拶したいだけなんだよ」

コーちゃんは必死に我慢している。
3匹の中でも比較的フレンドリーなボーイ猫も、最初のうちはおとなしく触らせていたが、さすがに怖気づいて逃げ出し、
ガール猫に至っては、どこに隠れているやら姿が見えない。

トレイの発散する、すさまじく勢いのあるエネルギーに圧倒される。
トレイの上には、キーリーとライリーという兄がいて、彼らは雨が降っていても、庭の遊具(父親の手作り)で遊びまくっている。
まさに、電池が切れるまで。


取り繕うとか、フリをするとか、遠慮するとか、そういったことからまったく自由な子供という生き物(?)に感動する。
今にしか生きていないことに、羨望すらおぼえる。
私も、子供の頃はそうだったんだろうか。
人は、いつからそうではなくなっていくのだろう。

義父が迎えに来て、名残惜しそうにトレイは帰っていった。
滞在時間は15分ぐらいだったが、私も夫も、猫たちも疲れ果てた。
人も猫も、子供とどうして付き合っていいのか、さっぱりわからないのだ。
こんな子供が3人もいたら、毎日、思わぬことが勃発して、振り回され、自分のことどころではないかもしれない。
甥が小さかったとき、姉が言った。

「もし、いきなりこの状態を押し付けられたら、絶対無理」

つまり、生まれた時からの思い出や愛情の積み重ねがあるから、自我が出て扱いにくくなったときも何とかやっていける、ということなのだろう。


義両親は、隣家の3人兄弟をとても可愛がる。
昔の息子や孫と重なるのかもしれない。
義両親の、彼らの扱いかたが、これがまた上手で、どうしたらあんなに寛容に自然に対応できるのかと思う。
祖父母と離れている兄弟たちも、よく義両親になついていて、よくこうして遊びに来ているのだ。


今頃、家で猫の話をしているトレイの姿が目に浮かぶ。
こうして夥しい思い出を重ねていって、彼らはどんな青年になるのだろう。
子供を産まない、育てないという体験を、私は今生でしているだけで、それについてよかったとも悪かったとも思うことはないのだけれど、時折、もし子供がいたら、という想像しようもないことを思うことがある。








Vickiと約束

2024-04-18 07:38:59 | 絵とか、いろいろ
友人のVickiはグラスアーティストだ。
近年、材料のガラスがどんどん値上がりしているうえに、ハワイまでの送料もばかにならず、ガラス以外の分野を模索中だ。
専門はガラスでも、アーティストだけに、絵を描いても、なかなかに味のある良いものを描くし、写真も、どうしたらこんなにいいものが撮れるのかというものを撮る。

私が、今は技術的には進歩したけど、プロになる前に創った作品のような勢いや自由さを失ってしまった、という話をしたら、Vickiはおおいに賛同した。

「わかる!!だって、これら、みーんな商業用だもの」

素敵な絵や、写真のカードや、ガラスを指さして言う。

「生活していかなきゃならないから、売れるものを作るのは仕方がないとわかっていても、嫌になることあるよ」

そんな中で、私の3作目のコオラウは、失敗作を遊び心で仕上げたもので、ワクワク感が違った。プロになって初めて、売れる売れないを考えず自分のためだけに創ったものだったからだ。
ちなみに、そのコオラウは手直しされて、こうなった。
ビフォー

アフター

右端の水平線に、染めた紙の色具合で島のように見えてしまっているところを修正したのと、雨上がりだけに現れる滝を加えてみた。
先に創った2作品は完全に売る用だけれど、これは自分用。
でも、軽い気持ちで、これも出してみてもいいかな、と思っている。


「すっごいいいこと、思いついちゃった!!」

Vickiが言う。

「今年が終わるまでに、一つ、自分のためだけに何か創ろう。
それでお互いに見せあおう。いいと思わない?」

それはいい!
自分のためだけに、創る。
それは、実はとても贅沢なこと。
プロになる前には気づかなかった、いや、プロになったからこそ気づいた最高の贅沢。
貴族をパトロンに持った画家たちも、聖堂にフラスコ画を描いた画家たちも、たぶん求められるものを生み出さねばならなかったのではないかと想像する。

何をつくろう。
今からワクワクしている。