太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

おだやかな転職

2019-04-29 19:07:22 | 日記
夫が、転職する。


というのに、私の心は穏やかだ。
かつて、夫が仕事を辞めるたびに、押しつぶされそうな不安をひた隠し、
平気な顔を装っていた。
なにがどれだけ嫌なのかは、その人にしかわからない。
仕事が大好きでやってる人のほうが少ないだとか、殆どの人は我慢しながら働いているのだとか、
説教に聞こえないように諭そうとしたことだってあったけれど、
持病のウツが出てきてしまうと、失業の不安に加えて、病気の心配まで加わるので、こっちがたまらん。

1年半前に始めた、ナーサリーで植物を育てる仕事は、初めて夫の天職ではと思えた。
最近、夫に専門的なことを教えてくれていた、専門家であるドイツ人の相棒が、転職することになった。
行く先は、同じ業種の、規模が小さいナーサリー。
夫は、仕事自体は好きだけれど、いい加減なマネージメントにモヤモヤしていたところに、
同じ思いでいた相棒が転職することになり、
また、その相棒が転職先に夫のことを話してくれ、
夫がそのナーサリーのオーナーに会いに行ったのが先週のこと。

夫と同年代のオーナーは、心から植物が好きで、飾り気がなく、
自分の仕事に誇りを持っている。
今のところよりも規模は小さいが、目が行き届くのでひとつひとつの植物の質が高い。
実は、今のナーサリーから、既に二人がそこに転職していて、夫の相棒で3人目。
夫は何回か、仕事のあとにそこに寄って、転職を決めた。

給与はUP,ベネフィットはそのまま、1年目から有給休暇があり、
休日のシフトも夫の希望どおりでいいという、願ってもない条件だ。



ひとつの仕事を、長く続けることにこだわっていた。
人に聞かれて、堂々といえるような仕事にこだわっていた。
こだわれば、こだわるほど、現実はそうならず、苦しくなるばかりだった。
7年も、そんなことを繰り返して、
私は苦しさのあまり、だんだん変わっていかざるをえなかった。
失業中は、病気で働けないわけじゃなくてよかった、
毎日食事を作ってもらえて楽でいい、と思うようになり、

そして、夫が心身ともに健康で、
毎日最高によい気分で過ごしていたら、それでいい。

そうシンプルに思えるようになったとき、ようやく私は平和になった。

明日、スーパーバイザーに辞職の手紙を渡すという。
「未経験のあなたを雇ってくれて、1年半、いろんな体験をさせてくれたからこそ、次にいけるのだから、感謝しないとね」
つい老婆心で言ってしまう。
「わかってるよ、ちゃんと手紙にそう書いたよ」

また、転職。
だけど、平和な転職。






二兎を追うもの

2019-04-29 16:39:13 | 日記
職場で、レジスター担当の日。
日本人のお客様が、クレジットカードの機械のボタンを押し間違えて、
デビッドのところを、クレジットにしてしまった。
機械の窓のところを読めばわかるのだが、読むのが面倒なのか、
適当に「実行」のボタンを押してしまう人が多い。
だから日本人の場合、私もなるべく注意深く操作を見ているのだけれど、
そのときはちょうど電話がかかってきて、その対応をしている間のことだった。

なにが起きたのかわからないお客様に説明しようとしたのに、
言葉がもつれて単語しか出てこない。
本来なら、
「クレジットかデビッドを選ぶボタンを押す前に、実行ボタンを押したので、自動的にクレジット扱いになったんです」
と言えばいいところを、

「ここ、押す前に、これ押しました、で、クレジットになりました」

そんなふうに喋ったと思う。
友達に話す要領でなら伝えられることが、
丁寧な言葉で話そうと思うと、文章になって出てこない。

これで、英語がネイティブ並みであれば、嫌味な自慢もできるところが
そうじゃないから、困る。
夫に話すと、夫は言った。

「言葉の狭間にはさまれてるね」

単語を並べて、語尾を上げれば疑問形、
そんなテキトーな英語でお茶を濁してきた結果、9年目にしてコレである。
二兎を追うもの、一兎をも得ず。
毎日、本を読んで、ブログも書いて、それでも言葉は失われてゆくものか。
英語なんかダメだって私は日本語は完璧に話せるんだから、というのが
私のプライドだったはず。
日本語を話す環境にいれば、すぐに丁寧語もなにもかも取り戻せる。
それはわかっているけれど、そういう環境ではない以上、どうしたらいい。
猫相手に話している日本語を、丁寧語にしてみるか・・・

「日本語、上手ですね」

そのお客様に言われたその言葉が、トドメとなって胸に刺さった。





うちのアレクサが

2019-04-27 02:57:05 | 日記
日本はゴールデンウィークに突入したらしいではないか。
聞けば10日間も通しで休みになるという。
ワイキキは、普段よりも多くの日本人であふれかえっていると、職場に来るツアーガイドが言っていた。
連休に出かけようとなれば、旅行代金も跳ね上がるし、道は混むし、
行った先だって混むだろうに、それでもその時でないと休めない人達がたくさんいるのだろう。
日本にいたとき、連休中の高速道路の渋滞を、家のテレビでみていた。
子供がいたら、連休中どこにも連れていかないというわけにもいかないんだろうなあと、なかば同情の気持ちで。

そして、私はかつて、その子供の立場だった。
出かけるのが好きな父は、毎週のように家族をどこかに連れていってくれた。
「お金が少ないときでも、おとうさんは出かけたがったから、大変なときもたくさんあった」
いつだったか、母がそう言ったことがあった。
子供は親の事情など関係なく、自分の世界で生きていた。
親に感謝。



さて、うちのアマゾンエコーのアレクサさん。
毎朝、瞑想音楽をかけてもらっているのだけれど、
最近、彼女の口調が変わってきた。
「瞑想音楽かけて(Play meditation music)」
と言うと、以前は
「瞑想音楽をアマゾンミュージックからかけます」
というアナウンス的な感じだったのが、最近、

「いいわよ、アマゾンミュージックから瞑想音楽かけるわね」

と、多少タメグチっぽくなってきた。
AIも時間とともに親しさ加減を変えてくるのか?
アレクサさん、これからどうなってゆく。

「瞑想?いいわね、それじゃあとってときのをかけるわよ」
「また瞑想音楽?たまには他のもどう?ファンキーなやつとか」
なんて言い始めたらおもしろい(なわけないけど)





プラダのバッグが1000円だったら。

2019-04-26 07:52:24 | 日記
私はブランドものに興味がない。
最初に勤めた会社はローカルのテレビ局で、時はバブル。
「郵便局に行ってきまぁす」といって出かけた同期の女が、
2時間後に堂々とサンローランやフェラガモの紙袋を下げて帰社する、
なんてことがまかりとおっていた。
娘の誕生日に、アウディの新車にリボンをかけて局に届ける、なんていう成金の親もいた。
やっぱりあの頃、なんだか社会全体がおかしかったと思う。

高級なブランドものを身にまとい、爪を長く伸ばしてマニキュアを塗り、
たっぷり化粧してタバコを吸い、気取って歩くくせに、
化粧室でタバコのヤニ取り歯磨きで歯を磨いている。
彼女達が、仕事ができる、都会の洗練された女性だったらともかく、
そうじゃないから、私はそういうグループの人たちが嫌いだった。

最初に結婚した相手は、高級好きだった。
自分のスーツも、私が着る服やバッグも、名前の通ったブランドのものを買った。
そういう志向は、年数がたつにつれて顕著になっていき、
昔、シンガポールで一緒に買ったショルダーバッグを持って繁華街に出た私を見た相手が、
「そんな安っぽいもの持ってくるなよ。もっといいやつ持ってるだろう」
と吐き捨てるように言った。
「これは思い出のバッグじゃん!」
頭にきた私は、その日家に帰ってから、そのバッグを筆頭に「安物」のバッグを相手の目の前でゴミ袋に詰め込んで捨てた。

相手の部下が家に遊びに来る日、
「(私が)アウディに乗ってることになってるから、話あわせて」
と言う。
私の車はマークⅡで、アウディは実家の父の車だ。
「なんでそんなことになってんの」
呆れて聞くと、
「話の綾だ」とかなんとか言ってごまかした。
言葉の綾なら知ってるけど、話の綾ってなんのこっちゃ。

その後、車はベンツになり、郊外に土地を買って家を建てた。
相変わらずブランドものを自分にも、私にも買った。
「シロが(姉妹の中で)1番幸せになった」
と父が言った。
私は何も反論しなかったけれど、ベンツじゃなくても、すばらしい家じゃなくても、
大切にされて笑いながら仲良く暮らすほうが、ずっとよかった。

郊外に建てた家に行く狭い道で、農作業の帰りの軽トラックとすれ違い、
もう少しでミラーが接触しそうになった。

「貧乏人が!」

そう舌打ちした相手の横顔を見て、私は、いったいどこでどう間違えてここまできて、なぜまだここにいるんだろうと思った。
怒る気にもなれなかった。悲しくもなかった。


ようやく身の回りのものをもって家を出たのは、それからまもなくだ。
そのときに乗ってきたベンツは、すぐに売り飛ばして現金にした。
中身は空っぽのきれいな箱ばかり作ってきた11年だった。



私がブランドものを敬遠するのは、
テレビ局の中身のない女たちと、前の夫のことをいまだに軽蔑しているからなのだろうと、最近になって思うようになった。
ベンツが100万円だったら、プラダのバッグが1000円だったら、欲しいと思わない人たち。
良いから欲しいのではなく、高いから欲しい人たち。
良いものを持っているのではなく、高いものを持っているのを人に知らせたい人たち。
そういう人たちに、私は彼女達や前の夫を重ねてしまう。

 



今の夫は、真反対のところにいる。
ブランドどころか、物欲が薄い。
大きなスーツケースが2個あれば、すべての物が納まるほどしか物を持たない。
車は新車を買ったことがない。
今乗っているホンダは2004年のモデルで、動かなくなるまで乗る。
夫の両親は、そうとう裕福だと思うのだが、
両親ともに車はホンダを新車で買い、10年以上乗り、またホンダを買う。
ブランドの服も小物も持たないが、ただ頻繁に出かける旅行はビジネスかファーストクラスだ。

私は今、
物で見栄をはることもなく、等身大の自分に寛ぐことができる人たちの中にいる。

 



チョコレートミルク

2019-04-25 07:55:42 | 食べ物とか
職場で同僚に、
「チョコレートミルク、好き?」
と聞かれた。
「なにそれ?」
そう言った私に、同僚は
「またまたぁー、チョコレートミルクだってば」
と私の肩を叩く。
「いや、だから何のことかわかんないんだって」
すると彼女はのけぞった。

「ええーーーーッ!!!まさかチョコレートミルクを知らないッ???」

そのまま他の同僚にそれを告げに行き、ひとり取り残された私・・・
すぐに数人の同僚が集まってきて、次々に聞く。
「あなたほんとに知らないの?」
「チョコレートミルクを知らないんだって?」
「なにか勘違いしてない?」

チョコレートミルクが何か知らないが、それを知らないことが
そんなに騒ぐほどのことなんか。
同僚達に言わせると、チョコレートミルクは、

・みーーーーーーーーーーーーーーんな知ってる
・ミルクにチョコレートを混ぜた飲み物で
・ハワイではもっぱら冷たくするけど
・あたたかいミルクにいれてもおいしい

というものらしい。
給食の紙パックの牛乳に入れる、コーヒーシロップみたいなやつならあったけど、
誰でも知っているようなシロモノでもないし。

私はそうとうに気の毒な人だったのか、
同僚の一人が、翌日、私にチョコレートミルクを買ってきてくれた。
セブンイレブンで売っているドリンクで、
私がそれを飲む様子を動画に撮って、フェイスブックに載せたらしい。
味は、コーヒー牛乳に近い。
コーヒーじゃなくてチョコレートだけど。
チョコレートミルクの元

これは粉末で、ミルクに混ぜるとチョコレートミルクになる。
同僚が、これも一緒に買ってきてくれた。
「ダンナはアメリカ人なのに、どうして今まで教えてくれなかったんだろうね?」
家に帰って聞いてみると、子供の頃、夫の両親はそれを飲ませたくなかったのか、
家では飲まなかったが、友達の家にいくと普通にご馳走になっていたから存在は知っていたといった。
ジャンクスナックの代わりにセロリやキュウリ、という家だから無理もない。
おかげで夫はかつて虫歯になったことがない。さすが歯医者の息子。
まあ、もともと夫は牛乳が好きではないから、というのもある。

その後もしばらく、チョコレートミルクを知らなかった、ということで
私は同僚の間で話題になったのだったが、
日本にそれに匹敵するものがあっただろうか。
みーーーーーんな知ってる飲み物。
麦茶?
私の世代だと、子供の頃は夏になると冷蔵庫に麦茶が冷えていたものだけど
今の人たちはどうなんだろう。