太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

4年ぶりの日本  ハワイへ

2023-12-21 08:30:48 | 旅行
日本からハワイへのフライトは6時間半ほどで、往きの9時間半に比べたらずっと楽。
もう1本映画を観たかったのに、というまに着いてしまう。
飛行機を降りて荷物を受け取り、空港の外に出ると、湿り気を帯びた暖かい風が吹いていた。
迎えに来てくれた夫の車に乗り、トンネルを超えると、一面が緑に覆われた我が村に突入する。
日本とハワイでは光の量と質が違うから、色が違って見える、と聞いたことがあるが、それは本当だと思う。
空も山も建物も、道行く人でさえ、日本とは違って見える。


日本にいると、言葉は通じるし、便利だし、なんでもあるし、食べ物は美味しいし、広いし、物価は安いし、姉妹や友達にもいつでも会えて、医療も介護も充実していて、住んだら楽だろうなと思う。
けれど、英語しか使えず、不便で、美味しいものには限りがあり、狭苦しく、物価はバカ高く、姉妹や友人とも離れ、医療も介護も一部の裕福な人たちにしか恩恵がないハワイに降り立てば、やはり私はここが好きだと思う。不便なことや、ないもののほうが、あるものよりも遥かに多い、このハワイが。
なぜそう思うのかは、わからない。
夫と出会うまでは、私にとってハワイは好きでも嫌いでもない場所、取り立てて考えたこともない、つまりはどうでもいい所だったのに。

「日本に帰る」のが、「日本に行く」になり、「ハワイに帰る」になったのは移住して、何年目ぐらいだったろうか。
前の職場で、旦那さんの仕事でハワイに住んでいる日本人の同僚が、ハワイが嫌で嫌でたまらない、と言っていたことを思うと、私はなんとツイていることだろう。


ハワイに帰ってきた翌日は仕事だったのだが、私の英語脳のスイッチがうまく入らなくて愕然とした。
移住した直後は、常に英語脳スイッチがONになっていて、たまにショートしてしまい、簡単な英語文さえ意味がわからない、という状態になってしまう。英語脳のスイッチをうまくON・OFFできるようになると、OFFの時には耳に入って来る英語はただの音になる。

日本に滞在したのはほんの1週間。夫が一緒なら、夫とは英語を話すけれど、今回は一人で行ったので日本語のみ。
かろうじて、1日に1度夫に電話をした時だけが英語を使う機会だった。
日本で温泉に行った時、旅館のクロゼットから浴衣を出し、私が

「寒いから丹前も持って行こう」

と言うと、友人が驚いた。

「え!なんで丹前なんて単語が出てくるの?言われるまで名前が出てこなかったよ」

日本ではすっかり日本語スイッチ全開になっており、自分でも忘れていた単語が自然に出てきたのだと思う。
出てくる、出てくる、衣文かけも出前もズック靴も。(しかし古い言葉ばっかり・・)
そしてそのまんま、ハワイに戻ったら、なかなか英語脳に切り替わらないというわけなのだ。

所詮、私の英語は付け焼刃。高校時代の授業までの知識で(それもいい加減)、あとは人が話すのを真似てお茶を濁しているのだから、1週間でも使わないでいると忘れてしまうのかもしれない。
あれから1週間。
なんとか英語脳スイッチが元に戻りつつある。

日本で買ったものや、お土産にいただいたものを、少しずつ食べたり使ったりしながら、日本を懐かしく思い出している。








4年ぶりの日本  富士山周遊

2023-12-20 11:00:31 | 旅行
土曜日は、妹が休みをとって静岡に来て、義兄の運転でドライブに行くことになった。

義兄は昔から出かけるのが大好きで、いろんな場所を熟知している。
今回も、いくつかのコースを考えてくれた中で、富士山周遊に決定。実家からも富士山は見えるけれど、やっぱり近くでドーンとしたのを見たい。
雲一つない冬の空。
まずは白糸の滝へ。
ここには夫と二人で来たことがあったが、すっかりきれいに改装されたお土産物屋スペースには、以前の面影はない。
その中にも昔ながらの土産物屋もいくつか残っており、そのひとつで、夫にTシャツを買った。
妹が、
「うーん、これは・・・」
と首をかしげる。
「いや、これは絶対好きだよ。見てな」
案の定、夫はとても気に入って、毎日着ている。ガイジンが好きそうな日本のものだったら任せとき。
音止めの滝

白糸の滝

橋から滝を眺める私たち

ちょうどお昼時になり、白糸の滝にあるお店で富士宮焼きそばを食べた。

前の夫が富士宮市出身で、昔は富士宮焼きそばをよく食べていた。静岡の人が、駄菓子屋の隅でおでんをつつく感じで、富士宮の人はおやつに焼きそばを食べるそうだ。
麺はしっかりめで、具はキャベツと豚肉かイカゲソ、肉カスと呼ばれる具が富士宮ならではかもしれない。肉カスとは、豚の背脂をとったあとのカスのこと。
焼きそばを焼く脂はラードで、ソースは濃厚な味。ラードと炭水化物だから、これは太るやつ。でも、久しぶりに食べたら、やっぱり美味しかった。

富士吉田の浅間神社

この鳥居を通って、ずっと歩いて行くと、富士山の上り口があるという。
昔の人は、富士吉田に宿泊して、白装束に着替え、杖を持って富士山に登ったのだ。
富士宮の浅間神社には何度も行ったが、ここは初めて。
ここだけ空気が違っていて、清浄な雰囲気に包まれていた。

そのあと、忍野八海に寄り、山中湖を回って静岡へ戻った。
忍野八海は私が行きたかったところだけれど、行ってみたら9割がたがアジア系外国人で、押すな押すなの大混雑。
ゆっくり池を見るような雰囲気でもなく、サーっと駆け足で回っただけ。


山中湖に来ると必ず立ち寄るカフェ、ペーパームーン。
ここのチェリーパイが絶品。

日が高いうちに静岡に戻り、夕食までの間に、妹にマッサージをしてもらう。
妹はマッサージセラピストなのだ。
私の左肩に鎮座するゴルフボール大の塊が、車に乗っている間に妹がそっと表面を撫でていただけで消えてしまった。
夫に力任せに押してもらったり、ロミロミに行ったりしていたが、皮膚の下にある全身スーツ(?)の表面を緩めてあげればいいのだそうだ。

夕食はすき焼き。
妹のダンナと、1番下の姪が合流して、楽しく過ごす。
姪や甥が大人になって、家を離れたりして、お正月でもなければ昔のように全員が集まることは難しくなった。
親がいなくなり、姉妹とその連れ合いだけの家族になっていく。
私たち姉妹は親友のように仲がいいけれど、どの姉妹もそうだというわけではないことを、外の世界に出て知った。
私に姉妹をくれた両親に、心から感謝している。







4年ぶりの日本  夢の吊り橋

2023-12-18 06:48:32 | 旅行
3日目は、友人と一泊で温泉に行った。
静岡県には静岡県だが、榛原郡川根本町にある、寸又峡という山奥の温泉である。細い山道を延々と登ってゆく。
場所を決めるとき、車で30分ぐらい、あるいは電車で1時間以内で行けるところにしようとしたのだが、友人の、

「そこは方角が悪いのよぅ」

という一言で却下になり、彼女的に「方角の良い」ところにしたら、ここになったというわけ。
小さくとも会社を経営している彼女は、方角も気になるところなんだろう。

この友人とは地方テレビ局時代からの40年来の付き合いである。
私の人生一発逆転ドロドロ期に、彼女も厳しい時期にいて、手を取り合って乗り越えてきた仲間だ。
すったもんだの挙句、私が意を決して離婚届に判をもらうために家に乗り込む(当時私は家を出て実家にいた)時、「刃傷沙汰になると困るから」と言って、庭の植え込みの陰で待っていたくれたことなど今は笑い話だ。


くねくねの林道をひたすら上ってゆくこと、2時間あまり。
「翠紅苑」
ああ、これぞ日本旅館。

紅葉はほぼ終わっていたけど、名残の紅葉をみることができた。
宿の近くに「夢の吊り橋」と呼ばれる橋がある。少し雨も降っていたので、見るだけ見てみよう、ということで歩き出した。
ココは吊り橋に行く他にはなーんにもない、のどかなところなのだ。
夢の吊り橋

舗装された道を20分ほど歩き、トンネルを通ってしばらく行くと、吊り橋が見えてくる。
以前ここに来たのは40年ほど前だったが、その時にはこんな金属の歩道はなかった。
その歩道に、「ここで待ち時間90分」と書かれた札があり、混雑時には長い列ができるのだろう。
この日は私たち二人の他に数人の人がいるだけで、そんな混雑は想像もできないが。
雨も上がっていて、見に来ただけのはずが、何となく橋を渡ってしまった。

「渡ったら、戻ってくればいいよね」

実はここは一方通行で、渡ったらその先に進んで大回りをして戻ってこなければならないのだが、誰もいないことだし、橋を往復すりゃいいと思った私たちは、すっかり吊り橋を舐めきっていた。
友人も以前にここに来たのは大昔過ぎて、その橋の怖さなど二人とも忘れていたのだ。
渡り始めたら、その高さといい、揺れ加減といい、怖いの怖くないの・・・
橋の真ん中で写真を撮ろう、と言ったのはどっちだ。
足元の板の幅は30センチもない。眼下遥か下に見える水面に向かってめまいがするし、手すりから手を放して携帯電話など取り出したら、電話もろとも落ちそうだ。
それなのに、ずっと前をいく中国人カップルは、止まって写真を撮っているではないか。
「早く行ってくれ!!」
あまり下を見たくないが、それでも踏み外したら困るから木の板だけを見るようにしてヨロヨロ歩いている間にも、山間を抜ける風が橋を揺らす。渡っている時には恐怖で一言もしゃべらず、向こう岸が見えたら、もう小走りで渡り切った。

這う這うの体で渡り切った目の前に、

『この先340段の階段あり』

の表示。「ひえーー😱」と思ったが、もう一度吊り橋を渡るよりはマシかと、仕方なしに狭い山道を上り始めた。
これは夢の吊り橋というより、恐怖の吊り橋だ。
「心臓と肺が口から出てくるー」などと言いながら階段を上り切ったあとは、舗装された道を歩いて、宿に戻り、冷え切った身体を温めようと温泉に入った。
温泉は無色透明で、肌がつるつるする良いお湯だった。
露天風呂のお湯の表面に、真っ赤な紅葉の葉が浮いているのが風情がある。
美味しい夕食を済ませ、2回目の温泉に入っていたら何やら太鼓の音が聞こえてきた。

「そういえば、今夜はイベントがあるから、よかったらどうぞって言ってたよね」

ロビーで30分の民話を聴くのと、インド舞踊、和太鼓をやっていて、15人ほどの人達が集まっていた。
ああ、この田舎っぽいのがたまらなくいいなあ。
パリッと糊が聞いた布団の清潔な香りを嗅ぎながら、ぼそぼそとおしゃべりしつつ、いつの間にか寝てしまった。

翌日は、島田市を通って帰ることにする。
途中で立ち寄った「音戯(おとぎ)の里」は、様々な音を愉しむ体験型施設で、入場時に聴診器を渡され、それを使っていろんな音を聞く。
入り口に「まちがい探し」の絵がいくつか並んでおり、楽勝楽勝と言いながら答えていくが、最後の問題の、10個あるまちがいのうち2個がどうしてもわからず、脳が痛くなってきたのでズルをして先に進む。

「これって認知症のテストみたいだよね・・・」

そう思ってしまうのは被害妄想か。
小さな子供がいたら楽しめる施設だろう。館内は貸し切り状態だったし、還暦間近の大人もけっこう楽しく遊べた。

どこかでお昼を、と思っていたらこんな看板を発見。
大村崑さん!まだご健在らしい。

水原ひろしさん!!とっくに鬼籍に入られた。
さすがにこの方の名前は出てこない。姉に見せたら一発で名前を言い当てた(が、忘れた)

昨日も今日も、なかなか会えない友人と思い切り過ごすことができた。
これは一人で帰国することの良さ。
夫がいても友人とは会えるけれど、やはり気をつかってしまう。

明日は義兄、姉、妹と富士山周遊ドライブにいく。










4年ぶりの日本 日本の小型車にたまげる

2023-12-15 07:40:11 | 旅行
二日目と三日目が前後してしまった。この記事は二日目。

日本到着翌日は、この旅の目的のひとつでもある免許証更新に行く。
妹が仕事の休みをとって、今日1日つきあってくれることになった。妹の1番下の娘も休みだとかで、ついてきた。
まずその前に、両親のお墓に行った。
両親がお墓にいるとは思えないんだけど、それでもやっぱりお墓参りはしたい。
空は高く晴れわたり、空気はひんやりしているが、日差しは強い。
外にいると汗ばむほどの、典型的な静岡の冬。

お墓の近くにある父の会社に行き、叔母に会う。
数年前に退職した事務員さんも、たまたま近くにいることがわかり、合流して昔話に花が咲く。
そこへ従兄弟がやってきて、急遽、今夜夕食を共にすることとなる。



今回の免許更新にあたって、実家の住所の番地を変更するという課題があった。
15年ほど前に、姉一家が実家のあった場所に2世帯住宅を建てた際、番地が変わったらしい。
たとえば1-2だったのが、1-3になり、市から「1-3」と印字された金属のプレートも送られてきたらしいのだが、父はそれを「なんだこりゃ?」と捨ててしまったらしいのだ。
父は、姉一家は1-3、両親は今まで通り1-2、と宣言し、事情を知らない姉一家はそのとおりにしていた。

それが4年前、父が亡くなって、土地の名義を変更する際に、1-2はとっくに実在していなかったことが判明。
それでも1-2で郵便物は届くのだが、運転免許証は重要なIDであるので、住所は直しておいたほうがいい。

住所変更には住民票か保険証、公共料金の請求書が必要なのだけれど、私はどれも持っていない。必要なものの最後に、新しい住所宛に届いた、切手に消印のある郵便物、とあったので、日本の友人に頼んで手紙を出してもらうことにした。
それを持って警察署に行き、事情を説明すると、

「少々お待ちください。上司と相談してまいります。こういうケースは初めてですので・・」

しばらく上司と相談していたが、戻ってきて、友人が送ってくれた手紙をコピーし、めでたく住所番地変更して新しい免許証を受け取った。ありがたいことに、今度の免許証には次回の更新日が西暦で書かれている。今回も平成35年と書かれていたのだが、日本以外に住んでいるとまったくわからなくて困るのだ。


妹が乗っている小型車が、すごかった。
道を走っていて、以前に来た時よりも軽自動車の数が俄然増えていると感じた。4年前に来た時は、家族で乗れるボックスカーのような車が多かったように思う。
軽は色もデザインもたくさんあって、どれも魅力的で乗りやすそうだ。

妹がシフトをバックにしたら、画面にリアーカメラの映像が映る。ここまではハワイの車にもある。(私のには、ない)
ところが、画面の半分は、俯瞰した映像が映るのでたまげてしまった。

「ど、どこにカメラがあるのさ??」

思わず写真に収める。
俯瞰図だと、両側にどの程度の距離があるかが一目瞭然。
ハワイでも、ベンツには同じものがついているそうだけど、まさか軽自動車に装備されているとは、日本はスゴイ。
ドライブレコーダーは標準装備で、バックに入れて強くアクセルを踏むと自動的に車がとまるシステムもあるそうだ。

日本には、ハワイではありえないほど狭い道が多い。どう見ても一方通行だろう、という道が平気で両側通行で、すれ違うときに思わず車の中で体を横にずらしてしまう。
軽自動車はそんな道にもぴったりだし、天井も高くて乗り降りしやすい。こんな車がハワイにあったら、私は乗りたいと思う。


お昼は天ぷら蕎麦を食べ、お茶のときには栗が食べたかった私はモンブランを食べ、伊勢丹で新しい冬のコートを買い、無印良品に行き、日本に行くと必ず買う「印伝」をしこたま買った。
甲州の特産品「印伝」のカードケースやお財布が、贈り物にするととても喜ばれるのだ。夫も私も財布は印伝で、何年使ってもヘタれない。

従兄弟が行きつけの店で、妹、姪とで夕食を食べた。
子供の頃からよく遊んでもらった従兄弟も65歳をいくらか過ぎ、来年にはリタイアすることにしたと言う。
娘の結婚式で、娘に
「私は母に育ててもらったようなものです。父はいつも家にいなかった。おかあさん、ありがとう」
とスピーチされたと今でも根にもっているが、仕事で忙しかったのはたぶん3割ほどで、あとは遊びで家にいなかったのだから自業自得。
そういう人は老けないのか、従兄弟は50代に見える。調子に乗るから言わなかったけど。


夜は再びセブンイレブンにお参り(?)して、寝た。
明日は温泉に行く。





4年ぶりの日本 藁つとワークショップ

2023-12-15 07:23:36 | 旅行
2日目は、遠方に住む友人が実家まで来てくれた。
藁細工の作り方を教えてくれるというので、材料をたくさん抱えて、ミニワークショップの始まりィ。
生徒は姉と私。
左が姉、右が友人

なんと野良着も持参。

柚子を並べた藁つとや、唐辛子を編みこんだもの、クリスマスやお正月に飾れるリースを作成。
濡らした藁を編みながら作るのだが、これが楽しかった。
持って帰りたいけど果物などはハワイに持ち込めないので、私の分は和菓子屋をやっている妹にあげることにする。

お昼は友人と姉と3人で、浮世絵にも描かれているという老舗の「丁子屋」でとろろを食べた。
35年ぶり(!)ぐらいに丁子屋に行ったが、大満足の美味しさ。
大河ドラマが家康だそうで、家康ゆかりのツアーで静岡には旅行者が多く、週末には待たずには入れないらしい。平日のこの日も、それでもテーブルが8割がた埋まっていた。
食事を終えて、部屋を出る時(広い畳部屋にいくつもテーブルが置かれている。昔のままの板敷でも食事ができるが、今回はこちらの部屋)姉が、
「ちょっと!」
と小声で言い、私の袖を引く。姉の目線の先を見て驚いた。
入り口近くのテーブルにいた母娘連れの母親が、私たちの母に瓜二つ。
横顔しか見えないが、輪郭や髪型、少し猫背の姿勢も、洋服の感じまで、80歳ぐらいの頃の母にそっくりなのだ。

「おかあさん、とろろ好きだったから、一緒に来ていたのかも」

現実主義の姉ですら、そう言うほどで、母に会えたような気がした。


丁子屋の近くにある、体験型施設「匠宿」。
ここは以前から知っていたけれど、行くのは初めて。静岡名産の竹細工や、染め物、ステンシルを使った小物作りなど、申し込んでおくと1時間ほどで体験できる。
その場で申し込めるものもあって、時間にゆとりがあったら是非やってみたい。ショップやカフェもある。カフェのコーヒーが870円・・・ここはハワイか。


そのあとは日本平へ。
清水港を下に見えるこの富士山が私は好きだ。
日が高いうちに撮った富士山は、色が飛んでしまってきれいに映らなかったけれど、夕暮れ時にはこんなふうにはっきり映った。
日本平ホテルのカフェで一休み。私はここでも栗。どんだけ栗が食べたいんだって話だけど、ハワイには栗がない。きっとアメリカには栗の文化がないのではないかと思う。
人に言っても、「栗?ふーん、栗って食べるんだー」程度で、栗に対する温度が低い。
『和栗のモンブラン』なんて書かれていたら、素通りできるはずがない。

夕食は、友人と二人で近所の鰻屋へ。
子供の頃から、鰻といえばココ。
むろん、美味しい鰻もハワイにはない。私が食べたいものに友人をつき合わせてしまい申し訳ない。

遠路はるばる訪れてくれた友人に、感謝。
友人は現在、介護の真っただ中。そんな中で時間を割いてくれたのだ。
彼女とは、美大時代からの42年来の友人だ。
最後に会ったのはいつだったか思い出せないほどだけれど、LINEというテクノロジーのおかげで繋がっていられるし、何年ぶりでも、まるで先月会ったかのように感じるのは嬉しく、ありがたいことである。
『これ(介護)が終わったらハワイに行くぞー!』
そう言い始めた頃は、きっと還暦にはハワイに来れるよ、と思っていたのに、あっという間に還暦目の前。
この山を乗り切って、元気にハワイで会える日が待ち遠しい。