太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ポリデントがある生活

2019-06-28 07:53:25 | 日記
夫が、久しぶりに歯医者に行った。
義父が歯科医をリタイアしてからだから、4年ぶりである。
今、かつて義父のオフィスだったところを切り盛りしているのは
三十代の若き医師のクリスだ。
私はいろいろと歯に事情があるほうなので、
必ず検診には行っていたのだが、虫歯になったことがない夫は
いくら言っても腰をあげない。
が、先日、前歯の先のほうが少しだけ欠けた。
言われてもわからないぐらいなのだけれど、これを機会にむりやり予約を入れて、行ったのだった。

虫歯はなし。
欠けた前歯は歯ぎしりが原因らしい。
ドラッグストアに寄って、歯の型を取るキットを買ってきた。
私も歯ぎしりをして奥歯が痛くなったことがあり、
同じキットで自分で歯の型をとり、マウスピースを作ったのだが
毎晩それを口に入れて寝るのは違和感があるし、
1週間もしないうちにめんどくさくなって、放ってある。
夫はクリスに言われたとおり、ちゃんと毎晩それを歯にかぶせて寝ている。
そして、そのマウスピースを保管しておくのに使うのが、これ。

ポリデント

日本にも、あるよね。
入れ歯をキープしておく、あれ。
錠剤を水に入れて、その中に樹脂のマウスピースを入れて、昼間は保管する。
もちろん、水も錠剤も毎日換える。
アメリカでも、これは入れ歯にも使う。
入れ歯じゃないけど、
なんだかいよいよポリデントがある生活になってきた、
という感慨がないでもない。


いくとき

2019-06-27 07:59:34 | 日記
ノースショアで、スカイダイビングをする小型飛行機が墜落して
11人が亡くなるという悲惨な事故が起きた。
6人はスカイダイビングの会社の社員で、ベテラン揃いだ。

旅行者の中に、アメリカ本土からきたカップルがいた。
1年前にハワイで結婚式を挙げて、1年目の記念日で再びハワイに来た。
その人たちのご両親の話では、スカイダイビングをしたいと言うので
止めたのだという。
けれど、本人達は家族には言わずにスカイダイビングに登録して、
家族は事故の知らせでそれを知ったらしい。

「こうなってしまったのはやりきれないけれど、
彼らは1年目の記念日に、二人一緒に別の、もっとすばらしい場所に
行ったのだから」

ご両親のコメントが、心に残る。

親よりも先に逝って、親を悲しませる後悔はあるだろう。
まだ二十代で、これから地球で体験できたであろう、さまざまな楽しいことが
できない寂しさはあるだろう。
でも、最愛の人を失って取り残される悲しみを味わうことなく
手に手をとって、次の場所に行けることを羨ましいと思う気持ちも少しある。

5年ほど前、私達は同じ場所でスカイダイビングをする予定だったことがある。
夫が30歳の誕生日に、一人でそこでスカイダイビングをした。
日本から友人達が来ていたときに、その話になって、
「行こう、行こう!」というふうに盛り上がり、その場で予約した。
日本から来た友人二人と、私達夫婦、それとハワイ在住の日本人の友人。
そのとき13歳だった、その友人の娘が、
当日になって、孤児になりたくないからやめてくれ、と言い出し、
その友人はキャンセルすることにした。
あとの4人は、やる気満々でノースショアに向かったのだけれど、
かんかん照りの晴天が、ノースショアに着くなり一転かき曇り、
オフィスに入るときには大雨になった。
天気の回復を待つこともできたけれど、
これはやめとけ、ってことだろうと私達は理解し、取りやめにした。

キャンセルした途端、すっと雨はあがった。
やはり、そういうことだったのだろう。

1年目の記念日に、一緒にすばらしいところに行った二人に祝福を。
それぞれにこの人生に幕を引き、次のステージに移った人たちに、祝福を。





記念日

2019-06-24 09:10:08 | 食べ物とか
ふたりの記念日はいくつかあるが、
結婚記念日よりもなによりも、初めて会った日を大切にしている。
今のすべてが、ここから始まった。
その日は私達にとって、ずっとずっと1番大事な思い出の日だ。
結婚した日のことは、気分がハイになっていたのか
記憶がところどころ欠けている。
でも、初めて会った日のことは全部覚えている。

13年前のその日は新月だった。
夫を紹介してくれた、私の美容師さん家族と一緒に御殿場高原ビールに行った。
夫が住むアパートのドアを、夫があけたとき、
私の体中で銅鑼(ドラ)がガンガン鳴り響いた。


記念日のディナーに、Chart houseに行った。
この店はヨットハーバーに面していて、古くからそこにある。
料理は美味しいし、雰囲気も懐かしくて大切な日に行く。
外に面したテーブル

生牡蠣とグラタン風の牡蠣

サンフランシスコで行った、オイスターレストランの牡蠣を思い出す。
つるりと喉越しがよくて、やっぱり牡蠣は生が好きだ。

スティームドクラム
日本でいう、アサリの酒蒸し。
この店に来たら、必ず頼む一品。
酒蒸しというよりも、スープで、もう止まらない美味しさ。

オニオングラタンスープと、シーザーサラダ

もうこの辺で、胃が一杯になりつつある。

ステーキと、ポークリブ

アメリカに住むようになってから、霜降り肉よりも赤身が好きになった。
しょうゆの味がするステーキは、日本人の舌によく合う。
ステーキは半分以上残して、お持ち帰り。
なぜなら、このあとにデザートがあるのだ。

ラバフロウチョコレートケーキと、クレームブリュレ

ラバフロウとは、溶岩のこと。
ケーキを割ると、あっつあつのチョコレートが溶岩のように流れ出す。
これも、この店に来たら必ず頼むもの。
ただ、時間がかかるので1番最初にオーダーしないといけない。

目の前のヨットハーバーに、夕焼けがせまる7時ごろ。
夫の叔父叔母は、ともに海洋学者で、
つい10年前までボートに住み、世界中の海を航海していた。
夫が高校生の頃は、このハーバーにヨットを停泊しており、
週末の朝、友達とサーフボードを抱えてヨットに泊まりこみ、
朝から晩までサーフィンをしていたのだという。
私も彼らのボートに乗せてもらったことがある。
ベッドルームが二つあって、キッチンもシャワーもあって、
とても快適な船だった。
店を後にするころは、夜っぽくなっていた。


この13年間、同じ思い出話を、
壊れたレコードのように何度も繰り返しながら過ごしてきた。
きっとこれからも、そうして生きてゆくのだろう。
そのことの幸せをかみしめる記念日でもある。






浦島太郎

2019-06-23 10:11:41 | 日記
職場にみえた日本人のお客様が使ったクレジットカードの裏側に
駅の名前のようなものが2つ印刷されていた。
駅名と駅名の間がハイフンで繋がれており、まるで電車の定期券だ。

「電車の定期券みたいですね」
穏やかそうな人だったので、つい声をかけた。
「これ、定期ですよ」
「えっ!でもクレジットカードですよね?」
「そうですよ、クレジットカードで、定期でもあるんです」
「今、日本はそうなっているんですか」
「普通の定期券もあるんだけどね」
「じゃ、改札でクレジットカードをピッとやるわけですね」
「そうそう、楽ですよ」

いや、もう、全然ついてゆけない。
スイカとかいう、改札でピッとやるカードすらもよくわからない。
スイカを買っておけば、日本に行って電車に乗るときに楽だよ、
と友人に言われているのだけれど、
めんどくささが先に立ち、結局いつも、人の邪魔になりながら
券売機の前で立ち止まって、区間金額表とにらめっこをする。
そして3枚以上切符があると、いつ、どれを改札に通すべきか
どんなに考えてもわからないので、とりあえず全部入れる。
そうして、ドアが非情にも閉まり、駅員が駆けてくる。
そんなことを繰り返している。

日本に住んでいたときだって、
じゅうぶんに人よりも情報は遅かったのに、
8年あまりも離れているのだから、そりゃもう浦島にもなるだろう。

日本に行った時、
「Tカードはお持ちですか」
とよく聞かれる。
Tカードが何なのか、まったくわからないのだが、
もうそれを聞こうとも思わない。
こうやって、私がおろおろしている間に、日本はどんどん変わってゆくのに違いない。




今、日本じゃたすきがけバッグ?

2019-06-22 08:28:39 | 日記
職場にみえる日本からの旅行者のファッションを見るのが楽しい。
日本にいなくとも、日本で何が流行しているのかわかる。

数年前には、男女ともにカンカン帽みたいなのを被っていた。
目の真下をピンクに塗った女の子達がたくさんいて、
日焼けしたのかと思ったこともあった。(そういうメイクらしい)
Tシャツの上に、細い肩紐のサンドレス的なものを着ている人がたくさんいたこともある。
同じカフェのトートバッグを持っている人を、1日に何人も見た。
そして最近は、たすきがけバッグをやたらと見る。
これは男性に限っていて、ショルダーバッグよりもかなり短いので
物を入れる部分が心臓の上あたりか、あるいは背中の肩甲骨あたりにくる。
ちょうど、たすきを掛けているような具合だ。
これが、二人に一人ぐらいの確率で持っている。

職場には、いろんな国の人達が来るけれど、
こういう現象は日本だけだ。
しいていえば、韓国の新婚さんたちが、みんな夫婦でおそろいのハワイアンプリントの服を着ているぐらいか。

日本はずっと、こうやって「はやり」を作って、国民は正しく一斉にそれにならってきた。
ミュールが流行ったときは、駅の階段など、そこらじゅうからカンカンと
高い音が響いていた。
トレーナーを腰や首に巻いた人がいっぱいいた。
あの子もこの子も聖子ちゃんカットだったり、
(実際、聖子ちゃんカットは2割増し可愛く見えた、気がする)
男子はテクノカットだらけだったり、
ハマトラファッションじゃないとイケてないような時代もあった。
(テクノカットもハマトラも、若い人は知らないね)
ソバージュに太い眉の女があふれかえっていたり、
フットボール選手のように肩パッドを入れた服しか売ってなかったり、
真っ赤な口紅が流行ったかと思うと、
肌の色に限りなく近いベージュになったり、
小麦色の肌にパールピンクの口紅がいいと言っていたこともあったのに、
今は白い肌こそがよいらしい。
バブルの頃は、男はブランドのセカンドバッグを持っていたものだ。

日本に住んでいるときには普通だったことが、今は違った風景として見える。
まわりと同じがいいのは、文化のひとつなのかもしれない。


夫がユニフォームのポロシャツの襟を立てて
「ニホンジン!」
と言うので、けしからん!と私は怒る。
確かにポロシャツの襟を立てるのが流行った時代はあったが、今は誰もやらん。
今、ポロの襟を立てているのは中国人である。