太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

旅行に行きたし、飛行機には乗りたくなし

2022-08-29 09:40:59 | 日記
旅行に行きたい願望が、熱をもって湧いてきた。
特に夫は、仕事のストレスが溜まってきているらしく、現実逃避をしたい気分満々。
6月に行ったフランスは楽しかったなぁ。
曜日も時計も関係ない自由さ、目にするものすべてが新鮮な驚き。
まだあれから3か月ほどしか経っていないのに、どこかに行きたくてワナワナしてくる。
飛行機に乗らねばどこにも行けないという島国の悲しさ。
空港のあの混雑と煩わしさを思うと、飛行機には乗りたくない。
空港混雑を我慢して、週末に行けるハワイ諸島のどこかに行ったとしても、そこにあるのはこの島とたいして変わらない風景と人々がいるだけ。

「しょうがない、海にでも行くか」









この風景を求めて、わざわざハワイに来る人達がいる。
そういうところに、行きたいときにすぐに行けることがどんなに贅沢なことかもわかっている。
それでも、これが私の日常なのだ。
この海に飽きることはけしてないけれど、日常から離れるのが旅行の醍醐味でもあるのだから、やはりここではないどこかに行きたいなと思う。


もし、ここが大陸だったら、車にトランクを積んでロードトリップしながら国境を越えたりできるのに。
同じ島でも日本のように広かったら、行ったことのない場所はいくらでもあって、電車を乗り継いだりしながらの旅はさぞ楽しかろう。
ドライブに出かけても、3時間もあれば余裕で島をぐるりとまわれてしまうところに住んでいる窮屈さ。


いつものビーチに行って、エメラルドグリーンの水に浮かんでエネルギーチャージ。
帰ってきて、庭の水遣り。
ブルージンジャーが今年もすごいことになっている。
8年越しのプルメリアは、ようやくたくさん花をつけてくれるようになった。
モンステラの花。
人の顔ぐらいの大きさで、かなり不気味。これは食べられるらしいのだけど、ちょっと勇気がいる。

フランスから戻ってきたあと、フランスの家の窓辺にあったゼラニウムが懐かしくて買ってきた。
いっとき、花が咲かなくなってしまって心配したが、元気になった。

先週、ひとつのギャラリーに行った時、クリスティンとフランスの話をした。
クリスティンも以前フランスに行ったことがあるという。

「ノルマンディに行ってね、モンサンミッシェルに行ったのよ!」
「ぜひ行きたかったけど、今回は行けなかったんだよ、どうだった?」
「私、泣いたわー。モンサンミッシェル前にして、泣けて泣けて・・」

毎日、花ガラを摘み、水をあげすぎないようにし、雨が降ってきたら屋根の下に移動させ、私にしてはこまめにやっている。
せめてゼラニウムでをめでてフランスを懐かしむのである。




オンナの友情

2022-08-28 15:28:58 | 日記
若いころに想像したような人生にはなりにくいもの、という記事を書いたあとで、
私が、普通にいかない仲間(昔の普通とは、二十代前半で結婚して子供を産み、家庭を築くことだった)ばかりとつきあい、知り合うのもそういう人たちであった理由に思い至った。

結婚し、子育てをしている人たちとは、あまりにも住む世界が違い過ぎた。
子供の成長の話や幼稚園の話を聞いても、経験がない人には心底共感することは難しい。
昔みたいに長電話でも、と思っても、電話をかけるタイミングに悩む。あの頃は今のように携帯電話もメールもなかった。
ようやく家を訪問する機会があっても、どうしても話題は昔のことや知り合いの消息がメインになる。
子供と遊べないタイプの大人である私は、子供の相手はできないし、恋愛の末に結ばれた夫と、最愛の子供に囲まれた友人に、私のこんがらがった恋愛の愚痴をこぼすのも気が引ける。
だから、共感できる部分が多くて、ライフスタイルが読める人と親密になってゆくのは自然なことだったかもしれない。

学生だった頃、私たちの悩みなどみんな同じようなものばかりだった。
社会人になると悩みの彩りが複雑になるが、独身のうちは「恋愛・結婚」という最大の共通テーマで結ばれていた。
しかし「結婚」を機に、女の友情の形は変わってゆく。


23歳の時、結婚が決まった親友とドライブに行くことになり、迎えに行った。
親友の母親が見送りに出てきて、
「この子は結婚が近いんだから運転にはじゅうぶん気をつけてね」
と言った。
何の悪意もない言葉だったのに、苦しい恋愛をしていた私は、「私だって嫁入り前なのに」と心の中でいじけた。

私が別れ話を持ち出して、路上で罵り合うという悲惨な状況になり、話を聞いてもらおうと職場の仲良しに電話をしたら、
「あ、ごめーん、今日はねえ、〇〇さんが、娘さんをくださいって言いにウチに来るのー、またねえー」
と言ってそそくさと電話を切った。
幸せの光の中にいる友人と、どんよりとした暗い所にいる自分の図が思い浮かび、私はさらにいじけた。





結婚はしないと決めたわけじゃないのに、なぜか独身のままでいる人達。
結婚するにはしたけれど、すったもんだして離婚した人達。
結婚は継続しているけれど・・・という人達。
子育てをしなければ一人前ではない、という人がいる。
確かに、子育てほど思うようにいかないことなどこの世にないと思うけれども、
親になった人たちが子育てに苦労している間、子供のいない人たちは楽をしていたかというと、そうともいえないと思う。
四六時中、向き合うのは自分だけ。
それだって、相当にキツイ。ほんとに。


家に子供がいないと歳月の感覚が鈍くなるのか、私は何も変わっていないつもりでいる間に、よその家の子供があっという間に大きくなってしまって驚く。
友人らの子供も、もうとっくに大人になり、子育てに占められていたエネルギーが自分自身に戻ってくると、私たちには再び共通のテーマが出てくる。
それは親の介護であり、夫の定年であり、自身の心身不調であったりで、華やかなことではないけど仕方がない。
それが「老い」の先触れであるにせよ、オンナの友情復活は嬉しいことである。








想像もしない人生

2022-08-25 08:06:48 | 日記
少し前に読んだ、黒柳徹子さんの「トットの欠落帖」(新潮社)の中に、グリーティングカードの話がある。
徹子さんは若いころにニューヨークにしばらく住んでいたことがあるそうだ。
そこで、アメリカのグリーティングカード文化に感動したという。
確かにそうだ。アメリカの、カード売り場の広さと種類の多さには驚く。
誕生日やお悔やみ、結婚祝い、母の日父の日、誕生祝いはむろんのこと、誕生日の宛先が、「姉妹」「兄弟」「父」「母」「妻」「夫」「義理の娘」「義理の息子」「甥」「姪」「叔父」「叔母」といったふうに細分化されている。
凝ったデザインも豊富で、選ぶのが楽しい。

ずらりと並んだ素敵なカード類を前にして興奮した若かりし徹子さんは、将来の自分のために、たくさんのカードを買い込んだ。
それは「自分の息子」宛であったり、「最愛の夫」宛であったりした。

それから40年。
何回目かの引っ越しの際に、そのカード類が入った箱を開けてみた。
ほぼ買ったときのまま、使われることのなかったカードを見て徹子さんは「人生は思ったようにはいかないもんね」と思う。


私には徹子さんの気持ちが、とてもよくわかる。
小学生の頃の夏休みの宿題に自由研究があり、私は毎年頭を悩ませていた。
中学生になってから、自由研究からは解放されたが、私は将来の自分の子供のために、自由研究の課題を書き溜めておこうと思った。
それは、市役所やデパートなどにある階段の高さや奥行きを測ってみるとかいったようなものだったが、思いついた課題を書いたノートをずっと大切に残しておいた。

中学生の私は、自分が将来子供を持つことに何の疑いも抱いていなかった。
中学生どころか、二十歳を過ぎても、まだ私は自分が普通に結婚して家庭を持つことが、朝が来て夜になるのと同じぐらい当然のことだと思っていた。
私だけじゃない。友人たちも同じだった。
二十代後半で独身の先輩社員のことを、「理想が高いんだね」などと言ってランチの話題にしていたし、
「子供は3人男で、陸海空という名前をつけると決めている」と言う友達もいた。

あれから40年近くが過ぎ、私たちの誰が、そのとき信じていたような人生を送っているというのだろう。
その時の仲間についていえば、誰もいない、である。
陸海空の友人は、結局1度も結婚をしないで気楽に生きており、一人は不安定な結婚で満たされないものを他に求めてさまよい、私は悲惨な結婚生活のあと、外国に住んでいる。
みんなそれぞれに幸せの形を見つけていることが幸い。


もしかしたら、私は普通にいかないかもしれない、と気づき始めたのは二十代の半ばごろだ。
どうして他の人は普通にいくんだろうか、と素朴に疑問を持ったのは、二十代の後半。
「普通」というのは、二十代前半で恋愛相手と結婚して子供を産むこと。
私のまわりには、その「普通」から外れた人たちでほぼ構成されていて、出会う人もそういう人たちだったから、あるとき父が、
「変な仲間ばっかりとつきあってるから変になる!」
などという暴言を吐いたこともあった。
父は自分の娘も他でその「変な仲間」の一員にされていることには気づかない。


想像していたままの人生を送っている人は、いるんだろうか。
いたら、私は会ってみたい。
将来の子供のための夏休みの自由研究課題ノートは、とっくの昔にどこかに失くしてしまった。





ガラスの保存容器に移行中

2022-08-24 08:23:20 | 日記
しょーもないことなんだけど。
いわゆるタッパーウェア、こちらではコンテナというけれど、たいていプラスティックでできている。
先日、断捨離をしたとき、大中小と様々な大きさのものがコラショと出てきた。
店でサラダを買った時に入れてくれる円筒形の容器も、誰かにお裾分けするのに便利だと思って捨てずにいたら、20個以上あった。
タッパーは大が3個、中の浅めのが7個、深めが8個、小の浅めが8個、深めが5個、極小のが10個・・・・
いくらなんでも、二人暮らしでこんなには使わない。
殆どのものは、棚で寝ているだけ。
思い切って、それぞれ1個か2個残して処分した。

実は、これらのタッパーが使えなくなったら、透明の蓋つきガラス容器に少しずつ移行しようとしていて、いくつかガラス容器があるのだけれど、タッパーってなかなか壊れない。
まだ使えるものを処分するのは、母の顔が浮かんできて心が痛む。
それでいつまでもタッパーを使っていたのだが、心を鬼にして断捨離し、丸いガラス容器と入れ替えた。

ガラス容器は、器ごとレンジにも入れられるし、丸型のものはそのまま食卓に出すこともできる。(うちの場合)
そして何より、蓋が洗いやすい。

プラスティックのタッパーの蓋って、深い溝がいくつもあって、洗いにくいし、洗ったあとも乾きにくい。
その溝が、密閉性を高めているのはわかるけど、ものによっては蓋の真ん中に四角い溝がデザインされていたりしてめんどくさいことこの上ない。
食器洗い機に入れてしまえば、熱風で溝の汚れや水分の問題はなくなるのだが、
アメリカの家庭なら標準的にある大型食器洗い機も、設計上我が家には付けられなかった。
二人分の食器が大型食器洗い機にある程度たまるまでには数日かかるし、手で洗ってしまったほうが早い。

私は神経質でもなんでもなく、その逆ではあるのだけど、適当に洗って拭いていたタッパーの蓋の溝に、うっすらカビのようなものを発見すればさすがに気分が落ち込む。
歯ブラシで溝を洗い、フキンの角を尖らせたり、綿棒で溝の奥まで拭き、「ああもうこんなめんどくさいことはいやだー」と思う。


丸いガラスの保存容器の蓋は、シンプルでさっと拭くだけ。
難点は器自体が重いのと、密閉性という面ではタッパーに及ばないことか。
ランチに持ってゆくなど、移動に使うには断然タッパーが便利。

夫もガラス容器が気に入っているようで、率先して使っている。
そんなわけで、ガラスの保存容器に移行中という話。





これがアフターライフ??

2022-08-22 08:09:03 | 不思議なはなし
朝方に、死んだ後の夢をみた。
それは妙にリアルで、目が覚めてからもずっと記憶も感情も残っている。

死んだ私がいるのは、何もない空間。
テレビの白い背景の中にいるような感じだ。
他にも何人か人がいる。1番近くに日本人の若い男性がいた。
「テラオカ」
と彼は名乗り、何かに挟まれて「ぺっちゃんこ」になって死んだのだと明るく言った。

『自分がどう生きてきて、これからどうしたいか、書く』

それは声ではなく、直接頭にしみ込んでくる感覚で伝えられ、私は鉛筆を持って縦長の紙を前にしていた。
どう生きてきたか、って?
私は考え込んでしまった。
半世紀以上の人生をひっくるめて、どう、って言われてもなあ。
どういう気持ちで、ってこと?
それにしたって、そのとき、そのときでいろいろだし。

テラオカさんは、すらすらと書いている。
どう生きてきたか、の部分は忘れたけど、後半には「神々しくなりたい」と書いてあった。
なんだ、そういうのでいいの。

『家族の平和と幸せを祈り、感謝した。近くで見守る存在になりたい』

そんなようなことを、縦書きで書いた。
書いたあとで、そういえば私は自分にある祝福を毎日数えて感謝していたっけ、それも書けばよかったかと思ったが、提出(?)したあと。

あの人どうしてるかな、と思うと、その瞬間に私はその人のいる場所にいる。
ある友人は、実際には霊感が強いわけではないのだが、夢の中では霊感が強いことになっており、その友人のところに行くと、彼女には私が来たことがわかった。
「えっ、なんで??」
「死んだみたいよ」
「えーーー!」

私は再び白い空間に戻った。
私は眠くてたまらなくなり、死んでも眠くなるなんて知らなかった、と思っている。
テラオカさんは、まだそこにいて
「眠って起きたらなにか変わってるんじゃない?」
と言う。
「どう、変わってんの?」
「わかんないけどさ」

私は眠り、目が覚めたら夢だった。


アフターライフの夢は以前にもみたことがある。
その時には、私は私のガイド(女性だった)の運転する車でドライブをしている。
その町は見たこともない町だったが、心のどこかでは、よく知っているような気もする町だった。
私はいつ死んだのかとガイドに聞くと、「3月4日」だという。

「誕生日が1月2日だから、繋げたら1,2,3,4だなあー」

私はお気楽にそんなことを言う。
ふと、夫はどうしてるかと思ったとたん、夫がいる寝室にいた。
夫は私が来たことがわかり、ハグすると、脇腹のぜい肉が余っているのがわかり、ダイエットしたほうがいいな、なんて思っている。




両方の夢とも、私は自分が死んだことをそれほど悲しんでおらず、死んだ理由が思い出せなくても気にならず、淡々と自分がおかれた状況を受け入れていた。
いつか私が死んだとき、答案用紙にすぐに書けるように、「どう生きているか」を明確にしておかねば、と思う。