太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

田吾作

2023-11-29 14:57:21 | 日記
ありがたいことに、私は元来とても丈夫にできていて、滅多に風邪もひかない。
小学校時代、毎年恒例の持久走が嫌で(近くの山を一山越えるのだ・・)、前の晩に窓を開けてお腹を出して寝ても翌朝はピンピンしており、毎年泣く泣く走った。体育教育に重きをおく小学校での6年間は、体育全般がアレな子供には辛い。
真冬でも半そで短パンで登校し、鳥肌のたった腕や足を見た祖母に

「おとましいねえ(静岡弁で、みていられない、という意味)。アタシが先生に言いに行ってやるよ」

などと言われたものだ。


ハワイに来て、接客の仕事に就くようになってからは、以前よりは風邪をひくようにはなったけれど、それにしたって年に1度あるかどうかだ。
そして今、なんとなく体調がすぐれない。
夜は咳が少しでて、頭が重い。
うまい具合に今日は休みで、昨日の休みに出かける用事も済ませていたから、1日のんびりできる。
なにしろ、3日後には職場のクリスマスパーティ、その翌日には日本に行くので、風邪をひいている場合ではないのだ。

普段が元気な人は、体調が悪いときの過ごし方に疎い。
寝ている以外に、どうしたらいいのかわからないのだ。
「うがいして」
と夫が言い、うがいをする。インプラントをやった夫は、強力なうがい薬を持っているのでそれを使う。
「薬飲んだら」
と夫が言い、薬を飲む。

ただ一つ、私が自分でできることは、喉にタオルを巻くこと。
これは実家の両親がやっていたことで、喉が痛いときには喉を温めるのがよく、同時に首の後ろも温まるので一石二鳥なのだそうだ。

「首、と名前がついたところは温めておけばいいんだよ」

とは母の談。首、手首、足首は冷やしたらいけないのだそうだ。
夏場でも、風邪気味のときには父がよく首にタオルを巻いていたのを覚えている。
顎の下でタオルの端をキュっと結んだ様子は、まるで田吾作。
それもオシャレなタオルじゃなく、「〇〇会計事務所」なんて印刷が入ったタオルだから、ますます田吾作度が上がる。

ハワイでも、私は田吾作をしているわけだが、アメリカのフェイスタオルは何故だか短くできていて、首の前で結べない。
髪を洗ったあと、タオルで髪の毛をまとめたくても額の上で結ぶには短い。今は専用ターバンを使っているけれど、映画の中で女性がバスタオルを高々と頭に乗せてシャワーから出てくるのは、フェイスタオルでは頭を包めないからなのだ。
田吾作には、日本のタオルを使う。
それも100円ショップにあるような、ペラペラなのがいい。
薄くて使いやすいから、田吾作以外にも私はよく使っていて、さすがに10年以上もたってヨレてきた。
今回、日本に行ったら買ってくるものリストに、是非タオルを加えよう。


明日は仕事。
今の仕事に就いて7年半、1度も病欠をしたことがない。
年に1度かそこらひく風邪も、なぜか休日に限っており、仕事には行けてしまうのだ。
ありがたいけど、なんだか損してる気がしなくもない。








シュートメ、大喧嘩するの巻

2023-11-27 07:22:30 | 日記
カリフォルニアからシュートメの親友が来ることになっており、
彼女が到着する土曜日の夜、カイルアのレストランを予約してあった。

土曜日、仕事から帰宅し、予約に間に合うように急いで支度をしようとしていると、夫が言った。

「急がなくていいよ。両親は先に出かけたし、ローリー(シュートメの親友)はいないから」

「え、ローリー、来なかったの?」

「来たよ。来て、荷物も降ろした。でもそのあとで、ママと喧嘩になって、ママは怒りにまかせて車に乗ってすごいスピードで出かけちゃうし、ローリーは、カリフォルニアに帰ったのかどうか、ここにはいない」

「なんだよ、それ・・・」

「まったくワケがわかんない。あの人(シュートメ)は精神科を受けたほうがいいと思う。
何があったか知らないけど、僕は何も聞かないし、知りたくもない」

ローリーは20年前までハワイに住んでいて、シュートメとは45年来の親友だ。
頻繁に連絡をとりあい、会いに行ったり、会いに来たりもしていて、家族ぐるみの友人だ。


レストランの予約の時間に少し遅れて行くと、義両親は既にテーブルについており、にこやかに手を振っている。

「さあ、何を食べましょうね」

まるで何もなかったかのように、平和に食事が続く。
そこにローリーがいないことに、誰も何も言わない。
私の心の中では、「なんなの、これ、いったいなんだっての」という思いが渦巻いている。
とうとう最後までローリーの「ロ」の字も出ないまま、食事を終えた。
誰も何も気づかないようなふりをしている、この不自然さといったらどうだろう。
ローリーは、どうしているのだろうか。
ホテルでもとったのだろうか。
一人で、どんな気持ちでいるのだろうか。


お口直しに、レストランから見えた素敵な満月。


この日の満月は、見るのが眩しいほどだった。



佐野ピー

2023-11-20 07:46:54 | 日記
姉から唐突なLINEが来た。

「シロちゃん、佐野ピーって知ってったっけ?」

脳内記憶から、私の知る「佐野」さんを捻りだす。
父の会社に佐野さんという、ちょっと変わった人がいたけど、姉は知らないだろう。
中学高校時代の吹奏楽部の佐野さんなら、同じ吹奏楽部だった姉でも知っているが、私たちは佐野ブーと呼んでいた。姉たちの学年内では佐野ピーだったのか?

「吹奏楽の佐野ブーなら知ってる」

その佐野ブーがどうしたというんだ。
とても勉強ができる子で、浜松医大にいったはず。
すると意外な答えが返って来た。

「板金屋さんの佐野さんは知らないか」

板金?

「お父さんの知り合いで車のチョイ傷なんかでウチはすごくお世話になってるんだけどね。人のいいおじいさん」

板金。板金・・・・・佐野板金!
そういえば昔、車の傷を直しに父と行ったことがあった。

その佐野さんが、突然亡くなってしまったのだそうだ。

「94だから長生きしたんだけど、この前まで元気に仕事していたから驚いちゃって。お風呂で突然死らしいよ。とてもいいおじいさんだったから寂しい。昨日、〇〇(義兄)さんとお通夜に行ってきた」

私は顔も覚えていないけど、姉は父が亡くなったあともずっとお世話になっていたのだな。
そのおじいさんが「佐野ピー」だとは。
佐野ピーと親しく呼ばれるような人柄だったんだろうなあ。


それにしても、この前置きも何もない唐突な会話の始め方は遺伝だろう。
頭の中でダラダラと考えていることを、突然、目の前の相手に聞いたりするのは私の悪い癖。
姉も、好きだった佐野ピーが亡くなって、そうだ、シロちゃんにも教えなけりゃ、と思い、いや待てよ、佐野ピーのこと知ってるかな、知ってるよね、一応聞いてみよう。
という前置きが頭の中であったのだと推測。

みんなに愛された佐野ピーは、アッチで父に会っているだろうか。







仲直りの虹

2023-11-16 06:48:31 | 日記
今朝、夫はなんだかぷりぷりして出かけた。
ここのところ、仕事の朝はいつも機嫌があまり良いとはいえない。

昨日、シュートメがこっちの家に来て、

「最近、○○(夫)が、私たちの前であまり笑顔を見せない気がするんだけど、大丈夫なの?」

と聞いてきた。
いつも思うんだけど、息子なんだから、直接聞けばいいじゃん。
ナッツで亀裂が入った歯を抜いて、インプラントすることになった夫が、その歯医者にちゃんと行っているのか、ということまで私に聞く。
実の親子ゆえにイラつくこともあるし、感情をごまかさずに出してしまったりもする。私も自分の親にはそうだった。
ここでは外野の私は、一人3歩ぐらい下がって、それを眺めている。

「仕事でちょっとストレスがある時があるみたい」

「あら、そうだったの。それであの子はその仕事で大丈夫なの」

シュートメは眉を寄せて言う。知らないよぅ、と心で思う。

「まあ大丈夫でしょ。私は何も気が付かないフリをして、自分のことをやるようにしてる。あの人、何かあったの?なんて聞かれるの嫌がるじゃない」

『宇宙人に決まってる』と思うような人が、いるらしい。
あるとき、宇宙人の番組を見ていた時に、ぽそりとそう言ったのだ。ふうん、と言っただけで深堀りしなかった。
深堀りして、どうなる。
相手の望まない現実を知ったところで、私にできることなど何もない。
バイポーラーとかウツが夫の持病であるというならば、心配性というのも私の持病だといっていい。心配の種は、増やさないに越したことはない。
心配して良いことなど、ひとつもないのだから。


それで今朝も、なんだかぷりぷりして出かけたのだ。
車の鍵がなかなか開かなくて、またイライラして、それも自分がぷりぷりしているからだってことに気づいてない。
で、挨拶もそこそこに出かけていった。
見送って、家に戻ってすぐにホワイトセージで家中を浄化。嫌な気分を私も引きずりたくないから、ネガティブな余韻を大きなハサミでばっさりと断ち切った。
2階で絵の仕事をしているときに、夫から写真が送られてきた。




朝7時のホノルルの虹。
ぷりぷりしてごめんね、の虹ですな、と解釈。
「I love you」
と送信。
「love you too」
しばらくして返信。


最初の結婚で、私は都合の悪いことにことごとく蓋をして失敗したから、今の夫とは都合の悪いことも向き合おうと決めた。
しかし、向き合うのはいい。でもそれに相手を巻き込むと、うまくいかないことがある、ということに気づいた。
相手を巻き込むということは、状況をなんとかしたい、つまり相手をコントロールしたい思いがウズウズしているからで、所詮、他人を変えることはできないし、人に言われて変わるものでもないのだから、お互いにストレスになるだけ。


私は私の中で、まずそのことと向き合う。
それが相手を巻き込んでもいいものか、放っておいたほうがいいものか区別する。
放っておくべし、と決めたものは、何もしなくても、それは臭いものに蓋をしたことにはならない。
だから、同じ過ちを繰り返しているのではないのだ。


再婚して17年。
私はいまだに気づき続けている。
私に子供がいないのは、こんなふうに、自分のことで手一杯だからなんじゃなかろうかと思うのである。




ご縁

2023-11-15 07:46:10 | 日記
Mさんに初めて会ったのは、もう5,6年前になるだろうか。
私は一時期、職場で週に1日、アーティストとして絵を売っていたことがあり、そこにMさん夫妻がやってきた。
「え、おじさんがいない??」
おじさん、とはマイクのことで、マイクが引退したことを知らずにマイクに会いにきたのだった。
Mさん夫妻は、年に2,3回はハワイに来るというハワイ好き。
Mさんは10歳ほど私よりも年上だが、なんでかとてもウマが合う。それで、ハワイに来るたびに連絡を取り合い、二人でお昼を食べに行ったりしている。

昨日、日本から旅行に来ているMさんを家にお招きした。
私が人様に食事を振る舞うときは、必ず五目寿司。これだけは、まあまあ安定したものをお出しできる自負があり、かつ、出来立てでなくてもいいから準備が楽。
お客様が見えてから、味噌汁をパパっと作ればそれでよし。
ただ、同じ人を再び招くとなったら、また五目寿司かよ、てことになるので、2回目以降は食事を外した時間にする。(レパートリーを増やせばいいんじゃ?)


人の縁というのは不思議なもので、結ぼうとして結べるものでなし、いったん結んだ縁が、薄くなったり濃くなったりしながら長く続くこともある。
夫が、日本に行くきっかけになったのも、日本人旅行者に道を聞かれたのが1番最初で、その人たちと仲良くなり、その友達が近々結婚することになっていたので、みんなでハワイに来て結婚式をしよう、ということになり、結婚式に来た彼らを、夫がいろんなところに連れて行き、すっかり仲良くなった。


あの時、夫が道を聞かれなかったら。
あの時、マイクが絵を売っていて、私がいなかったら。
あの時、あそこに行かなかったら。あの時、こうしていたら。

縁は、あとから思うとそんなふうなことばかりでできているように思う。
それらは偶然に起きているだけのようにみえて、絶対にその時でなければならないというタイミングで出会っている。
なぜなら、特に人生を大きく変える出会いは、どう考えても最善のタイミングだったとしか思えないものばかりだ。



今年は私一人だけど来年には、夫も一緒に日本に行こう。
両親が健在なうちは、両親と過ごすのが帰国の1番の目的だったけれど、これからは、日本のいろんな所に2人で行ってみたい。
行ったことのない山陰地方に住むMさんを訪ねるのも楽しいし、きれいな景色や、親切な人たち、おいしい食べ物を想像すると、わくわくしてくる。

繋がった縁も、かかわりを卒業して切れた縁も、全部全部、ありがとう。