太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ゾンビ

2015-10-30 22:49:22 | 日記
明日はハロウィンだ。

今年は土曜日と重なって、例年よりも盛り上がるらしい。

もちろん、私は関係ないんだけど。

同僚たちも、何人かでお化け屋敷に行くというし、

ホラー映画のマラソンをするという人もいる。

怖がりで、ホラー嫌いな私には考えられん。

お化け屋敷なんか行かなくても、我が家によくわからないナニモノか達がいるし。

うちの近所は高年齢化が進んでおり、子供の姿をあまり見ない。

よって、家々を回ってお菓子をねだる集団もいない。

と、タカをくくっていたら、昨年、近所に住む、奥さんが日本人の親子が

家族でハリーポッターになってやって来て、慌てて家中のお菓子をかき集めた。

だから今年は少しお菓子を用意してある。



今日、帰宅途中で、3人ゾンビを見た。

ハロウィン当日の朝は、仮装して出勤する人達が結構いるが、

前日に仮装して歩いているのは、あまり見たことがない。

今年は土曜日なので仕事が休みのところが多いから、前日なのか。



ハワイに来て驚くことの一つは、普通の人達が普通に仮装していることだ。

いかにも若者達が、ノリまくって仮装するのはわかる。

でも、普通の仕事帰りのおばちゃんやおっさんが、頭に紫のでかい帽子をのせたり、

背中に巨大蜘蛛を張り付けていたり、ピンクのカツラをかぶったりして

特に面白くもなさそうにマジメに歩いているのは、すごく興味深い。



私の夫のジンクスに、ハロウィンは雨、というのがある。

子供の頃、なぜだか毎年、雨の中を家々を回った記憶があるらしい。

明日は晴れるかな。



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昭和

2015-10-28 08:40:46 | 日記
ジブリの映画をみていたら、火の用心の見廻りのシーンがあった。

「子供の頃、同じように火の用心の見廻りあったよ」

と私が言うと、夫が大げさに驚いた。

「わーぉーーーッ!他には何があった?」

なにがって言われてもなあ。



「魚屋さんが来たね、ポンポンに乗って」

「ポンポン?」

「バイクだよ、新聞屋さんなんかが乗る業務用みたいなやつ」

魚屋さんは「うおつるさん」と言って、日に焼けた長い顔が、かつお節みたいだった。

魚や蒲鉾、ハンペンなんかをポンポンに乗せて家々をまわる。


たまごも売りに来た。

もみ殻に埋まった卵を、年季の入った測りで測る。

そのもみ殻の中の卵が、とても大事なものに見えた。


豆腐屋さんもラッパを鳴らして来た。

豆腐屋さんは家々を回らず、声をかけられたら止まる。

だから、ラッパが聞こえたら鍋を掴んで飛び出すのだけれど、

大抵もたもたして間に合わない。

だから近くの豆腐屋に買いに行くことが多かった。

タイルで作られたお風呂のような入れ物の中の、

なみなみと張られた水の中に豆腐が沈んでいる。

店のおじさんが、その水の中に手を入れて豆腐をすくう、その仕草が大好きで、

私は豆腐を買いに行くのが好きだった。

その頃の夢は豆腐屋になることだったぐらいだ。


夫は目を輝かせて聞いていたが、ロバのパン屋のくだりで悲しげになった。





そういえば、近所の幼馴染の家には、まだ土間もあり、カマドでご飯を炊いていた。

その頃は我が家も羽釜でご飯を炊いていたけれど、ガスレンジだったと思う。

羽釜で炊いたご飯の、あの甘い香りは、今でも私の記憶に残っている。


幼馴染の家で遊びほうけて遅くなると、お風呂をもらった。

お風呂場の床はコンクリートで、その上に脚の長いスノコを置き、

湯船は木でできていて、大きな樽のようだった。

木桶に汲んだお湯を体にかけると、ジャージャーと豪快な音をたてて

お湯がコンクリートの床に落ちた。




近所の公園に行くと、紙芝居をやっていて、

お金を払うと、イカせんべいみたいな駄菓子をくれた。



「すごいな、すごいな。そういうの、書き留めておくといいよ」

夫が子供の頃、日本の影響で、駄菓子的なものを売りにくる車があったらしい。

しかしそれも数年で姿を消してしまった。

日本に住んでいた時に、夫が焼き芋やわらび餅、ラーメンの屋台が異常に好きだったのは

そういう売り方の文化が、ものすごくエキゾチックに見えたからだろう。




夫に言われるままに、昔のことを思い出していたら、

年をとったら絶対に言うまいと決めていた台詞が口をついて出そうになる。

「昔はよかった」

でも、私はせめて、こう言おう。

「昔も、よかった」



クラス名簿というものが、まだあった。

電話がない家は少なかったが、それほど珍しいわけでもなく、電話番号の横に

(呼出)

と書かれていた。

「それ、何?」

「隣の家とか、電話がある家に電話を取り次いでもらうんだよ」

「…なんだか、戦後すぐみたいな話ばかりだね…」

失礼なッ。



ジブリの映画の中で、部屋に蚊帳を吊っていた。

「あれね、蚊が中に入らないようにするネットなんだよ」

「すごいなあー!」

蚊帳は、見た目よりもずっと重みがあって、

毎晩、四つ角を壁に吊るすのは大仕事だった。

当時、エアコンなんかどこの家にもなかった。

今ほど夏が暑くなかったのは本当かもしれないが、二番目の叔父が京都の大学に通っていた頃

あまりに暑くて眠れず、下宿の外に出て道の上で寝た、というから

やはりそれなりに夏は暑かったのかもしれない。



蛍だって、いくらでもいた。

ハワイには蛍がいない。

でももしハワイが蛍の棲息に適していたら、郊外には今もいるのではないかと思う。

実家の家の前には小さなドブ川があって、そこにはザリガニも蛍もいた。

ときどき蛍を捕まえて、蚊帳の中で放すと、ほんのり光ってきれいだった。

近所の家の、木でできた雨戸の節から部屋の明かりが漏れているのが、

ちょうど蛍の放つ光にそっくりだった。






夕方になると、路地に魚を焼く匂いや、ご飯が炊ける匂いが甘く漂う。

痩せっぽちの私が、夕暮れていく中で自転車に乗る練習をしている。

家の前の砂利道を掘って、ビー玉を探している。

にしきのあきらの歌がテレビから流れてくる。

日曜夜の「山ねずみロッキーチャック」が楽しみだった。

携帯電話もパソコンもなかったけど、あれはあれで結構楽しかったかも。




魚屋さんも、蛍も蚊帳も、羽釜のごはんも、電話がない家も

今は姿を消してしまった。

それを寂しいと思うのは、私がそれを知っているからで、

私の知らないものを失ったことで寂しいと思った人たちもいたはずだ。

そうやって時代は変わってゆくのだろう。






ここで一句。


なつかしの 昭和は遠くになりにけり


あはは、ありきたり。おそまつさま。






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ホラー映画

2015-10-23 21:53:57 | 日記
瞼の裏にできた ものもらい の手術をした。

思えば、5月の雨が降った朝、ウォーキングから帰ってきたら

右の瞼が腫れていた。あれから5ヶ月。

一般眼科に3回、そこに紹介された眼科に1回、ようやく手術の日を迎えた。

手術のあとは眼帯をすることになるだろうから、夫が半休をとることに

なっていたのだけれど、どうしても抜けられない会議が入り、

その前日に旅行から帰ってきていた夫の両親が、付いて来てくれた。


ゆで卵みたいな、トニー田中ばりのDr.が、思いがけず定刻通りに登場。

シュートメが個室にも入ってくれて、見守っている。

視力を調べ(なんとまだ両目とも1.5だ)、ナース達が粛々と手術の用意をする。

器具をなるべく見ないように、シュートメと話をしていた。

手術の同意書(最近はこれもペーパーレスレスなのだね)にサインをした。

トニー田中がシュートメに、手術の間、外に出ていたいかどうか聞くと

「いえ、私はナースなので大丈夫よ。どうぞ」

と、キッパリと言った。さすが鉄のオンナ。シュートメは元はナースで、学位をとって

大学教授になったのだ。



まず、感覚を鈍らせる目薬をさす。

そして瞼に、3本の麻酔を注射した。痛くないかと言われれば、痛い。

トニー田中が、ソフトボイスで説明をしながら進めてゆく。

瞼と眼球の間に、なにか硬いものが差し込まれて、かなり圧迫感がある。

シェル、と言っていたから、貝の様な形の器具なんだろう。

そして瞼をひっくり返して、裏側にできているものを掻き出した。

ものすごく痛いというのではないが、やっぱり痛い。

「あなたは強いねー」

と、やりながら褒めてもらう。

だって我慢するしかないじゃあないか。

30分ほどで終了。

「今夜は普通に顔を洗ったりシャンプーしてもいいからね」

「え、濡らしていいの?」

「目は閉じてよ」

ナースの一人が、普通の時だって目は閉じるわよねえー、と言って

一同大笑い。



個室にある鏡を見ると、目から血の涙がツツーッと流れてきた。



まるでホラー映画だ………



場合によっては瞼を切開することもあって、そうなるとかなり腫れて

眼帯も必要らしいのだが、私の場合は裏側から掻き出しただけなので

表面には傷は残らなかった。なにごともなければ、術後の診察も必要なし。

赤みと、多少の腫れはあるが、あとはもう治っていくだけだ。


ああ、ヤレヤレ。

これで鬱陶しいものもらいともおサラバ。

一緒に来てくれた両親に感謝。

翌日は、職場の同僚達に説明をして、おおいに怖がらせた。





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人情

2015-10-22 13:09:34 | 日記
瞼にできたものもらいの手術を明日に控えた日。

1ヶ月前、手術する気満々ででかけたときには、夫も一緒に行ってくれたのだけれど、

今回は夫にどうしても抜けられない会議が入り、一人で行くことになった。

手術のあとは眼帯をするであろうから、帰りは片目で運転することになる。

あまり車線変更もせず、ゆっくり運転してくればいいと思っていた。



時々みえるお客様に、「フロリダの人」がいる。

お年は80歳ぐらいだが、よく似合った服とお化粧をしていて

とてもモダンな雰囲気の素敵な人だ。

もっともっといろんなお話を聞きたいといつも思う。

ハワイに来る前にはフロリダに長く住んでいたので、フロリダの人と呼んでいる。

私が、目の手術をするのだと言うと、夫が一緒に行ってくれるのかと聞く。

仕事を抜けられないので一人で行くと言ったら、

「そんなの危ないわよ、私はカピオラニに住んでいて病院に近いから、車で送るわよ」

と言う。

私の家は遠いし、まさかそんなことをしてもらうわけにはいかないけれど、

そう言ってくれたことに胸が熱くなった。



お客様で、なぜかウマが合う人がいて、互いに「ちゃん」付けで呼び合う人がいる。

彼女もたまたま、その日にお店にやってきた。

そして私の目のことを聞いた(そのぐらい長い間あるし、目立っているということだ)。

すると彼女も、

「明日は夫と一緒に出かける用事があるから、夕方なら送ってあげられるかもしれないよ」

と言う。

ひとさまに、そんな手間をかけるわけにはいかない。

けれど、やはり胸が熱くなった。



読んだ本の情報交換をしたり、他愛ないおしゃべりをしていってくれるSさんも、

なぜかその日にやってきた。

彼の奥様の妹が何度もものもらいの手術をしているというので、わざわざ連絡をとって

情報を集めてくれた。

著述業の彼は時間がフリーだからといって、私に電話番号をくれた。

「もし不安だったら遠慮せずに電話ください」



以前、一緒に働いていた同僚は

ハワイにいる日本人は変な人ばっかりだと言っていたけれど、

私は人に恵まれている。

彼らが口先だけではなく、お願いしたらきっとそうしてくれると思うだけに

人の情けは心にしみる。

私は誰かに同じことができているだろうか、とわが身を振り返る。













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ウォーキング

2015-10-21 09:52:11 | ハワイの自然
友人が、ウォーキングを始めたという。

歩くのは広々とした公園で、自然の美しさに心が洗われると言った。

ほんとうに、そうなのだ。

かれこれ4年あまりも歩いているが、同じコースであっても、1度として同じであったことはない。


この時期、歩き始める5時はまだ夜で、

晴れた日には満天の、ほんとうに隙間が少ないほどの星空が広がっている。

あまりに星が多くて、星座もわからない。

折れそうに細い月の左下に、ひときわ輝くひとつの星。


うっそうと茂る木々。

刈られたばかりの芝生の香りや、なにかの花の香り、

しっとりと水分を含んだ土の香り、

肌寒いが透き通った空気、

木の実の落ちる音、集会帰りの猫たち。

風が吹いた翌朝は、小さな小鳥の巣が落ちていることもある。

細い藁のようなものを丹念に集めて作った、ちゃんと真ん中が凹んだ

快適そうな巣が、ころんとそのまま落ちている。

空き家だったらいいけれど、消えた巣を探している鳥がいたら気の毒だなと思う。



たっぷりと雨が降った朝は、

山の峰から幾筋もの滝が流れ落ちていて、

真っ暗で姿は見えないが、

その水の音がかすかに聞こえてくる。



6時に近くなってくると、

東の空がなんとなく明るくなってくる。

ピンクオレンジの光が雲の輪郭をかたどって、幽玄な空もあれば、

微妙なグラデーションで紫に染められた空のこともある。

風に乗って、ベーコンを焼く匂いなんかがしてくると、

やっと遠慮がちに鳥たちが鳴き始めて、

一日が活動しはじめる。



ここはホノルルからは離れていて不便だけれど、

私にとって自然の中で暮らすことは、便利さをひきかえにしても大切なことだと思う。


明日はどんな朝だろうか。









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