太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

風水開運

2018-11-30 07:50:52 | 日記
風水にも開運にも心が動かなくなって久しくなる。

縁起はもともと担がないほうで、最初の結婚式は仏滅だった。

それが災いだった、という見方もあるだろうが、

あの結婚は私が通ったほうがいい道だったと納得しているので、たとえ大安でも結果は同じだったろう。


職場にみえた日本人のお客様が、表も裏もまっ黄色の長財布を持っていて

黄色は金運で、長財布はお金が貯まるのだと教えてくれた。

そうそう、そうなのだった。

こんな私でも、風水や開運にしがみついていた頃もあった。





あれは離婚したあとの恋愛が壊れて、世の中にたった一人取り残されたような気分だった頃。

40もいくらか過ぎて、休日にアパートに一人でいると、私を振った相手と住むために借りた物件の

中途半端な広さが虚しかった。

目に入るものすべてがつがいに見えて、生ゴミをつつくカラスですら、

「あのカラスは つがい なんだろなぁ」と眺めた。

若さも恋人もいなかったが、友達もいたし、仕事もあり、実家に行けば家族もいて、

ものすごく不幸ではなかったと思うけれど。



ここで埋もれて老後に突入してなるものか

私を振った相手よりも絶対に幸せになって、見返してやる



私のエネルギーの源は、それだけだった。

風水で、東南の部屋で寝るといいと知って、寝室にしていた北の部屋をそのままにして

東南のリビングルームに来客用の布団を敷いて、そこで寝起きした。

オーダーメイドのパワーストーンのブレスレットを作ってくれる人を見つけ、

友人と共に何度もそこに通って、開運・結婚運のブレスレットをいくつも作った。

ピンクやひらひらの服を着るといいと言われて、

これも友人と共にピンクひらひらの服を買いまくった。

あとで思えばそれはけっこう楽しい時間だった。

なんの保証もアテもなく、エンジェルリーディングのセラピストと、風水やスピリチュアル本、

パワーストーンなどに依存していたのは、藁をも掴む気持ちだったと思う。

結婚相手を探していた仲間の一人が(彼女はまだ二十代後半だったけど)

「私、自分の中の、幸せになる力を信じる」

と言ったとき、思わず彼女の手をとり、強く握り締めた。




これさえ叶えば幸せだ、そう信じた願いが叶っても、

その先にはまた別の願いが、いや、願いというより不満だろうが、延々と続く。

奮闘努力の甲斐あって、私は今の夫に出会ったわけだけれど、

私が風水開運ブレスレットといったものから離れていったのは、願いが叶ったからではなかった。

自分以外のものに頼ることによって、そこに生まれる「恐れ」がとても窮屈に思えるようになったからだ。

たとえば、

方角を気にする人が、方違えをしてしまうと悪いことが起こるに違いないと恐れる。

キッチンや、西の方角に黄色いものがないと不安になる。

長財布じゃないと心配になる。

「赤は赤字」という思い込みがあって、赤い財布をもてない。

私がリーディングに行くのをやめたのも、同じ理由だといっていい。

セラピストなしで、私はここまでくることはできなかったのは疑う余地もないことだけれど、

正しい道にいるのかどうかを、ついお伺いをたてて知りたくなることも、

それが近道であることはわかっていても、どうしても気乗りのしないことを勧められることにも疲れてしまった。

そのセラピストの、最初のセッションのとき、彼女は言った。

「最初に言っておきますね、なるべく早く私を卒業していってくださいねー」

だから私が離れたのは彼女にとっても嬉しいことであり、

彼女と過ごした5年の間に、私が彼女から知るべきものはすべて受け取ったのだろうと思う。





黄色い長財布を持った、そのお客様は財布の蓋をあけて、

「ね、ここに黄金の龍があるでしょう、これがイイんだってー!!」

と言って屈託なく笑った。

風水も開運も、ただそれを軽く楽しめたなら、きっとその通りになってゆくのであろう。












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携帯電話をいじるときの顔、大丈夫?

2018-11-28 07:46:33 | 日記
職場の休憩時間やランチタイムに、携帯電話をいじっていない同僚は皆無だ。

私は手持ち無沙汰に携帯をいじることがないので、何をしているのかはわからない。

メールなのかゲームなのか、誰かと話しているのではなく、じっと画面を見つめている。

バス停でバスを待っている人、カフェの椅子に座っている人、

中には歩きながら携帯電話を見つめている人がいる。

その時、どんな顔をしているか本人は知っているだろうか。

眉間にシワがよる。

口角が下がる。

顔全体の緊張がゆるんで、きれいな人も一気に老ける。

好きな相手には絶対に見せたくない顔だ。

年齢が上がるにつれてそれは顕著になる。

それを発見してしまってから、よけいに外で携帯電話でメールチェックなどしなくなった。

自分がどんなに年寄り顔をしているか、想像するだに恐ろしい。

そして、怖いものみたさで電話を見つめている人の顔を見て、ドキリ!!とする。

そのドキリ!は、携帯電話で写真を撮ろうとして、

うっかり自分が写るほうに切り替わるところを押してしまい、

心積もりよりも3倍はブスの、腑抜けたアンコウ顔の自分がいきなり画面に写ったときのドキリ!に近い。


うつむくと、顔の皮膚がたるんで老ける。

仰向くと、顔の肉が引っ張られてマシになる。

外で携帯電話を見つめるなら、ベンチに寝転がれば問題は解決。

ある小説で、公園のベンチで読書する女性の横顔に一目ぼれする男の話があった。

その女性は二十代か、男が近眼かどちらかだろうと、みにくい腹いせで思うのである。












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自己価値

2018-11-27 08:15:30 | 日記
職場の建物内に、壁画的なものを描いた。



ドアの上のほうに白い空間がふたつある。

ここは建物内部だが、外から家の窓を見上げているようなデザインになっていて、

廊下に沿って、ほかにも作り物のの窓が描かれている。

既存のその窓は、誰が描いたものか誰も覚えていないほど昔のものだ。

ペンキを塗りなおした時に、ここの2箇所の窓の絵は外して塗りつぶしてしまい、そのままだったのが

私にまわってきた。

窓枠ちょうどの大きさに板を切って、その板を持ち帰って好きな絵を描く。

そこで私はうちの猫たちを描くことにした。





窓から猫が見下ろしている感じ。


これを引き受けるに当たって、何人かの人が

「ちゃんと報酬をもらうべきだ」

と言った。

趣味で絵を描いているのならともかく、まがりなりにも作品を売っているプロなのだから

それは当然のことだ、というのだ。

それはそうだろう。

しかし、私は迷いに迷った。

ボランティアでやってあげることはすごく簡単だ。

いい人でいられるし、タダなら肩の荷も重くない。

それにひきかえ、自分の作品でお金をもらう、という行為はとても抵抗がある。

ずっと大先輩のグラス作家のヴィッキですら、まだその「自己価値観」が低くて悩むというのだから

もしかして多くの、ものを作る人たちに共通する悩みなのかもしれない。

そのときヴィッキはうまいこと言ったなァ。


"worth/value" of your talents



いろいろ迷った挙句、

この二つはタダでやるが、もしも他の古い窓の依頼がきたら、それは請求してみる、

ということにした。

ヴィッキに、それを言うなら最初の二つを描く前に言ったほうがいいよ、と言われていたのだけれど

「言えなかった」と私が言うと、ヴィッキは苦笑いをした。



材料費は、会社がもってくれた。

アクリル絵の具でこういう絵を描くのは初めてだったから、けっこう楽しかった。

本来なら社員は店で自分のものを売ることができないのに、私は特別に許されていて

隔週で絵を売らせてもらっている恩義もある。

私の描いたものが、この場所でずっと人々の目を楽しませることができるのもおもしろい。

という言い訳を並べてみた。



時間がたってみると、そんな自己価値だとかなんとかめんどくさいことを振り回さなくてもよかったんじゃないか、

と思えてきた。

タダで描いたからといって、私の価値が下がるわけでなし。

私のメインのコラージュならタダというわけにもいかないが、半分お遊びのアクリル画だし。

今日、これを持っていって、あの枠にはめてもらおう。
















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当て逃げ犯、現る

2018-11-25 18:49:45 | 日記
職場の駐車場で、車を当て逃げされた後日談。(その記事はコチラ

当て逃げされたのが土曜日で、明けて翌週のことだ。

うちの職場のゼネラルマネージャーの旦那さんが(以下、Sさん)、私のところに来て言った。


「車をぶつけた本人が、あとになって名乗り出てきたんだ。僕はもう頭に来て、頭に来て・・・

なんでそのときに言わないんだ、って。

それでシロに電話して、シロの旦那さんとも話をするなりして責任を取れ、って言ってある。

ほんとうに申しわけなかったよ。ちゃんとお金ももらったほうがいいよ」



Sさんが所属する会社が、うちの職場と同じ敷地内にあり、その中の一人であるらしいのだが

その犯人は、普段は別のところで仕事をしていて、ここには滅多に来ない。

その日、たまたまその人が来る日で、

車が凹んで大騒ぎしたとき、集まってきた群集(?)の中に、犯人がいたわけだ。

私は少し考えて、言った。


「電話よりも、私のところに来て謝ってほしい。と私が言ってると伝えてくれる?」




翌々日、Sさんが犯人を連れてきた。

若い、若い。まだ18かそこらだろう。

ひょろひょろとして両腕にタトゥをぎっしりいれた、浅黒い肌の地元の子だ。


「僕がやりました。免許もないし、怖くなって言えませんでした。ごめんなさい。

どんなことでもするので、どうしたらいいか言ってください」



「車はエリックがほとんど直してくれた。まだ傷が残っているけど、それを直すつもりはないから

お金の心配はしなくていい。

少し遅かったけど、名乗り出たことを私は認めるよ。それはとても勇気がいることだと思うから。

謝りにきてくれてありがとう、早く免許を取って、気をつけて運転することだね」



私は彼に何と言うか、そのときまでまとまっていなかったのだけれど、

自分の子供にあたる年齢よりも遥かに若い、その子を見たら、そう言うしかなかった。

もし車が凹んだままだったら、修理代を請求したかったのは正直なところ。

彼が、このことから何か学んでくれたらいいなと思う。

監視カメラはあったが、あとで調べたら録画をしていない、意味のないカメラだった。

それがわかったのは週明けだから、

ぶつけた日の夜、もしカメラに自分が映っていたら、と思い眠れず、

あとで発覚するよりは、自首したほうが印象はまだいい、という計算だったのかもしれない。

そうであったにしても、告白するのに勇気がいるのは確かだ。



以前、友人の同僚が、モールの駐車場で他の車を傷つけてしまい、

怖くなって逃げてしまった。

後悔の気持ちで夜を過ごした翌日、警察が家までやってきた。

ぶつけられた人が警察を呼び、駐車場の監視カメラに映っていた車から割り出されたのだ。

その人は裁判所まで行くことになった。




逃げたくなる気持ちはわかる。

でも、やっぱり逃げたらダメだ。

3年ほど前、渋滞ののろのろ運転で、背後からガッツンとBMWに追突された。

路肩に余裕があるところまで進んでから、車を寄せて、と後ろの車に合図をしたら、

あろうことかBMWのおっさんは隙を見て逃げ去った。

まさか逃げるとは思わず、ナンバープレートも見損ねた。

その時の傷が、まだ後ろのバンパーについている。

あらゆる悪いことがこれでもかと起きておしまい!と、呪いを飛ばした。

人は、与えたものしか受け取れない。

追突されて逃げられるようななにかを、きっと私はどこかで与えたのだろうが、

そんなふうに考えると余計に腹がたつので、呪っておく。




当て逃げ犯顛末を、ある友人にまとめて話したところ、

「あらー、ほのぼのとしたイイ話だね」

と言った。

「えええー!ほのぼのだぁ?」

「私にはそう思えたけど、違った?」

まあ、そういう見方もできないこともないか・・・・

んじゃ、これは記憶の中の、ほのぼの系のカテゴリーに分類しておくことにしよう。
















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逆サバ

2018-11-24 07:40:09 | 日記
早めにサンクスギビングを祝ってしまったので(その記事はコチラ

本物のサンクスギビングデーは友人とワイキキでランチを食べることにした。

地元民向けの店はこの日は閉まっていることが多いけれど、旅行者が多いワイキキなら開いているし、

自分の運転でワイキキに行くのは嫌だが、夫がいるので大丈夫。

郵便局併設の駐車場に車を置いて、歩く。

夫も私も滅多にワイキキには来ないので、まったくもっておのぼりさんだ。


きょろきょろしながら歩いていると、化粧品屋の店先に立っていた白人金髪のオネーチャンが

これでもかの笑顔で駆け寄ってきて、サッと夫にクリームのサンプルを握らせた。

こうやって先にサンプルを握らせてから、大物をおススメしようというのがテキのやり方。

うちの近くのショッピングモールにも、たまにこういう商法のキオスクが出ている。

1番いいのは、サンプルをもらわないこと。

もらってしまったら、早くその場を去ること。

だから私はそのまま歩き去ろうとしたのに、夫がサンプルを眺めている。

「ねえねえ、モイスチャーライザーだってさー、2個もくれたよ」

ぐずぐずしている間に、オネーチャンは素早く店内に戻り、クリームのビンとスパチュラを持って走り戻ってきた。

「何の化粧品使ってるの?」

そう言って私の目元をジッと見る。

ここで正直に言うことはないのだ。どんなものを使っていたって、相手に関係はないし、

それはただの話の継穂であって、向こうは自分の商品を買ってくれさえすればいい。

なので私は黙っていた。

「これは海草が入ったクリームで・・・」

そう言ってオネーチャンはスパチュラですくったクリームを私の目元に塗ろうとする。

ファンデーションを塗ってあるのに、その上にクリームなんぞ塗られたくはない。

それにこれを塗られたら、立て板に水でセールストークが始まるに決まっている。



「No No No No、I don't want it(いらないわ)」

ここでへらへらと愛想笑いをしてはいけない。

きっぱりとNOと言う。

が、オネーチャンはプロだ。簡単に引き下がるようなことはしない。

「これはオーガニックで海草が入ってて全部自然のもので ペラペラー」

NOと言える国民のはずの夫は、隣で突っ立っている。

いいものなら試してみればいいじゃん、ぐらいの顔をして眺めている。

私達がここで引っかかっているとも知らず、友人はずっと先を歩いている。

ランチの予約の時間も迫ってきた。

オネーチャンの講釈は止まらない。

そこで私はオネーチャンの講釈をさえぎって、鼻息も荒く言った。


「I know it is good, but I don't need it.You know why?

Because I am 61 years old

(それはきっと良い物だろうけど、私には必要ないわ。なぜだかわかる?

私は61歳だからよッ



オネーチャンは黙ってしまい、私の顔をまじまじと見た。


「Really?(うそー)」


ビンとスパチュラを握ったままでいるオネーチャンを置いて、私は夫の腕を引っ張って歩き出した。



友人が気づいてこちらに戻ってきた。

あそこで捕まった、と言うと

「あはは!あそこはね、サンプルもらって立ち止まったらダメなのよー。

同じようなのが、あっちと、その向こうにもあるよ。あの人ら、絶対引かないから」

ワイキキの真ん中のオフィスで長年働いていた友人は、ワイキキの通だ。

興味ないので話しかけないでオーラが友人にはあるのか、足止めされることはなくなったという。

きょろきょろしながら歩いている私達は、ネギを背負った鴨に見えたに違いない。

そしていつも、こういう場面で「NO」といわねばならぬのは私の方で、

夫はといえば、そのままいれば買ってしまいかねない態度。(実際に爪を磨くセットを買ったことがあった)

私は店員と夫と両方に向かって断っているような図になり、腹立たしいったらない。




この、逆サバ読み作戦は、日本にいたときからたまに使っていた。

駅から続く地下道に、昔はよく健康食品や化粧品を買わせようとする人たちがいた。

押しの強いオバチャンに捕まってしまうと、私はこの手で逃げていた。

逆サバする年齢も、二十代だった頃は38歳程度だったのが、今じゃ61歳だ。

このままだと80歳だとか言わねばならぬ日も来るね、と友人に言うと、


「いや、その前にもう化粧品じゃなくて霊園のパンフレットかもよー」



二人で笑ったが、すぐにその笑いは溜息になって消えた。

化粧品を勧められるうちが花ということである。















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