太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

タンジェリンの剥き方

2024-04-25 08:50:31 | 食べ物とか
日本ではもうミカンの季節は終わりごろだが、ハワイでは店頭にミカンが並ぶ。
ミカンといっても日本のミカンではなく、
店頭に並ぶといっても、むろんハワイで採れるのでもない。
タンジェリンといわれるミカンは、カリフォルニアあたりからやってくる。

タンジェリンは、日本のミカンよりも小ぶりで皮が薄く、皮と実が密着している。
甘さははっきりしていて、ミカンよりも当たりはずれなく甘いように思う。

さて、その剥き方だけれど、多くの人はお尻のほうから剥く。
お尻のほうが柔らかくて、親指が簡単に入って剥きやすい。
しかし、ヘタのほうから剥くと、白い繊維のような筋が皮と一緒に剥けて、具合がいい。
おへそのようなヘタを、ポンと取る。
最初、固くて剥きにくいのを我慢すれば、あとはするりときれいに剥ける。

ミカンのあの筋を、丁寧に取り除いて食べる人もいる。
私はめんどくさいからそのまま食べるけれど、筋がないほうが舌触りがいいので、なければないに越したことはない。

昔、叔母とこたつでミカンを食べていた。
叔母は話をしながら、ミカンの筋をゆっくり取っていた。
私が2個食べ終えても、まだ最初のミカンの筋取りをしていて、見ているこちらがめんどくさくなる。

「そんなにその筋が嫌いなの?」

すると叔母は言った。

「特に意味はないけど、こうしてると落ち着くのよねぇー」

なるほど。
確かに単純作業の繰り返しは瞑想状態に近く、頭がすっきりするかもしれない。
筋を取ることで落ち着きたい人は、今まで通りお尻から、
さっさとつるりとした実を食べたい人は、ヘタから剥いてみるといいと思う。




ちゃんとした味噌汁を食べてわかったこと

2024-04-11 10:22:22 | 食べ物とか
我が家の朝食に、味噌汁は欠かせない。
もう何年も、蕎麦ちょこに出汁、味噌、ネギ、生姜のすりおろし、乾燥わかめを入れて、お湯を注ぐだけ、という簡易式で、
味噌玉をたくさん作って冷凍しておき、それにお湯を注ぐだけになってからは1年あまり。
早起きの大人二人の朝は、慌ただしくもなんともないのに、楽なほうへと流れていった結果が、それだ。

昨年12月に私一人で日本に行った時、毎朝、姉の作る朝食をごちそうになっていた。
ご飯と味噌汁、納豆、それに魚の焼いたのとか、なにか一品が加わった標準的な和食スタイル。
もちろん姉は鍋でちゃんと味噌汁を作るのだが、その味噌汁の美味しかったこと!
味噌汁にお米のご飯は、黄金のコンビだということも思い出した。

それで私は心を入れ替えて、ちゃんと鍋で味噌汁を作るようになった。
今まで、蕎麦ちょこという小さな器に豆腐まで入りきらないから、味噌汁とは別に、湯豆腐にしたり奴にしたりしていたのが、鍋に入れるようになり、
「煮る」という行為ができなかったので入れられなかった具が、入るようになった。
そうして具が増えると、蕎麦ちょこではなくお椀になり、ますます味噌汁らしくなった。

意外にも、私が好きな具は玉ねぎだ。

というのも、昔、私は玉ねぎの味噌汁は苦手だったのだ。
実家は祖父母も同居だったので、朝は常にご飯と味噌汁で、パンやコーヒーなどというしゃれた朝食は皆無だった。
母がホットケーキを焼いてくれたこともあったが、それはあくまでもおやつであって、朝食はご飯と味噌汁。

玉ねぎには、ジャガイモ。わかめには豆腐。里芋には大根。卵とネギ。
変わったところで、そうめんの具のときもあった。
私が1番好きだったのは大根と豆腐の具で、苦手なのは玉ねぎとジャガイモだった。
卵もあまり好きじゃなかったのは、母は溶き卵をそのまま鍋に投入するので、白身も黄身もバラバラになったのが固まっていたからで、
自分が大人になって、あらかじめポーチドエッグを作っておくことを知ってからは、卵は好きな具になった。
会社の若い人たちの食事も作っていた母は、多い時で10個もお弁当をこしらえており、わざわざポーチドエッグなど作っていられるはずもない。

家族の中では遅く起きて来る子供たちが朝ごはんを食べる頃には、味噌汁はすでに何度も火を入れたあとで、ジャガイモなどの具は崩れ、味噌の香りなども飛んでしまっていた。
それだからなのか、味噌汁は物心ついたときから決まりのように食べ続けているものだからなのか、心から「美味しい!」と思ったことはなかったように思う。

最初の結婚時代は、私は今とは別人のように料理をしていて、和食が続いても洋食が続いても不機嫌になる相手のために、いろいろ取り交ぜて作り、味噌汁もしっかりイリコやカツオ出汁をとっていた。
でも、「美味しい!」と思って食べたことがあったかどうか、記憶にない。


心を入れ替えて、鍋で味噌汁を作るようになった今、毎朝、「美味しい!」と感動している。
出汁は、姉も妹も使っている、パウミーという焼津の即席出汁だ。
湯を沸かし、出汁をいれ、玉ねぎ、豆腐、油揚げ、常備しているキノコ類を入れ、味噌を溶かし、最後に塩糀を入れて火を止める。
お椀に、刻んだ青ネギ、乾燥わかめ、チアシードを入れ、夫のにはそれにおろし生姜も加えて、できた味噌汁を注ぐ。
たまに、冷凍してあったご飯を温めたら、もう至福。

本当にちゃんと作っている人に比べたら、全然ちゃんとしてはいないのだろうし、具がごちゃごちゃで見た目にはアレな味噌汁ではあるが、毎朝幸せな気持ちになれるのだからいいだろう。

「Good soup!」

違いのわからない夫にも、どうやらこの違いはわかるらしく、いつも褒めてくれる。
姉の手料理で、毎日お米のご飯を食べることの幸せも再確認し、以前よりもご飯を食べるようにもなった。
ちゃんとした味噌汁を食べてわかったこと。

日本人に生まれて、よかった!

ありきたりだけれど、そう思う。
ついでに、和食の良さをわかってくれる夫でよかった。









オムライスを和食のトップ3にいれる会

2024-04-02 10:07:29 | 食べ物とか
私は、オムライスを和食のトップ3にいれる会の会長だ。残念ながら会員はいない。

庶民的な店で外食をすると、お米のご飯が残る。
ハワイでは、お米のご飯はお玉に2杯も3杯も出てくる。プレートランチであっても、ご飯がてんこ盛り。
食べきれないので、箱をもらって持ち帰ることになる。
お米を食べる国に生まれた私は、お米をみすみす捨てることができないからだ。
小学校の頃、農業体験でお米を育てる実習があった。
モミを割って、出てきたお米を精米し、お箸ですくう程度の量のご飯になるのに、どれだけ時間と手間暇がかかるものか。
卵の孵化実験や、鮒の解剖など、トラウマになりこそすれ、何の役にもたたないと思うが(どちらも嫌で学校をズル休みした)、農業体験はすべての子供にやらせるべきだと思う。


話はズレたが、そうやって持ち帰ったご飯は、チャーハンになる。
外食で使われている安いお米は、美味しくない。少なくとも、日本人の口には合わない。
だから、炒めたりオジヤにしたりするのだ。
そうは言っても、私一人が食べる量など知れていて、いつか炒められるのを待つご飯が冷凍庫に増えていく。

ある時、そのご飯でお弁当にオムライスを作った。
チャーハンは出来立てが美味しいけど、オムライスならレンジで温めればいい。
多めにできたので、タッパに入れて職場に持って行き、同僚にあげた。

「なにこれ!!」

生まれて初めてオムライスを食べた同僚は、激しく感動。
その噂は広がって、その後もご飯が余ったときにオムライスを作り、余分を誰かにあげるようになった。
そして食べた人全員が、

「なにこれ!!」

と激しく感動する。
誰一人として、オムライスを見たことも食べたこともない。そもそも、ケチャップ味のご飯というのが斬新らしい。
ケチャップといえば、フレンチフライにつけて食べるもの。
「ねえ、またあれ作ってきて」
とリクエストされるほどの人気ぶり。
外国人がいる集まりに持ち寄りで料理を持っていくことがあったら、ちらし寿司感覚でオムライスがいいと思う。
卵をたっぷり乗せて、ケチャップをたっぷりかけて、見た目もいいし、なにより彼らはこの味が大好き。

ちなみに、持ち寄りでダメなのが「おでん」。
あれは、いけない。
和食大好きな夫も、おでんはダメで、日本にいたときの夫の同僚たちも、口をそろえて「おでん、食べたくならないね」と言っていた。
理由は、どれを食べても同じ味、と夫は言うのだけれど、そんなん、シチューだって何だって具は同じ味じゃないか。



和食といったら、寿司、天ぷら、オムライス


突然であるがそんなわけで、私は和食のトップ3に、堂々とオムライスを推薦したいのである。





暗黙のルール

2024-03-28 10:40:07 | 食べ物とか
回転すしで思い出した。
回らない普通の寿司屋が苦手である。
と言っても、遥か昔に、その場の流れで仕方なしに何度か行った程度だが、行くたびに、もう行くまいと思う。

カウンター席につき、醤油皿と寿司をのせる木の台が出てくる。カウンターの向こう側には二人ぐらいの板前さんが、忙しそうに立ち働いている。
ものを知らない私は、何から頼めばいいのかがわからない。
いきなりウニなんて頼んだら邪道なのか、タマゴは好物だけど、いつごろ頼めばいいのか。

「エンガワをつまみでね」

中年の紳士が、慣れた調子で頼んでいる。
一緒に行った連れには、どう頼めばいいのか聞きたくない。私は二十歳そこそこで若く、変な意地があった。
今なら、「最初からウニなんか頼んでもいいかしら」なんて板前さんにしゃあしゃあと聞けるほどの面の皮なのに。

壁に掛かっているネタの札を眺めて、中トロあたりなら良さそうではないかと思う。
が、今度は、頼むタイミングがつかめない。
板前さんたちは忙しそうで、手のあいた隙に頼もうとすると、他のお客と話を始めたり、さあ今だ、と思うとくるりと背を向けて他のことをしたり。
タイミングを掴もうと、ジーっと板前さんたちの挙動を凝視している私に、連れが、
「頼まないの?」
と聞いてくる。
だから今頼もうと思ってるんじゃないよ!と心の中で言い、思い切って、
「中トロ、ください」
と言ってみる。
けれど、声が小さかったのか、誰も振り向かない。
もうここでお寿司なんかいいから帰りたくなる。
もう一度、「中トロ、ください」とボリュームをあげて言って、ようやく一人の板前さんと目が合う。

「へい、中トロ」

ようやくのことでお寿司が目の前に出てくる。
さあ、次は何を頼もうか。板前さんの挙動を監視し、と、以下同じことを繰り返し、帰るころにはヘトヘトになっている。

寿司屋の敷居が高いと感じるのは、私が若かったからだろうか。
あの緊張感は何だ。
恐怖のラーメン屋「再見」ほどではないにしても(「再見」の記事はコチラ)、居心地の悪さという点では似たようなもの。

いつだったか、東京の有名な寿司屋のドキュメンタリー映画を観た。
その店は何か月も先まで予約が埋まっており、静寂の中でカウンターについたお客たちが、出てくるお寿司を恭しく食べ、隣同士で「美味しいですね、さすがですね」などと小声で言い合ったりする。
まるで、ありがたく食べさせていただく、というような感じで、私はたとえ無料で連れていってくれると言われても、行きたくない。

余談だが、昔、フランス料理の高級な雰囲気のレストランに行った時、食前酒を聞かれた。
お酒はあまり飲まないし、どんな種類があるかもわからないので、唯一思いついたマティーニを頼んだ。
ウェイターが去ったあと、連れが
「女の人がマティーニを頼むのは、ちょっと変だよ」
と言った。
あの時代、スマホがあったら、その場で調べることもできたのに、私はそんなものなのかと思っただけだった。
そのことを思い出して、今の夫に聞いてみたら、
「そんなことないよ。何を飲もうがその人の勝手じゃん」
と言う。
そうだそうだ。何を飲もうが私の勝手じゃ。
女はマティーニを頼まないだなんて誰が決めた!決めたやつ連れてこーい!
と、何十年もあとになって息巻いた。


私はいまだに、ほんとの寿司屋で最初に頼んでいいものと悪いものが何かわからない。
この先、ほんとの寿司屋に行くことがあるとしても、暗黙のルールなんかどうでもよく、食べたいものを食べようと思っている。

ハワイには、元気寿司という回転すし(これは回っているらしい)があるが、それができる前に、夫がホノルルの寿司屋に行ったときのこと。
マグロ(ハワイではアヒ)を頼んだら、板前(現地人)が
「おまえはマグロを食べたくはない!」
と言って、別のネタを出してきたという笑い話のようなホントの話。
「寿司屋ってどうなってんの?」
まったく、どうなってんの。














栗おこわ

2024-03-27 13:42:05 | 食べ物とか
買い物担当である夫が、日本食スーパーで「栗おこわ」の素を買ってきた。

「日本語が読めないのに、なんでわかったのさ」

「だって写真ついてるし、栗が入ったご飯かなーって。栗、好きでしょう」

日頃、私が栗、栗とうるさいのを知っているのだ。
早速、休みの今日、炊いてみた。
パッケージを見ると、『料理自慢をしたいときに』なんて書いてあるが、自慢する相手もいないので、猫たちに見せる。

栗おこわ

大盛一膳を食べて、あとは小分けにして冷凍し、お弁当にもっていこう。
このもち米の独特の風味と、栗の素朴な甘みがなんともいえず美味しい。
この美味しさは、やはり日本人でなければわかりあえない。おかずは、炒めたケール入りの卵焼き。
味噌汁は今朝食べたので、抜き。

「隣に豆の写真がついたのもあったよ」

「こんな字、書いてなかった?」

赤飯と書いてみせたが、無理だろうなあ。

「んー、わかんない」

そうだよね。
お赤飯だったら、それも食べたい。
15分足らずで炊けてしまう、内釜ペコペコの炊飯器(というより電気釜)で炊いてもちゃんと美味しいのだから、お赤飯も期待できる。
妹の嫁ぎ先は和菓子屋で、よくお赤飯をお土産に持ってきてくれた。両親ともおこわが好きで、年中、お赤飯やらおこわを食べていた。

なんだか、ハマチだ栗おこわだと食べ物の話ばかり。
残るは食い気か。

このひと月あまり、義両親とは夕食を共にしなくなったのは、互いに食べるものが違いすぎてきたからだと思っている。
夫は、夫独自の食習慣をかたくなに守っており、私は私で、ほうれん草のキャセロールとか、エンチラーダとか、ポークチョップといったものはあまり食べたいとは思わなくなった。
それよりも豆腐や日本カレーや天ぷらのほうがいい。
互いに食べたいものを作って持ち寄るようになっていったが、自分たちの料理しか手をつけないし、その日の義両親の予定や食べる時間のすりあわせが軽く面倒になってくる。

家で食べる料理は、昔から食べていたものがいい。
それは年齢とともに、なのか、それとも私が外国に住んでいるからなのか、その両方なのか。
年齢もあるとすれば、夫とて50を過ぎて、シュートメが作るガイジン的な料理で育ったはずが、今はそれよりも味噌汁や納豆や豆腐のほうが好きというのは稀なことではないだろうか。