太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

変身コーナー

2017-04-30 11:28:44 | 日記
1度だけ、テレビに出演したことがある。

ローカルのテレビ局の美術部で働き始めて、わりとすぐの時だ。

当時、毎週土曜日に『ジャンジャン サタデー』という生番組をやっており、

その看板コーナーに『変身コーナー』というものがあった。

応募してきた視聴者を、それぞれのプロが、髪型や洋服、メイクなどで変身させるという、

今では珍しくもなんともないものだが、数十年前にはそれなりに人気があった。


その日、出演するはずの視聴者が急病で出られなくなり、

急遽誰かを調達しなくてはならなくなって、ディレクターの一人が私を指名したのだ。

私はとんでもないことだと思い、断り続けていたのだが、

夕方5時の番組に合わせるために、午前中には美容院に行き、午後一番には洋服を選ばなくてはならない。

私よりも見栄えがいい同期入社の子たちがいるのに、どうやら私が1番暇だったようで

結局断りきれるものでもなく、やることになった。


午前中、変身前の映像を撮ったあと、美容院に行く。

私の髪型は、当時流行っていた「ワンレングス」という肩下10センチぐらいの、いわゆるボブで

私は髪型を変えるのも、髪を染めるのも嫌だったのに、

ほんの少しだけだから、といって髪を肩の長さに切り、前髪の一部に金色のメッシュを入れられた。

そのあと、ブティックに行き、服を選ぶ。

もちろん選ぶのは私ではなく、スタイリストである。

スタイリストが選んだのは、私が「それだけは着たくない」と思う服で

鏡の前で顔が険しくなってゆく私を、番組をディレクターがなだめすかし、局まで帰ってきた。


本番前にメイク室でメイクアップアーティストがメイクを施すのだが、

今まで使ったこともない濃い色のアイシャドウやら、チークを入れ、

できあがった私は、カラスのようなジャケットを羽織ったヤンキーまがいであった。



「似合う、似合う、すごくいいよ!」


ブスーッとしている私に、アシスタントディレクターとディレクターが交互に言う。

ンなはずあるわけないじゃん。

本番が始まり私が映るシーンになると、アシスタントディレクターが


『笑って 笑って』

『嬉しそうに』


と殴り書きしたカードを見せて、変顔を作ってみせる。

私の心中は、どうか誰も知っている人が見ていませんように、ということばかりだった。




そしてその夜、当時中学生だった妹が

「ひろこちゃん(妹は私をそう呼ぶ)、テレビに出た?」

と聞く。

私は家族の誰にも話していない。

「な、なんでよ(汗)?」

「いけちゃんがテレビで見たっていうんだよ、アンタのおねーちゃんじゃないかって」

いけちゃんは妹の友達で、蕎麦屋の娘だ。

「いけちゃん、なんか言ってた?」

「おねーちゃん、変わったねえって言ってた」

「ほかには?」

「うーん・・・おもしろい服だねって。私も見たかったよぅ、なんで教えてくれなかったの?」



そのおもしろい服は、もらってきた。

カラスみたいなジャケットは、着ると意外と好評だった。



それから、変身する番組を見るたびに、

この人は果たして本当に満足なんだろうか、

スタジオの暗がりで『笑って!』という紙を振り回されているんじゃないか、

と私は勘ぐってしまうのである。










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インターナショナルマーケットプレイス

2017-04-28 07:45:19 | 日記
友人とワイキキで待ち合わせたときに、意味がわからなかったインターナショナルマーケットプレイス

それが何か、わかった。


ここは以前、巨大なバニヤンツリーを真ん中に、屋台のような小さなおみやげ物の店がひしめく界隈で

1度だけ、行ったことがあった。

場所の名前も知らずに行くから、経験とニュースがかみあわない。

とにかく、そこがマーケットプレイスだったということがわかったところで、

知ったかぶりをして続けよう。



おしゃれになってゆくワイキキにあって、そこだけバリ島のような雰囲気で

地元の人には人気があった。

だからそこが56年の歴史を閉じて取り壊されて、新しいビルになるのを地元民は激しく反対したのだが

できてみたら、意外といい感じの建物になった。

何よりも良かったのは、樹齢150年のバニヤンツリーを残してくれたことだ。


バニヤンツリー


風が抜けて気持ちのいいスペース



ガラスの多いモダンなビルではなく、あたたかみのある雰囲気があり、

吹き抜けになった1階部分には小川が流れて、ハワイの花や木が植えられている。




エスカレーターを上がると、バニヤンツリーの中腹に建てられたツリーハウスに入れる橋がある。


ツリーハウスの中は、インターナショナルマーケットの歴史が写真で飾られている。




50年前のインターナショナルマーケット。




かつての屋台のおもかげは一切ないけれど、

まだ工事中の場所もいくつかあって、そのうちのひとつは、どうやら日本食のレストランが集まっている場所のようにみえる。

今から楽しみである。








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アメリカ人はドライか

2017-04-27 07:41:37 | 日記
ここ数年で、夫の両親の友人らが、櫛の歯が抜けるようにハワイを去った。

彼らはみんな、アメリカ本土にいる子供や孫の近くに引っ越してゆくのだ。

それを、私はとても意外に受け止めている。

私のイメージのアメリカ人は、もっとドライで、

親は親、子供は子供でさっぱりとやってゆくのだと思っていたからだ。

そもそも、生まれた時から違う。

親子で川の字はアジア人で、アメリカの赤ん坊は一人でベビーベッドに寝かされる。

大人が行く場所に、子供は連れていってもらえず、ベビーシッターが来て子供をみる。

学生でなくなった子供が親の家にいるのは恥ずかしいことで、子供はさっさと独立する。

ハワイの場合、住居費が異常に高いのと、アジア人が多いのとで、子供が親と住んでいる家庭は

本土よりは多いと思うけれど。



一般的にアメリカは、親が年をとったら家を売り、ナーシングホームに入る。

それもハワイに関しては、良いナーシングホームは家を1軒売ったぐらいで入れるものでなく、

庶民の手が届くところは、倍率が高くて入るのが難しいらしい。

だから、生活コストが安い本土に引っ越す人たちがいるのは確かだ。

しかし、夫の両親の友人らは皆、そこそこ余裕がある人たちばかりであるのにもかかわらず

人生の大半を過ごしたハワイを捨て、新天地に行ってしまう。



子供や孫の近くに住みたい。



それは国を超えて、共通する思いなんだろうか。

子供も孫もいない私には、生涯わからない気持ちなんだろう。





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待ち合わせ

2017-04-26 07:38:26 | 日記
ワイキキで友人と待ち合わせるのに苦労した話を書いたが(それはコチラ

そのときに、携帯電話がなかったら会えなかったね、と話したことから思い出したことがある。





かなり昔、まだ二十代だった頃、仕事終わりに友人4人で待ち合わせをした。

静岡市の繁華街は、駅から北に伸びる1本道で、

当時、駅に1番近いところに西武デパートがあり、最北端に伊勢丹デパートがあった。

私達は伊勢丹の入り口で7時に待ち合わせることにした。


私はこう見えて時間には正確で、いつも早めに行く。

それがその日は、7時ちょうどぐらいに伊勢丹に着いた。

しかし仲間内では私と同様、いつも早めに来るはずのMがいない。

5分ほど待っていたが、私は不安になってきた。




『ひょっとして、伊勢丹じゃなくて西武の入り口だったかな』





というのも、友人の一人が西武デパートで働いていたからで、

いったん、そう思いだすと、どんどんそうじゃないかと思えてくる。

思い込みが激しい私は、適当に人の話を聞いて勝手に思い込む。

だから、西武といったのを、伊勢丹だと勘違いしたに違いない。ああきっとそうだ。

私は西武デパートに向かって歩き出した。

西武デパートに着くと、入り口に西武で働いているSが立っていた。

やっぱり西武だった、と思っていると、Sは携帯電話で誰かと話をしながら私に手を振った。



「来た来た、やっぱり来たよ、今から一緒にそっちに行くワ」



そこにTもやってきた。

待ち合わせは、やはり伊勢丹で、伊勢丹で待っているMと電話でやりとりをしているらしい。

なぜ私が西武に行くことがわかったかというのは、こういうことだ。



私が西武に向かって歩き出したあとで、Mが伊勢丹に来た。

いつも早く来る私がいないので、Mは直感で私の心の動きを読み取り

西武で働いているSに電話で、私が行くと思うから正面玄関にいるように、と言った。

するとSは、私のことだから、正面玄関ではなくて 搬入口 に行く恐れがある、と言い

もう一人の仲間のTに、搬入口を見張るように伝えた。

そこへ私がのこのこと現れた、というわけである。





ここまで他人に行動を読まれる私って・・・・・

しかし、いかに私でも搬入口には行かないだろうと思うが

人にそう思わせる過去が、きっと私にはあるのだろう。





当時、携帯電話を持っていないのは仲間内で私だけだった。

携帯電話の必要性を感じたことはなかったからで、全体に見ても今ほど普及はしていなかった。

しかし、その待ち合わせのあと、私は友人達にじっくりとお願いされた。



「頼む!頼むから携帯電話を持ってください!アンタが一番必要なんじゃ!!」



それでも私はしらりくらりとしていたが、ほどなくして携帯電話を買って、仲間を喜ばせた。

来るはずの相手がこないとき、あれこれと想像をめぐらせたりするのも乙なものじゃないか、と私が言うと



「絶対にそんなふうに思わないッッ!!」

「アンタが言うな!」



と声をそろえて言われたものである。






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どっちもどっち

2017-04-24 19:29:50 | 日記
てんぷらを食べに行くために、友人とワイキキで待ち合わせをした。(てんぷらの記事はコチラ

友人は家からバス、私は車をよそに停めて、徒歩でゆく。

目指す場所は、二人とも初めて行くところだが、友人は毎日バスでその前を通る。



前日のメールのやりとり。

友;インターナショナルマーケットプレイスのあたりのバス停で11時ね

私;その近くに目指すビルはあるの?

友;たぶん近いと思うんだよね

私;インターナショナルマーケットプレイスって何?

友;そういう新しいビルがあるんだよ

私;ふうん、歩いていくから、行けばわかるね



ワイキキのメインストリートである、カラカウア通りは一方通行で、

路線バスが走っているのは1本隣のクヒオ通りである。

だから私は、クヒオ通りをインターナショナルマーケットプレイスとやらに向けて歩いた。

しかしその建物が現れる前に、てんぷら屋が入っているビルが見えてきた。

そのインターナショナルマーケットプレイスが、ここからどのぐらいの距離にあるかわからないが

せっかく目的地が見えているのに通り越していくのもアレだなあと思い、友人に電話した。




「今どこ?」

「バス停で待ってるよん」

「てんぷら屋のビル発見した」

「え、ほんと?どこにいるの?」

「うーんと・・・・ロイヤルハワイアン通りとクヒオ通りの交差点」

「何が見える?」

「うーん・・ここはたぶんキングスビレッジのとこだと思う(全く間違っている)」

「それじゃあ行き過ぎたかもよ」

「行き過ぎたって何を?」

「私が待ってるバス停」

「ずっと歩いてきたのに、アンタを通り越したってこと?」

「うん、だからさ、私は動物園のほうに向かって歩くから、来た道を戻ってきたら?」


しかし炎天下を歩けども歩けども、友人には会えない。

既に指摘事項は数え切れないほどある。


■ バス停に名前などないのに、なぜバス停で待ち合わせるのか

■ インターナショナルマーケットプレイス、というビルを下調べしない私

■ キングスビレッジ、と言った私の言葉を鵜呑みにする友人

■ 目的地の建物の場所をはっきりわかっていない友人


「ねえ、なんかワイキキから離れていくよぅ」と私。

「えぇー、会える気がしなくなってきたー」と友人。

私達は会えるつもりで、しかし二人の距離はどんどん離れていったのである。



私達は、クヒオ通りで会うことを諦め、メインストリートに出ることにした。

メインストリートのほうが目印になる店が多いし、目指すビルもそこにある。

電話を耳にあてたまま、実況中継しながら歩く。

私は早々に目的地のビルに着き、その前に立った。



友人「何が見える?」

私「チーズケーキファクトリーがみえる。今どこ?」

友人「インターナショナルマーケットプレイスのとこ」

私「だから、どこよ、それ?」





結果、二人が会えたのはそれから6分後。

「ああ、やっと会えた・・・こんなことなら最初からこのビルの前で待ち合わせりゃよかったね」


まったくである。







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