太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

失せ物は突然に。

2022-06-28 08:02:44 | 不思議なはなし
今日は、ホノルルの、いつも作品のコピーを頼むところに行き、ブックオフに寄り、そのあと1件だけギャラリーに作品補充に行く予定。

朝1番に、まだ続く断捨離ブームで、洋服が入っている引き出しと、シューズケースの上を片づけた。
大きな紙袋ふたつの寄付品と、大きなゴミ袋ひとつのゴミが出て、再びすっきり。
コピー屋と、作品の補充の準備をして、身支度も整えたところで、バスルームの棚に小銭を発見した。
それを財布に入れておこうとバッグの中を探したら、

財布がない!😨

そのバッグは毎日職場に持ってゆくものだ。
普段、仕事に行くときには殆どといっていいほど財布は使わない。使わないけど常に財布はそこにあるはず。
それが、ない。
バッグを逆さまにして中身を出す。
のど飴の残り、封筒に入ったままの給与明細がいくつか、ボールペン2本、レシート、なぜか輪ゴム、サニタイザー、何かのメモ、クリップ、雑多なものが転がりでて、我がだらしなさにうんざりする。
断捨離が必要なのはバッグだが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
財布がないのだ。

心臓がドキドキしてくる。
昔、天使に夢中になっていた時期があった。
今でも天使は信じているが、日常的に思い出したりすることはあまりない。
しかし、失せ物を探してもらうには、大天使チャミュエル👼が助けてくれることを覚えている。

「大天使チャミュエル!!!私の財布を探してッ!!」

大声で私は叫んだ。


最後に財布を使ったのはいつか。
たぶん先週の、いつか。仕事が早めに終わって、スーパーに寄った日があった。
車の中を探す。シートの下、横など、バッグから財布が飛び出すこともあるかもしれない。
そして昨日は、職場のオフィスの壁のフックにバッグを掛けていた。
職場に電話をかけて、財布がないか探してもらった。

「フックの下にも、どこにも見当たらないよ。もしかして・・・盗まれた??」

同僚が言う。
オフィスには入り口が2つあり、店から丸見えで、従業員の出入りが激しいので、よくドアが開いたままになっている。
1度に百人あまりのお客がなだれこんだら、誰かがオフィスに入ってもわからない。

「引き続き探してみるよ」

と言う同僚にお礼を言い、今度は夫に電話をかけた。

「財布がないんだよぅ」

「車を見た?ほかのバッグは?職場は?」

「探せるとこはみんな探した。もし盗まれたとかだったら、カードを止めないとならないよね」

「でも僕も同じカード持ってるから、止めたらこっちも使えなくなるよ」

「免許証は再発行しなくちゃならないよね」

「とにかくもう一度よく探してごらん」

そのとき、ありえない場所に、ぽつんと財布があるのを見た。
それは、私のデスクの脇にある書類引き出しの上の、絵の道具入れのてっぺん。
なんでそこに?

「あったあった!あったよー!」

「どこにあった?」

「絵の箱のキャビネットの横・・・(もう英語がメチャクチャ)」

「・・まあとにかくあってよかったね」

信じない人もいるだろうけど、大天使チャミュエルは本当に探し出してくれる。
私は何度も助けられた。
10年あまりも前になるが、夫が日本で働いていたところの、代表の人の携帯電話の番号がどうしても必要になったことがある。
夫はどこかに書き留めた記憶もなく、探すにも雲をつかむようなもの。
とりあえず、大天使チャミュエルに頼んでから、日本関係のものがありそうなところを見てみたら、あっさりと見つかった。
夫が日本で仕事を探していたときのメモがあり、そこに代表の人の苗字と電話番号があったのだ。

夫が、金額無記入の、サイン済の小切手を落としたこともあった。
もし誰かが拾って、宛先に自分の名前を書き、好きな金額を入れたら、口座から落とされてしまう。
文字通り、青くなった。
大天使チャミュエルに、しっかり頼み、夫が歩いたところを探しに行く。
いくら心配したって仕方がないし、やるだけやったら、あとはもうお任せしておこう。

そして夜、帰宅した夫の父が

「今日、銀行から電話があってね、誰かが無記入の小切手を拾って、それを銀行に届けてくれたんだってさ」

「えーーーッ!それは今朝から探していたんだよ!」

「ああそうなの?銀行側が、それは破棄したから、って言ってたから大丈夫だよ」

夫が日本にいた間に、いろいろと代理で頼むことがあったので、銀行の口座は両親との連名になっていて、今もそのまま。
だからトップに名前のあった父のところに電話があったのだと思う。
無記入の小切手を拾って、わざわざ銀行に届けてくれるなんて、人の形をした地上の天使か・・・・



財布がそこにあった理由は、だいぶあとから判明した。
金曜日、ジュディスに会いに行くのに、財布だけ絵の道具の入ったバッグに入れて行ったのを思い出した。
絵の道具箱を元の場所に戻した際に、財布もそこに入っており、私は気づかずに財布と免許証なしでしばらく通勤していたことになる。
改めて、自分のだらしなさが悲しい。


職場の同僚に報告し、ホノルルに出かけ、帰宅してからバッグとデスクの断捨離をしたのは言うまでもない。



いきなり断捨離がとまらない

2022-06-27 07:29:26 | 日記
フランスから戻って、最初の休日。
夕方にハワイに着いて、翌日からは二人とも仕事だったから、時差ボケてる間もなかった。
朝、5時ごろにむっくりと起き上がった夫が、洋服のクロゼットをおもむろに開け、不要な服を選別し始めた。
そっちがやるなら私だって。
2人で、ごみの袋4つ分の不要服が出た。

なんとすがすがしいことか!

見直せば、まだ出るが、それは第2ラウンドで。

スイッチが入ってしまった私たちは、朝食のあと、キッチンの戸棚を開けた。
いただきものの中華鍋は1度も使わずに戸棚の肥やし。
同じく、いただきものの、スパイスをすりおろす道具も新品だ。そんなことをするような料理を、私がするわけがないではないか。
猫が遊び飽きた猫タワーや、おもちゃ。
もう観ないと思われる大量のDVD。
そして屋根裏に行き、以前は壁に掛けていた額入りの絵や写真などが30個以上。
こういうものは、1度外すとエネルギーが変わって、なんとなく合わなくなる。
好きで手に入れたものだから、処分するにはためらいがあったのだが、もうじゅうぶんに楽しませてもらったから手放す。
ばかでかいスーツケースは、夫が一人で日本に行ったときのもの。
スーツケースも、今は布よりも軽い素材のものに変わりつつあり、そのでかいスーツケースに大量の額や写真たてを詰め込んだ。
こぶりの布のスーツケース2個も、処分。


これが「捨てる」となると気持ちが萎えるのだけれど、寄付できるので、きっと誰かが使ってくれると思うと罪悪感がなくなる。


今度は、バスルームのクロゼット。
奥行きが20センチほどの棚が4段あり、設計の段階で、棚板は上に行くにつれて1センチずつ奥行きが狭くなるようにしてもらった。
高いところは、奥行きが狭いほうが物が取り出しやすいからだ。
ここには、予備のトイレットペーパーやタオル、薬や私のイヤリング類、予備の化粧品やソープ類、予備のシーツ、洗剤や小さなゴミ箱などが収まっている。
両開きの扉があるが、たいした奥行きもないこのクロゼットから、なんでゴミ袋2個分の不用品が出るのか。
さすがにこの不用品は捨てるもの。
それだけ捨てたら、恐ろしくすっきりとした。
もう気分がいいのなんのって、私はバスルームに行くたびに扉を開けて眺めている。

夫に、断捨離という日本語を教えてあげた。
我が家の断捨離の波は、まだまだ続く。



違うということがわかればいい

2022-06-25 15:08:56 | 日記
フランスの、ラコステに滞在していたときのことだ。
その日、街の自転車屋で自転車を4台借りて、バイクパスを走った。
昔の鉄道の線路をバイクパスにしたもので、のどかな風景を眺めながら風を切って走るのは気持ちがいい。
何キロも走ってUターンして、車を停めたところに戻ってきたら、夫が、ここからホテルまで自転車で行くと言い出した。
ホテルは山の中腹にあり、車だと10分以上かかる。

「車も通る狭い山道を、しかも知らない土地で危ないじゃん!」
「大丈夫だよ、ホテルのある方向はわかってるし、道標だってある」

私は自分のスーパー方向音痴を人に当てはめて、不安になる。
私は引き止め、義父が一緒に行くと言ったが、シュートメは
「あ、そう。それじゃあホテルで会いましょ」
と言ってさっさと夫を送り出した。
ホテルに着いてからも、私は心配で、思い余って外に見に行ったら、夫がゆっくりの坂を上ってくるところだった。


また別の日。
朝から出かけて、マルシェを見たりランチをしたりして、夕食はベトナム料理にしようということになり、夫が見つけたレストランに直接寄って予約をした。
そのあと、そこから車で20分以上かけて別の小さな集落に寄ったら、夫が、自分はここで降りて勝手に写真を撮りながら歩くから、7時にあのレストランで落ち合おう、と言う。

再び私は「ガーン!」ときた。
「あそこまで歩くって、とても歩く距離じゃないじゃん。一人で行かせないよ、私も行く」

「行きたいならいいけど、でも疲れてる顔してるからホテルで休んだほうがいい」

それは確かにそうだ。私は疲れていて、炎天下を歩く元気はなかったのだけれど、夫を知らない場所に置き去りにするのは心配で仕方がない。
車を降りかけた夫に、
「歩くって1時間以上かかるじゃないか」
と言った義父を、夫が黙って睨みつけた。その瞬間、シュートメが
「じゃあね、レストランで会いましょ」
と言って、さっさと夫を降ろして車を出した。
走り出してから、夫が時計を持っていないことを思い出した。携帯電話はバッテリーがなくなって私のバッグにある。いったいどうやって時間を知ることができるのか。今なら戻って私の腕時計を渡せるかも。
それを義両親に言うと、シュートメが、
「ま、なんとかするでしょ」
と言って取り合わない。

その時、3時。このあと4時間も一人で知らない土地をほっつき歩くというのか。

心配しても仕方がないので、シャワーを浴び、昼寝をして、7時にレストランに行くと、既に待っていた夫がにこにこしながら歩いてきた。
しばらく車道を歩いていたら、昨日走ったバイクパスを見つけて、そこを歩いてきたのだという。
私はホッとして、そのぶん腹がたった。

「You don't need me(私なんか必要ないね)」
これは嫌味で言った。
「そんなことないよ」
「You need your space,don't you?(あなたは自分だけのスペースが必要なんだよね)」
これは本音で言った。
それについて夫は何も言わなかった。

私は何でもシェアしたい暑苦しい性格で、その上心配性。
ハワイにいる時には、夫は何でもシェアするので忘れていたけれど、一人になりたい、自由にしたいというのも、確かに夫なのだ。
何か月も一人でバックパッカーの旅ができる夫と、そんなことは天地がひっくり返ってもしたくない(ていうより、できない)私。

前の職場にいたときのお客様で、占星術ができるフランス人がいて、夫と私をみてもらったことがあった。
しばらくして店にやってきたその人は、開口一番、夫の生年月日を指さして
「このデータで間違いないよね?」
と言った。間違いない、と言うと、
「うーん・・結婚してるんだよねえ。この人は結婚は向かない人で、生涯一人で自由気ままに放浪しながら生きる、はずなんだけどなぁ」
と首をかしげていた。

夫がそういう自分を変えられないように、私も、瞬間的に「心配」という罠に落ちる性格をどうすることもできない。
そういう私を、夫もまた、よくわかっていると思う。

それにつけても、シュートメの潔いことよ。
産み、育て、50年も付き合ってきただけあって、束縛しないのがいいのだということを1番よく知っている。


明日は、出会ってから16年目の記念日。
無駄な心配をせず、あっさりと放り出せるようになれたらいいとは思うけれど、そうじゃないのに、そういうふりをすることはしない。
前の結婚で、「ふり」ばかりを重ねてきた結果がひどいことになったから、それはもう懲りた。

ただ、何かが起きたとき、
「この人はこういう人なんだなあ」
と思い、それに対して正直なリアクションをする自分を
「私はこういう人なんだなあ」
と思う。
いつかその距離が近づいて躓きが小さくなればそれでいいし、変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
何かをどうこうしようと無理をせず、自分に正直に生きていれば、違う、ということに毎回気づきながら暮らしてゆくのもいいのではないかと思う。



フランス 10 ~パリジェンヌのウエスト

2022-06-24 08:40:12 | 旅行




最終日の日曜は、二日間さんざん歩き倒したことだし、のんびり過ごした。
ハワイに戻るのにPCR検査を受ける必要があって、日曜日にもあいているファーマシーを確認してあったのだが、私たちが戻る月曜日から、その制度が廃止になり、検査を受けなくてもよくなった。ラッキー!
こういう情報は、常に情報をチェックしているシュートメから送られてくる。
そういうことには疎い私たちだけだったら、知らずに検査を受けていた。

最後の夕食は、ホテルから徒歩で行ける距離にあるレストラン。
ここが大当たり。
オニオングラタンスープとサラダ

子牛のステーキ

フランボワーズタルトとカプチーノ

こういう洋食系よりも和食がいいと思う私でも、ここの食事は大満足。
1時間かけてゆっくり最後のパリを楽しんだ。


パリジェンヌはオシャレだというのは、よくあるマスコミが作り出すイリュージョンではないかと思っていた。
しかし、実際、ほんとうにオシャレな人がたくさんいた。それぞれが、自分に似合うものをよく知っていて、流行りのファッションというのではなさそう。
歩きやすそうな、でもスタイリッシュな靴に、細身のジーンズ、シンプルな白い七分袖シャツに、たっぷりめの麻のスカーフ。
カフェの通りに面した椅子に座りながら、通り過ぎる人達のファッションを見るのが楽しい。

私がファッションとともに注目したのは、彼女たちのウエストの細さ
全体に、フランスには肥満体の人が少ないのではないかと思う。特に若い女性たちのスレンダーなこと。
私が日本に住んでいたら、それほどには思わなかったかもしれないが、ハワイでボリュームたっぷりな人々を毎日見慣れている目には新鮮だった。
ハワイにはサモアの血を引く人も多く、彼らは細くなれない細胞を持っているから仕方がないにしても、お腹まわりに「マフィントップ」とか「ラブ ハンドル」と呼ばれる脂肪がたっぷりとついている人がたくさんいる。
それでも、アメリカ本土から来る人達に比べたら、ハワイの人は肥満ではないかもしれない。
本土の人達の中には、空気で膨らませたような超肥満の人を見かける。
アメリカ人は太っている、という結論か。


とにかく、パリジェンヌのシュッとした細いウエストを、私は感動をもって眺めた。
細長い紙袋から、バゲットをはみ出させたのを抱えて歩く図は、パリのよくある図柄だけれど、これも本当にそうやって歩いている人がけっこういる。
TGVの中で、25センチはあろうかという長いバゲットのサンドウィッチをぺろりと平らげていたのは、かなりスリムな男性だった。
彼らはあんなにパンを食べていて、どうして太らないのか。


朝、カフェに行くと、初老の男性が、通りに面したテーブルに座って、エスプレッソを飲みながら新聞を読んでいる。
そこに連れがやって来て、合流する。何も頼まなくても、ウェイトレスがコーヒーとパンを運んでくる。
彼らは常連で、毎日同じテーブルで新聞を読み、煙草を吸い、おしゃべりをするのだろう。
通りかかった知り合いらしき男性が、また合流する。
パリの人々の生活の、ほんの一場面を見た気がした。
1世紀以上もたつ古いアパルトマンに住むって、どんなだろう。
それは私にとって、映画でしか見たことがないような別世界だ。

「ここに、住んでいるんですよね?」

と、旅行者に言われることがある。
彼らにとってハワイはリゾートであり、生活するということに実感が湧かないのだと思う。
それとまったく同じことを、フランスで私は思うのだ。

これは保存された遺物ではなく、実際に住んでいる人がおり、赤いゼラニュームが揺れる窓から、ラジオの小さな音が聞こえてくる。
パリでバゲットを抱え、小さな犬を連れて歩いている人は、古いアパルトマンに戻り、朝食を作り、窓辺の花に水を遣ったりするのだろう。

私が憧れる非日常は、誰かの日常であり、私の日常は、誰かの非日常なのだという当たり前のことに改めて気づく。
毎日、何百人という旅行者を相手にしていて、「旅行者になりたい!!」という私の悲痛な願いは、ほぼ3年ぶりに叶えられた。





フランス 9 ~パリで迷子になる

2022-06-23 07:56:09 | 旅行




シテ島とよばれている、セーヌ河の中州にあるセント・シャペルに行く。

1248年に、ルイ9世によって、キリスト受難の聖遺物を保存するために建築された。
このセント・シャペルと、隣のコンシエルジュリだけが、現存する最古のフランス王宮の建築物だそうだ。

ここで、ノートルダム寺院とのコンボチケットを買ったはずが、なぜかノートルダムではなくコンシエルジュリとのコンボパスを渡された。
ノートルダム寺院は2年前の火災のあとの復興中であることだし、ま、いいかと思って、コンシエルジュリに行った。
行くつもりもなく行ったけど、私はセント・シャペルよりも断然こちらのほうが印象的だった。
10世紀から14世紀までは王宮だったものを、1370年に牢獄として使用されるようになった。
もと王宮だけに、かなり豪華な網走刑務所か・・・

中に入ると、B6サイズぐらいのタブレットを渡される。
それを、建物内にあるQRコード的なものに照準を合わせると、当時のその部屋の様子とともに音声ガイドが流れる。
聞くだけの音声ガイドに比べて、これはおもしろい!タブレットを向けた位置の、昔の様子が再現されるなんて、どういう仕組み?
画面上をタップすると、その説明がポンと出てくる。
これがおもしろくて、写真を1枚も撮っておらず、ネットから拝借。
これはライトアップされた傭兵の間

ここでは3000人ちかい罪人がいたというのだが、当時の牢獄は有料で、お金があれば、家具などを持ち込んで優雅な牢屋生活を送ることができたらしい。
マリーアントワネットも、処刑されるまでここに幽閉されていた。

ノートルダム寺院は、2年前の火災で受けたダメージの復興中。
工事用のバリケードの壁に、火災の時の写真や、復興してゆく過程の写真がいくつも貼られている。
火災で失ったものも多いけれど、全焼しなくてほんとによかった。

フランスのユニクロ発見。
まさか買い物したんじゃ?と思うでしょうが、もちろん買いましたとも。ユニクロを見れば入らずにおられるものか。私はベージュの半そでニット。
夫はここでフランスで唯一自分のものを買った。
青と白の麻シャツを2枚。
ハワイにはない無印良品の店もあって小躍りしたのに、その日は閉まっていて残念。

夕食は、ラテン クォーターと呼ばれる地域で、モロッコ料理を食べた。
ここはギリシャ料理やモロッコなど、エキゾチックな食べ物の店が集まっていて、ジャズの生演奏を聴けるところもある。
雰囲気は原宿っぽくて、細い道の両側にぎっしりと店が並んでいて活気がある。
義両親と一緒だと、パスタやピザ、ムニエルやステーキといった食べ物が多くなって、違う味が恋しくなる。
モロッコ料理は初めて食べたけれど、美味しくて驚いた。タジンという、蓋が尖った鍋でシチューにしたマトンや、グリーンビーンのサラダ、トマトの前菜などどれも美味しくて、完食。
もっと驚いたのは、二人で30ユーロ(3400円ぐらい)!という安さ。夫は何か間違いがあるんじゃないかと聞きに行ったほど。
これをハワイで食べたら、3倍はする。


実は、夕食のあとは水上バスでホテルに戻るつもりだったのだけれど、乗りたかった時間のチケットが完売。日も長いことだし、疲れたらどこかでタクシーでも拾えばいいと、ルクセンブルク宮殿がある公園に行った。

芝生の上で寛ぐ人々。
すごい密度だけど、この日は土曜日だったからかも。音楽を流したりする人はいなくて、それぞれに持参したサンドウィッチをつまんだり、ワインを飲んだりしながら楽しんでいる。
公園のあちらこちらにたくさん椅子があり、そこで読書する人もたくさんいた。

さて、地図を広げてみると、公園からホテルまでかなり距離はあるが、歩けないというほどもでもなさそう。
昨日、シャンゼリゼ通りまで歩いたのと同じぐらい。

地図を眺めながら歩き出したのだけれど、なんかおかしい。あるはずの道が、地図にない。
スーパー方向音痴の私は、夫についてゆくだけ。夫は動物的な地理の勘があるはずなのだ。
バス停にある地図と照らし合わせてみたら、やっぱり違う。
私たちが持っていたのは、Rick Stevesという有名な旅行家が書いたガイドブックに付属していた地図で、義両親のおすすめだったもの。
ガイドブックは確かにわかりやすいのだが、地図はRick Stevesの主観で作られており、あるはずの有名な建物が書かれていなかったり、道が抜けていたり。
私たちのように歩き回らない義両親にはそれでいいのだろうけど。

歩けども歩けども、目的とは違う変な方向に行ってしまう。さすがに足も疲れてきた。昼間のように明るいが、8時近くなっている。
流しのタクシーを拾おうにも、なかなか空車がない。タクシースタンドでボタンを押すと、近くにいるタクシーが来るのだけれど、それも来ず。

途方に暮れていたとき、遥か向こうから1台のトゥクトゥクがやってきた。
「おーい!」
思い切り手を振って、トゥクトゥクに乗り込んだ。
タイでよく走っているトゥクトゥクは、人力車の自転車版。パリにはいろんなタイプのトゥクトゥクがたくさんある。
これは電動自転車に二人乗りの荷台をつけたシンプルなトゥクトゥクで、狭いパリの道をすいすいと走り、渋滞の車の横を抜けてゆく。
顔に当たる風の心地よさ。それにタクシーよりも速かったのでは?
思いがけず、すてきな体験をした。