夫の母は、謎が多い。
ハワイに来てかれこれ1年余、私は夫の母があわてているところを見たことがない。
見た目は、小柄な普通の白人のオバハン。
しかし中身は、大学教授という仕事にピッタリな、冷静沈着、理性的、合理的、医者になればよかったんじゃないかと思う。
何人かで話しているときに、話の流れから、夫の母からいろんな体験談が出てくる。
息子である夫も知らなかったような話もあって、しかもその内容が少々ぶっとんでいる。
夫の母は、アメリカ本土のどこかの河で、当時10歳ぐらいの孫と一緒にカヌーに乗った。
しばらくすると何かの拍子にカヌーがひっくり返ってしまったのだという。
二人とも川に投げ出され、夫の母は必死に孫を助けようとしたが距離が縮まらず、カヌーのガイドをしていた男性が
孫を助けてくれた。
「あーよかったと思って、私はそのまま流されていたら、滝に落ちちゃったの」
「ああ、滝にね・・
エッ!滝に落ちたぁーー?? 」
「そう、孫を助けることに気を取られていて、滝があるのに気づかなかったのね」
「そ、それで?」
「落ちたところで泳いで岸についたの」
「どのぐらいの高さの・・・」
「うーん、5,6mぐらいかしら」
「滝に向かって流されてるってわかったとき、どんな気持ちがしたの」
「どんなって、ああここに滝があったんだなと思ったわ」
私だったら、もうこれで死ぬんだと思って、人生の走馬灯がぐるぐるしたに違いない。
落ちる時には落ちるがよろし、というような感じで落ちてゆくことは到底無理。
また別のある時、夫の母は、また本土のどこかで、今度は孫二人を連れて電車に乗るために駅にいた。
孫1は7歳ぐらい、孫2は3歳ぐらい。
二人の手を引いて、入ってきた電車に乗ったのはいいが、出発間際に孫2の帽子がプラットホームに落ち、
「孫2がそれを取ろうと降りて、あっと思った瞬間にドアが閉まってしまったの」
ホームで泣き叫ぶ孫2がだんだん小さくなる。それを見て泣き出した孫1の手を引いて、車掌室まで行き、
事情を話して駅に連絡をしてもらったらしい。
「孫2が離れている間に誘拐されたらとか、事故にあったらとか思わなかった?」
「だってもう置いてきちゃったんだもの、考えても仕方がないじゃない。そのときできることをするしかないわ」
私は想像する。
夫の母はそのときも、慌てず騒がず、的確に、足取りもしっかりとしていただろう。
孫を預かっておいて、ヨメに顔向けできないとか、ゆめ、そんなことは思わないだろう。
私は何につけ騒ぎが大きい、と思う。
喜怒哀楽も騒がしくできているので、やたら感動したり、盛り上がったり盛り下がったり、こちらも忙しい。
だから、そういうものを求めて彼女と向き合うと、
私は肩透かしばっかり食うことになる。
夫の母だって、ちゃんと嬉しかったり、感動したりしているのだろうけど、私が共有できる温度じゃないというだけだ。
慌てるのは一瞬で、すぐに次の行動や思考に切り替えられるのかもしれない。
それを私は、「慌てる」という感情をずーっと温存したまま行動し続けるので、混乱極まる。
私の実家の母も、腹の据わった人だけれど、
何か違う。母は、もうちょっと湿度が高い感じ。
いずれにしろ、私はどちらの母の生き方も、やりかたも真似ができない。
きっと彼女達から見れば、私のように大騒ぎしながら生きてゆくやりかたは、真似ができないんだろうなあ(したいとも思わないだろうが)
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