太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

マンネリ大晦日

2016-12-30 21:20:06 | 日記
日本は大晦日。

私の大晦日といえば、学校も会社も休みで、朝からいい天気。

元旦に親戚が集まるので、父が座布団や、納戸からテーブルを出したりしている。

母は御節や、お雑煮の下ごしらえをし、

父が、のし餅を切り分ける。


夕飯を食べたら、レコード大賞が始まって、

紅白歌合戦になだれ込みながら、台所で年越しソバの用意だ。

『ゆく年くる年』になったら、コートを着込んで浅間神社まで歩いて初詣にゆく。


子供達がそれぞれ家を出ても、ずっとこれは続いていた。

マンネリすぎて飽き飽きするような日常が、

実はどれだけ幸せなことだったか、

いつもあとになってから気づく。

それをばかみたいに繰り返すのだから、ほとほとあきれる。


祖父母を送り、両親が年をとり、

数年前から親戚の集まりをやめて子供達家族だけになったが

判で押したような大晦日の行事は執り行われていた。



母の健康上の理由で初詣に行かなくなり、

あんなに元気だった父も、今年は初詣は無理かもしれない。








レコード大賞って、まだやっているのかしらん。

コタツ、みかん、レコード大賞、紅白。

台所から流れてくる、そばつゆの匂い。

2010年、ハワイに移住する直前に、夫も一緒に年末年始を実家で過ごしたのが

思えば最後のマンネリ大晦日だった。

懐かしい思い出は、取り戻せないとわかったときに

とてつもなく切ない思い出になることがある。




すべての人が、幸せに新年を迎えられますように。






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ひとりヒプノ

2016-12-27 10:17:36 | 不思議なはなし
先週の初めごろ夫が、週末に職場の同僚とサーフィンに行く、と言った。

口では「ふうん」と言ったが、内心はザワザワしていた。



水の事故で死んだらどうしよう



それを思うといてもたってもいられないぐらい不安が募る。

その一方で、12歳からサーフィンをやっているのだし、そんなことがあるわけがない、と思う。

そうするとまた心の中で



でも同僚を助けようとして死ぬことだってあるかもしれない



と思う。

ここまで考えて、これはやっぱり何かおかしいゾ、と思った。

夫と義兄夫婦がダイビングに行った時も、仕事をしながら安否が気になって仕方がなかった。

私は潜らなくても、私が一緒に行ければどうということはないのだ。

ただ、そうやって不安になるのは 水関係 の場合だけで、

これが山登りとかスキーだったら、そうでもない。



私と夫は、どこかの時代でも夫婦だったことがある。

そのときも男女の性は今と同じ。

その時代、夫は若死にをして、子供がいなかった私はひとり残された。

死んだ理由もなにもわからなかったが、私はその時代の自分に会いに行くことにした。



水晶を握り、目を閉じる。

「わたし」は教会で、「夫」の葬儀にいた。

泣きつくして涙も出ないのだろう。「わたし」は一言もしゃべらず、顔は怒っているようでもあった。

もちろん「わたし」は私のことなど見えないのだけれど、

私は「わたし」を抱きしめた。

そうすると、わかったのだ。

「夫」はお酒を飲んで出かけて、水の事故で死んだ。

なぜそう思うのかはわからない。ただ ”わかった” のだ。

「わたし」の感情が、強烈に私に流れ込んできた。



怒ってるんだね。悲しいんだね。わかるよ、わかる。



私が、夫がお酒を飲むことを嫌悪するのも、こういうことだったのか。

その時代の「わたし」も、普段お酒を飲みすぎることを「夫」に注意していたのかもしれない。

だから怒っているし、悔しいし、悲しいし寂しい。



気がつくと、私は座りながらボロボロと涙を流していた。

悲しいのは「わたし」で、私はそれほど感情移入しているわけではないのに、

涙はあとからあとから流れて、着ている服の胸を濡らした。






だから心配なんだよね。でもこの人生ではもう同じことは起こらないから大丈夫。



大丈夫

大丈夫

ダイジョウブだから






私はサーフィンに行く夫を、平常心で見送った。

仕事をしているときも、それほど気になることもなかった。

夫は元気に帰ってきて、久しぶりのサーフィンは楽しかったと言った。



ほんとうの私が体験している様々な人生は、過ぎて終わってしまったものではなく

宙に浮かぶたくさんのシャボン玉の中にそれぞれの人生があって、

それらは『今』『同時に』繰り広げられているのだと思う。

だから私達が「過去」と呼ぶ人生にも、「未来」と呼ぶ人生にも訪れることはできて

そこから学ぶことも、他の人生を体験している自分を励ますこともできると私は思っている。




私は、その時代の「わたし」の感情を無意識の下に強く抱えてこの人生を生きていた。

それに気づき、解放することができたから、むやみに恐れることがなくなった。

それでも上には上がいるもので、

義兄の奥さんが、義兄の誕生日プレゼントにスカイダイビングをセッティングした。

それもサプライズで、

しかも大学生の次男も一緒に、だ。

それを聞いた時、胸が震えた。

もちろん、怖くて。

万一のことがあったら、その後悔たるやどれほどのものだろう。

万にひとつも起こらないことは、万にひとつは起こる。


私の母は心配性で、昔、どこかに車で送ってゆくとか迎えに行くというとき、

その道中で事故にあったら困るからバスにする、と言ったものだ。

さすがに今は言わなくなったけれど、

その母の心配性の刷り込みが、私にないとは言えないと思う。


義理の姉は、強いのか、私とは違うなにかを抱えているだけなのか、

確かに彼女は美しい小児科医で、冷静沈着で、すべての面で自立しているけれど

とにかく すごいな と思うのである。






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天皇誕生日

2016-12-23 20:27:10 | 日記
日本では昨日だった。

うっかりして過ぎてしまった。

ハワイでは今日が23日で、天皇陛下のお誕生日。

私は天皇陛下が大好き。

美しく、神々しく、愛に満ちている。

私にとっては、イエスさんの誕生日よりもずっと深く意味がある。

陛下がいつも私たちのことを祈ってくださっているように、

私は陛下のことを祈ろう。

天皇陛下、おたんじょうびおめでとうございます。




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メリークリスマス

2016-12-22 19:48:47 | 日記
子供の頃、クリスマスはプレゼントがもらえてケーキを食べる日で

大人になったら、クリスマスは恋人と過ごすものだった。

そういう歌もいっぱいある。

他の文化の人から見れば、クリスチャンでもないのにクリスマスを祝うのは不思議らしい。

日本を離れてから、何度聞かれたことだろう。

そのたびに、

日本は八百万(やおよろず)のカミサマがいるからイエスさんも尊敬しているのだ、と

苦し紛れの言い訳をしてきた。(理屈にあってないけど、たいてい納得してくれる)

とてもじゃないが本音は言えない。

日本人はクリスマスを祝ってやしない。あれはただのイベント

なんて言えるものか。



お寺の経営する幼稚園で「のんのん ののさま ほとけさまー♪」と歌い、

カトリックの中学高校で、教会でミサがあって聖書の授業があり、

クリスマスにパーティしたら、お寺で除夜の鐘をつき、

年が明けたら神社でおみくじを引く。

なんの疑いもなく、多くの日本人は仏教もキリスト教も神道もごった煮にして暮らしている。

なにかの宗教の敬虔な信者はそれを、節操がない、と思うのだろうが

私はそういう いいとこどり・楽しいとこどり の日本に生まれてよかったと心底思う。


ユダヤ系の人に、うっかりメリークリスマスと言ってしまうと気分を悪くされるのだが、

なんでそんなふうに気分が悪くなるのか、私は理解できない。



だからハワイにいても、クリスマスはプレゼントがもらえて(そのぶん、あげなくてはならないけども)

家族が集まるイベントとして楽しんでいるけれど、

クリスマスに対する熱意の温度は、日曜日に教会に通うようなクリスチャンに比べてずっと低い。

高校の時、クラスに教会の娘がいて、クリスマスに私を含めて4人が招かれたことがあった。(その記事はコチラ

本物のクリスマスを知らない、相当お気楽おバカな私達だったけれど

あの頃と、まったく私は変わっていない。








夫の両親は、クリスマスをシアトルで過ごすので、

先週の日曜に、1週間はやくクリスマスパーティをした。

叔父叔母や友人達が集まって、賑やかに過ごした。

本当のクリスマスは、叔母の家で私の友人夫婦も招いてパーティをすることになっている。

誰かが音頭をとるから乗るだけで、私と夫だけならクリスマスだからといって何をするわけでもないと思う。

私は日本人だからいいけど、夫はアメリカ人としては変わり者なんだろうなあ。








「めりーくりすます」ボクは高いとこがすき





「めりーくりすます」アタシはここが好き






なんだかんだ、今年も平和にクリスマスがやってくる。





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ヘビー級

2016-12-21 19:12:10 | 日記
隣家の娘さんが太ったという記事を書いた。(その記事はコチラ

その記事の中で、アメリカ人の肥満のランクを勝手につけたのだが、

私が「ヘビー級」としたレベルの人と、飛行機内で出くわした。

私は真ん中の列の通路側で、そのヘビー級は通路をはさんだ席の、一列後ろの通路側だった。

この 一列後ろ というのが幸いしたと思う。



彼はハワイアンか、サモアン(サモア人)。

私はヘビー級の人は、エコノミー席は無理ではないか、と書いたけれど、

彼はエコノミー席にその体を押し込んで座った。

せり出した腹が、前の席の背もたれにくっつきそうで、テーブルは絶対に出せない状態。

シートの奥までお尻が入らないから、前半分に座っている。

シートベルトはもはや意味をなさない。これだけ詰まっていれば、椅子から抜けることはないだろう。

機内乗客安全確保の基準では、いったいこれはどうなんだろうと日本航空に聞いてみたい。



彼が、太っているというだけなら、なんら問題はない。

しかし、離陸した直後、えもいわれぬ不快な匂いが漂ってきた。

ふと見ると、彼が靴を脱いで、足をぶらぶらさせていた。

その足の匂いが、機内の空調に混ざって辺り一体に拡散されているのだ。


オナラなら、我慢しよう。そのうち消える。

子供の泣き声も、我慢しよう。そのうち眠る。

けれども、足の匂いはそうはいかない。

つま先の汗が乾くまでにひとしきり匂いを放ち、乾いたあとも、生身のつま先から

新たな匂いが生産されていくようで、いっこうにおさまらない。


彼の隣は、連れの女性だが、彼女は鼻が詰まっているのか慣れているのか

平気で食べたり飲んだりしている。

私は食欲もうせ、けれど呼吸しないわけにもいかず、口で息をしても続かず、

映画に没頭するか、眠るかしかなかったが、それもなかなかうまくいかなかった。


8時間の苦行ののち、ようやく解放された。

そこで一句。



ヘビー級 足の匂いも ヘビー級



おそまつさまでした。







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