太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「おもかげ」

2023-09-22 07:15:16 | 本とか
私は本を読まない日はないほど読書が好きだ。
だからハワイのブックオフに勤めていたとき、日本でなぜ本屋で働くという発想がなかったんだろうと思ったが、思えば日本にいたときには今ほど本を読んでいなかったのだ。
離婚後にスピリチュアル系にハマっていったときは、その関連の本を漁るように読んだものだけれど。
そもそも、私が本を読むようになったのは、読書家だった最初の結婚相手の影響だったと思う。
前夫が読んだ本を拾って読む、そんな感じだった。
前夫については、今でもたいして良い思い出は浮かんでこないのだが、たったひとつ、共感することがある。

「浅田次郎の文章は巧い」

その頃から私は浅田次郎氏の作品を読んでいて、読んでいないものはないくらい。
最初は軽いエッセイからだった。
裕福な家庭に生まれ、親の事業が失敗して家が没落し、40過ぎて作家デビューするまでにチンピラまがいのことをしたり、競馬にハマったり、自衛隊に入営したり、ホームレス寸前になったり、アパレルの仕事に就いたり、という人生は興味深い。

今は古本屋で都合するしかないから、以前読んだけれど内容は覚えていないものや、もう一度読みたいものを買うが、たまに私がハワイに来たあとに出版されたものに出会うことがある。
『おもかげ』もその1冊だ。

エリート会社員として定年まで勤めあげた竹脇は、送別会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友人が見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして・・・

じんわりと心が潤う。
「地下鉄(メトロ)に乗って」は父親がテーマであり、これは母親がテーマになっている。
実はこの本は、もう3回読んだ。
読むたび、静かな感動がある。
そしてしみじみ、巧いなあ、と思う。



「おもかげ」 講談社





「太陽と毒ぐも」

2023-06-21 10:06:28 | 本とか
角田光代さんの作品は、小説もエッセイも好きだ。
日常エッセイもいいが、一人でふらりと外国に出かけていく旅ものは、私がそういう旅をできないタイプの人間であるゆえに、憧れがあり、興味が尽きない。

「太陽と毒ぐも」は、三十代の同棲している男女の物語が11編収まっている。
たまにしか風呂に入らない女、やたらとある記念日で男を縛る女、買い物依存の男、迷信を信じている女、熱心な野球ファンの男、食事代わりにジャンクフードを食べる女、酒乱気味の女と下戸の男、初めて一緒に外国に行って険悪になった二人・・・
どの話も、若気の至りというほどには若くないが、まだ充分にやり直しができる三十代で、物語の主人公たちのジタバタを微笑ましく読めてしまう。



私は同棲をしたことがない。
それは地元の静岡では実家に住んでいて、美大時代の2年間は東京で姉と同居していたからに他ならない。
もしも私が一人暮らしをしていたなら、私は同棲を、あるいはそれに近いことをしていたと思う。私はそれほど恋愛経験はないが、いったん恋愛したら猪突猛進、毎回とことん本気で入れ込んでしまうところがある。

あ、そういえば同棲をしようとしてできなかったことは、あった。
離婚したあと、若い恋人と結婚する気満々でアパートを借り、一緒に暮らし始めた途端、相手の態度が冷たくなって、滅多に寄り付かなくなった。
だから、そのアパートで暮らしていた2年間は、あっさりと振られるまで結婚を夢みて相手に縋っていた、みじめな2年間だった。



小説の中の男女を見ていて、思う。私は同棲などしなくてよかった。
私はいつだって結婚をしたかったから、結婚が延長線にない同棲は、心をすり減らすだけだ。
それに同棲は、あまり結婚のお試しにはならないと思う。
今や離婚は全く珍しくもないが、それでも勢いでできるものでなく、手間もストレスも半端ない。
いつでも解消できる同棲は、腰かけ気分の中途半端な覚悟と勢いで始められてしまう。
一緒に暮らし始める時は恋愛のピークだから、何もかもがバラ色で、この先二人に暗雲などあろうはずもないと思っているが、必ず「おや?」と思うことが起きて来る。

誰かと暮らすということは、起きて来る望ましくないことに、どう折り合いをつけていくかの連続であろう。
譲歩したり、懇願したり、責めたり、諦めたりして、じゃあなぜそんな思いをしてまで一緒にいるのかといえば、それを上回る幸せなことがあり、何かを乗り越えることが、少しずつ自信と信頼になっていくからだと思う。



この小説の中の一つに、友人たちに「あいつとは別れろ」と言われている人がいる。浮気する、甲斐性がない、ヘラヘラしている、嘘をつく、そんな男を、主人公も大嫌いだと思う。
けれど、大好きなだけではうまくない、好きなのと同じぐらい、それ以上嫌いでないとだめなのだ、と言うのだ。

『ときおり、ほんのたまにだが、仕事を終え、でろでろに疲れてアパートに帰る時、ああ、あいつが死んでいてくれないかと思うときがある。ドアを開け、そこでくたばっていてくれないか、そうしたらどんなにかすっきりするだろうかと』(小説より)

この話の結末は書かないでおく。
同棲だから、くたばってくれたらなんて思えるのだとしても、大嫌いなんだけど一緒にいる、というのは、大好きだから一緒にいる、というより余程深い気はする。



相手とまったく向き合わずに失敗した前の結婚を教訓に、今の夫とは、逃げずに向き合ってきた。
逃げずにいると、毎回同じところで躓く。嫌味を言う、嫌味な態度をとる、相手に反省させようと試みる、など、やることは姑息だが、私はそれが嫌なのだということを伝えている。
嫌なのに何も感じていないふりをし続けていると、こんなことができるのは私だけだという方向に向かってしまい、肝心なことからどんどん離れていく。
もうそんなことは繰り返さない。

そうして一緒に暮らしているうちに、私が嫌だと思うことは、悪いことではなくて、単に「違う」ということだったのだと気づいていく。
いろんな色で人が構成されているとして、その中のある色が、私の嫌いな色だというだけだ。
その色が見えるたびに、いちいち「それは嫌い、私はその色を持ってないし」と私が言う。そういわれても相手はどうしようもない。私も、相手が嫌いな色を持っているのは同じで、お互い様だ。

みんな違って、みんな、いい(みつを)

ここに落ち着くつもりはなかったけど、まあ、そういうことだ。
加えるなら、嫌は嫌でいい、かな。
嫌が平気になったらそれに越したことはないけれど、無理することはない。ああ、私はこれが嫌だと思ってるんだな、と毎回思いつつ、それでもいいんじゃないかと思っている。





欠落人間

2022-08-13 11:58:15 | 本とか
黒柳徹子さんの「トットの欠落帖」(新潮文庫)には、徹子さんのおもしろいエピソードが満載。
小学校1年で退学になった徹子さんを「ダメな子」とけして思わず、もっと徹子さんに合った学校を探しまくった母親のことも、私はとても尊敬している。

どの話も、思わず「プっ!」と吹き出してしまうようなことばかり。

上野動物園に中国から来たばかりの狼の写真を撮りたいのだが、狼が協力的でない。
いつもなら、動物に丁寧にお願いすれば言うことを聞いてくれるので狼にも
「すいません、あなたが中国からいらして時差もあることだし、落ち着かないのはわかります。でもちょっと止まっていただけません?あなたは愛嬌があって魅力的だから、写真を撮らせていただきたいの」
と頼んでみたが、相変わらずうろうろと歩き回っている。
日本がまだよくわからないのだと思った徹子さんは、檻の前で中国の京劇の真似をしてみた。
「イー、シェ~~ チェ―ーーー、ツぅ~~~、イーーーーーッ!」
頭のてっぺんから声を出しながら、めちゃくちゃな中国語を声を振り絞った。
物まねを初めて間もなく、元気なくウロウロしていた狼が初めて徹子さんを見て立ち止まった。
狼はうっとりとした表情で、ゆっくり徹子さんに近づいてきて、まるで客席で見ているかのように岩の上に顔を乗せた。
何事かと人だかりができた中で、徹子さんは踊りながらカメラで狼の写真を撮った。

二十歳ぐらいの頃、先輩の結婚披露宴に招待された徹子さんが会場に行ってみたら、ダンナさんになる人が、徹子さんの知り合いだったことに驚いた。
スピーチを頼まれて、なんとか手短に言いたいことをまとめようとした結果、ご存じないでしょうけど新郎とは昔からの知り合いだと言いたかったのを、
「実は新郎と私は内縁関係でございます」
と言ってしまい、会場がざわめいた。
それから何年も、誰からも披露宴に招待されなかった。


森進一さんの結婚式に招待されて(かなり大人になってからだ)、受付で名前を書いていたら、あとから来た人がみんな封筒を出して置いていくので、「それは何ですか」と受付の人に聞いたら「ご祝儀です」という。
私はそれは何か特別の関係の人なのだろうと、帰ってからマネージャーに話したら、マネージャーが驚いて
「黒柳さん、ご祝儀を持っていらっしゃらないんですか?」
「あら、持ってったことありませんよ」
「あらあら、あれで結婚式をするんですよ」といったので悪いことをしたと思った。
あとで「芸能人の結婚式にはご祝儀を持っていくんですってね」と山田邦子さんに言ったら、「いや、普通の人の時でも持っていくもんですよ」と言われた。


私もかなり物を知らず、うっかり喋って恥をかくこと数知れず。
梅の実が熟して梅干しになると思っていて、母を凍り付かせたり、シンガポールのフィリピンと言って、夫を怖がらせたり。

アートセラピストになる学校に通っていたとき、先生が履歴書の用紙を配って、授業が終わるまでにそれに記入しておくようにと言った。私はその時、ピンクのインクのボールペンしか持っていおらず、きれいだしいいや、と思ってピンクで記入したら、「ピンクで履歴書を書いた人は初めて見た」と言われて、返却された。(当時私は40過ぎてた)
実は私は今でも、なぜピンクで書いてはいけないのかはちゃんと理解できていない。


知人と同じファーストネームの人に、何度も連絡をして、相手も間違いと気づかず返事をくれて、何か月もたってからようやく、人違いだと気づいた。


日本で働いていた頃、銀行が閉まる3時ぎりぎり間に合うかどうかの時間に会社を出た。
銀行について車を停めたら、もう3時を過ぎていた。もし閉まってしまったら、裏口にまわって社名を言えば開けてくれるから、と先輩に言われていたので、もうどうせ閉まっていると思い、そのまま裏口に行き、鉄のドアを叩いたが応答がない。
しばらく叩き続けていると、内側からいぶかしがるような声がした。
「はい・・・なんでしょうか・・・?」
私は元気よく社名を言った。解錠する音がしてドアが開き、中に入った私に銀行員が
「あのぅ、次からは正面玄関からお越しくださいませ」
と言うので行内を見たら、まだ正面玄関は開いており、人が出入りしていた。
私の時計が5分ぐらい進んでいたのをすっかり忘れていた。
「あー、恥ずかしくてしばらくあの銀行に行けないから、あなたが行ってよね!」と先輩に言われた。


こんな話を書き出したらキリがない私の人生。
私はどこか重要なネジが抜けているのではないかと思うこともあるけれど、どうにもしようがない。
でも、黒柳徹子さんの話を読んで、上には上がいると胸をなでおろした。


最後に、この本の中の、小沢昭一さんの話をひとつ。
小沢昭一さんが、いろんな高校をまわって独り舞台をしていたとき、ある高校での舞台のあと、数人の生徒が楽屋を訪れた。
その中に、芝居についてとてもいい質問をする子がいて、その子が
「とても素晴らしかったです。かねがね母もファンで、ぜひ見ていらっしゃいというんで来ました」
と言ったので、
「おっ母ァもファンかい?嬉しいねえ!いつか紀伊国屋ホールでやるから見に来てよ」
と言ったら
「いや、なかなかそうもいかないんです・・」
「なに、受験か?いいじゃない、1日ぐらい。必ず来てよ」
「それが、なかなかそうもいかなくて」
「そうかい、まあ、いいや。暑いしね、もう帰って帰って」
そのとき、その生徒が靴を履きながら言った。
「あの、ぼく、礼宮なんですけど・・・」
「ああ、そうかい、おっ母ァに・・・」
その時思い出した。今日は学習院だったことに。







みーんな、おでんの具

2020-11-14 11:06:06 | 本とか
荻原浩の「神様からひと言」

大手広告代理店から『珠川食品』に再就職した主人公が
入社早々に会議でトラブルを起こして、リストラ要員収容所といわれている
お客様相談室に異動となった。
毎日クレームを処理しているうちに、そこに送られた人々が次々と壊れていく中で
7年も働き続けているという篠崎に付いて仕事をすることになったが
篠崎はギャンブル狂いでいい加減な中年オヤジ。
辞表を胸に、主人公は次々降りかかるごたごたに振り回されつつも
そこで何かを見つけられそうな気がしてくる。


初めて読んだ作家だったけれど、なんだか、読後感がすごくよかった。


古い体質の会社、自分のことしか考えていない経営者、家族を人質にとられて会社に残ることだけで精一杯の社員たち。
どんなに立派そうな会社でも、きっと中身は似たようなものなのかも。
会社っていったい何なんでしょう、とつぶやく主人公に、篠崎が言う。

「おでん鍋と一緒だよ」
「え?」

「ほら、狭いとこでぐつぐつ煮詰まってさ、部長だ役員だなんて言ったって、
しょせん鍋の中で昆布とちくわが、どっちが偉いかなんて言い合ってるようなもんだ」

そしてこう続ける。

「このおでん屋じゃ牛スジが1番高くて偉そうだけど、他の食い物やじゃ使っちゃもらえない。
こんにゃくはここじゃ安物だけど、味噌田楽の店じゃ堂々のエリートだ。

ちくわぶは言ってみれば専門職。
天職を見つけたヤツだな。
よそには行けないけど、おでんの中では存在感を示すことができる。
似ていても、ちくわは転職が可能だ。
おまえがジャガイモだとする。おでんの中なら平社員だけど、肉じゃがの皿の中なら共同経営者だよ」


思わず、ウーム・・・とうなった。

「会社の序列なんてたいした順番じゃないんだよ、一歩外に出たらころりと、変わっちまうかもしれない。
でも子供の頃から一生懸命に競争して、ようやく手に入れた順番だからね、
そこからこぼれ落ちたくないんだな」


みんな、何が怖いのかわからないまま、
つまり、自分が何を握りしめているのかもわからないのに、それを失ったらおしまいだと思ってる。
みんなおでんの具さ、と言っている篠崎だって、自分の手のひらを見つめてしまう。
私だって、そうだ。
私の場合、会社という鍋じゃなく、社会という鍋だけど。

私はおでんの中の、何だろう。
何になりたいんだろう。
天職を見つけて鍋の中でゆったりしているちくわぶも、
地味に、でも他のものにはマネできないほど芯まで味がしみた大根もいい。
いや、なんだっていい。
今の主流はどうせ昆布だとか、人気者で値段も高い牛スジに嫉妬することもなく
私自身のままでくつろいでいられたら、何でもいい。


結局、こういうことか。
自分らしくいると鍋からはみ出してしまう、と信じさせられてきた。
自分はこの鍋の中でしか価値がないと思っているから、はみ出したらおしまいだと思う。
おしまいなんかじゃないのに、もしおしまいだったらと思うと怖い。

小説の中で、追い詰められた同僚の一人が自殺をする。
「おでん鍋を飛び出しちまえば、いいだけの話なのに・・」
訃報を聞いた篠崎が、男泣きする。


できそうで、できない。
何度か、思い切って崖を飛び降りてきた私だけれど、
毎回、グズグズして、背中を飛び蹴りされてようやく飛び降りてきたクチ。
それなのに、いまだに何かを握りしめており、
それが何なのかもよくわかっていないのである。








オンナの鯉の滝のぼり

2020-10-27 13:57:14 | 本とか
林真理子氏の作品に「東京の女性(ひと)」という短編がある。

等身大の女性を、林真理子氏はさらっと描く。
ほんとはこうなんでしょ、というのを、ぺらりとめくって見せる。
向田邦子さんほど辛辣ではなく、倉本聰氏ほど苦しくならないにしろ(『北の国から』は苦しくて見ていられない)
できれば見て見ぬふりしておきたかったところを、見せられてしまう。
「東京の女性」のあらすじはこうだ。

東京で編集の仕事をしている主人公の女性は、田舎で貧しく育った。
マスコミで働く、育ちのいい男性と婚約し、結婚までの仮の住まいとして
あるお屋敷町の未亡人の家に間借りすることになった。
60歳の未亡人と主人公は一気に仲良くなり
東京のお屋敷町に住み、上品な言葉遣いをしている自分に酔うのだが、
その未亡人に「女」を見てしまってから、ギクシャクとしてくる。


あー・・・・わかる。
私も二十代の時、同じ思いをしたことがあった。


夜間のインテリアコーディネーターの学校に通っていたときにグループ活動があって、
グループ仲間の、50代の女性Mさん(40代だったかもしれない)の家に集まったことがある。

Mさんはマンションに独り暮らしで、東京に息子さんがいるらしい。
私たちのグループには、30代前半の男性(独身)が含まれている。
家に通されたとき、寝室のドアが少しだけ開いていて、壁に掛けてある、フリルたっぷりの、 白いネグリジェ が見えた。

30代男性(独身)がターゲットなのは明らかだと思うのは、考えすぎだろうか。
でも部屋の中は完璧に片づけられており、うっかり寝室のドアだけが半端に開いていたとは思えない。

わざとそれが見えるように、ドアをあけておいたMさんが、たまらなくなまなましかった。
ドアの前を何度も通って、ネグリジェを掛ける位置やドアの開け具合を調節しているMさんを想像してしまい、
嫌なものを見てしまったような、やるせないような気持ちになった。
女であってはいけない母親に、女を見てしまったら、きっとそういう気持ちになるかもしれない。

小説の中では、それを「いやらしい」と言い、また「なまなましい」と表現している。


当時、私は二十代だったが、今私はMさんの年齢を超えた。
小説の主人公の気持ちもよくわかるが、60歳の女性の気持ちも、今はわかってしまうのである。

いくつになっても、女を捨てたくはない。
けれど、女であることにしがみついているのも、みっともないと思う。
子供がいないので、良い母親や祖母になりきることでごまかすこともできない。
自分の年齢を受け入れることと、それに甘んじることはまた別だと思う。
それは確かだけれど、
ほうれい線やゴルゴ線、目のたるみと闘ってコツコツ顔を鍛えてみたり、
体重を元に戻そうと努力している私は、
まるで「老い」という滝を登る鯉のようだ。

女にしがみつかずに、女でいる

言葉以上に、それはなんと難しいことであろうか。
私はまだ、年齢とオンナの、いったいどのあたりで折り合いをつければいいのか皆目わからないのである。