太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

なんでもジップロック

2023-01-31 09:57:07 | 日記
ハワイの人は、とにかくなんでもジップロック。
ドライブやピクニックに持ってゆくフルーツやスナックも、お裾分けの食べ物も、ランチも、引き出しの中を小分けするのも、みーんなジップロック。
最初は、それはアメリカ人全体がそうなのだと思っていたのだけど、テネシー州からきた同僚が
「ここの人ってやたらジップロックだよね」
と言ったのを聞いて、ハワイで起きていることをアメリカ全体にすり替えるのは横暴だったと反省した。

確かに、ジップロックは大きさもいろいろ揃っているし便利だ。
私も、ランチのデザートのブドウやら、エゼキエルブレッドなどはジップロックだし、魚をマリネするのも、冷凍したご飯をまとめておくのも、開封した蜂蜜の瓶を入れておくのもジップロック。
キャットフードの保管も、ジップロックに入れてからコンテナにしまう。
さらに封筒の保管には欠かせない。
なぜなら、封筒をそのまま引き出しに入れておくと、湿気で糊の部分が貼りついてしまうから。
旅行にも、大小いくつかのジップロックを持っていけば、汚れた衣類を入れたり、パンフレット類をまとめたり、液体が洩れそうなものを入れたりできる。

日本にいたときはいったい何を使っていたのか思い出せないほど、ジップロック三昧の日々を送っているわけだが、私は1度使ったジップロックを潔く捨てられない。
べたべたしたり、魚をマリネしたものは捨てるけれど、乾いたものを入れただけ、というものは捨てられない。
中を拭いて、風に当てて、細くたたんでラップのある引き出しに入れておく。
ランチに果物やパンを入れていくのも、食べたあと洗って拭いて、1週間は使いまわす。
母が、お弁当に使ったアルミ箔(丸いの)を、しっかり洗って、布巾かけに洗濯ばさみで止めて干していた。これは母から譲り受けた性分なのだと思う。


ジップロックの口は、指で押さえていくものと、スライダーといってプラスティックの突起を左右にスライドするだけで開閉できるものとがある。
同僚がスライダー式を使っているのを見て、私もそれを買ってみたのだけれど、これが楽そうで、実は案外不便だった。
スライダー式

なぜって、

開いたのか閉まったのかがわからない・・・

開けても、かなり密着しているので、閉まったのかと思うと、実は開いていた、なんてことが毎回起こるのだ。
スライダー式は、指で押して閉めるものよりちょっと高めなのも腹立たしい。
もう次からはスライダー式は買わない。







ハワイの鍋

2023-01-30 07:48:47 | 食べ物とか
いやー、寒い。
大雨の上に大風だから、よけいに寒い。
この雨はもう4日も降っている。この冬は雨が少ないと思っていたけれど、それを取り返そうとしているようだ。
金曜日、カハラのギャラリーに届け物があって出かけたら、カハラは雨が降っておらず、蒸し暑かった。
やっぱりうちの村は他より寒いのだ。

寒い寒いと言っていたところに、日本の雪国に住む友人から水墨画のような景色が送られてきた。
寒そうなんてもんじゃない。
たかが20℃で寒いなどと、友人に言えやしない(言ったけど)。

雪が降るような寒さの感覚を、すっかり忘れてしまった私には想像もできない。
日本にいたときの冬、築年数のいったアパートは寒くて、夫がビーニー(ニットの帽子)を被って寝たとか、部屋の中で息が白かったとか、凍えるような夜に食べたニンニクたっぷりラーメンが美味しかったとか、
そういう記憶は映像としてはあっても、感覚は覚えていないのだ。

鍋が食べたい、と言ったのは夫だ。
「しいたけとか豆腐とかネギが入ったスープが食べたい」
「ああ、鍋ね」
「ナベ?」
鍋にする鍋はないけどね。
カセットコンロもないけどね。
日本食スーパーに行き、食材を買う。
奮発して白ネギも買ったし、なんといっても、冷凍食品の棚に、最後のひとつの餅巾着があったのは嬉しかった。
これだけでも、鍋の雰囲気が出るというものだ。
そしてあとはポン酢があればすべてよし。
惜しむらくははマロニーちゃんがないことか。

ハワイの鍋
白菜の代わりに水菜。
奮発したネギは、溶けて姿が見えず。

鍋の味方、ポン酢。


ハワイに来てからやったことがないから、12年以上ぶりかの鍋。
雰囲気出ないけど、まあ、味は鍋。
材料切って入れるだけでいいから、なにしろ簡単でいい。




夏休みの宿題問題

2023-01-29 07:40:02 | 日記
8インチ×24インチのキャンバスに手をつけたのがクリスマス前。
年明けに紙を染めるプロジェクトなんぞがあった、というのは言い訳で、しっかり週に三日ずつ休みがあったのに、1か月以上たった今も殆どキャンバスに進展なし。
今日はやろう、と思い机の前に座る。
そうだ、その前にマットを作っておこう、来週に作品補充に行くし。などと思ってマット作りにとりかかり、そのあと引き出しの整理なんかを始めてその日が終わる。
そんなふうに、試験前の学生のように、やろうと思っていたことをやらなかった罪悪感に心が塞ぎつつ、それでもやらないだらだらな日々を過ごしていた。

そんな先日のこと。
ひとつのギャラリーのオーナーからメールが来た。

『ネットをいろいろチェックしていたら、sunshineギャラリーにあなたの素敵なオリジナル作品があるじゃないの!!ねえ、なんでうちにはないのかしら・・・
持って来られるオリジナルがあったら見せてほしいんだけど』

そのギャラリーにも、私のオリジナルはあるが、sunshineほどではない。
sunshineは家から5分で、マネージャーのラティーシャとはツーカーの仲で、いちいちお伺いをたてなくても私の好きにできる良さがある。
そのギャラリーは、オアフ島で1番と思われる位置にあって、オーナーだけが権限をもつので、何をするにもお伺いをたてねばならず、面倒。

しかし、まさかオーナーが私のオリジナルをそこまで欲しいとは思わなかったから驚いた。
とはいえ、めぼしいオリジナルは殆どsunshineで売れてしまって、手元にあるのは個人的に手放したくないものばかり。
というわけで、12月から取り掛かっている作品はそのまま置いておき、そのギャラリーのためにオリジナルを作成することになった。

お尻に火がついて、あわてて取り掛かる。

私は小学生の頃から何も変わってない。
夏休みの宿題をギリギリになって泣きながらやっていた子供が、年をとっただけだ。

朝、仕事に行くまでの1時間ほどは、今まではブログを書いたり瞑想したりしていたのに、今じゃその1時間すらも惜しく制作にあてている。
それなのに、こういうときに限って仕事が忙しく、休日出勤せねばならなくなったりしてもどかしい。
夏休みの宿題問題は根が深い。







アメリカに愛想をつかすとき

2023-01-23 13:08:46 | 日記
1週間ほど前のことだ。
仕事中に、脇の下の背中側のあたりがチクチクと痒かった。
なににしろ、痒いときには掻いてはだめなので、掻かないようにしているうちに忘れてしまった。
帰宅し、鏡で見たら、その部分がうっすらとピンク色になって、少々盛り上がっていた。
汗疹の類だろうと、シャワーのあと薬を塗っておいた。

翌日、太ももの前側の付け根がチクチクし、あれよと言う間に皮膚がピンクになって盛り上がってきた。
一部のその形が、輪っかのようだ。
これには見覚えがある。

8年前、遺棄されていたチーズケーキ達を保護したあと、夫と私の両腕にリングワームができたことがあった。
輪ゴムのように丸く皮膚が赤く盛り上がるので、リングワームというのだが、これは動物から感染することが多いらしい。
糸状菌という菌、つまりカビによって起こるもので、動物に触れなくても、免疫力が落ちているときに感染してしまうというから、空気中にふわふわと漂っているものなのかもしれない。

これが、ものすごく痒い。

腕の脇の下の背中側は、皮膚の盛り上がりは消えて、よーく見るとうっすらと部分的に皮膚の色が変わっている程度で、痒みはない。
ところが太ももの付け根は、範囲も広く、皮膚は盛り上がっていて、しかも輪っかになっているのもあり、かなり痒い。
8年前にリングワームになったときは、市販のクリームを毎日塗って完治した。

今回、範囲も広くて痒くてたまらないので、皮膚科に行くことにしたのだけれど、ここがアメリカの医療保険の嫌な所で、いきなり皮膚科に行くことができない。
まず主治医の予約をとり、そこで皮膚科を紹介してもらい、そこで初めて皮膚科の予約がとれる。
だから、今、医者が必要なのに、医者に行けるのは1か月以上も先、ということが起こる。
緊急の場合はエマージェンシーに行くのだが、6時間ぐらい待たされる上、そこにいる医師の専門外だった場合、気休め程度の処置しかできない。

私の日本人の友人が、老後は日本に帰ることにしたと決めたのは、その点だった。
ひどい腰痛で、起き上がることもできず、今すぐにペインクリニックにかかりたいのに、1番速くて3か月先。
幸い、痛みはひいたけれど、この先のことを考えるとアメリカには住めないと彼女は言うのだ。
行きたい病院に、今日、行くことができる日本は、なんと良い国だろうか。


とにかく2月3日に主治医の予約がとれた。
それまで2週間近く、そこで皮膚科の予約をして、実際皮膚科に行けるのは今から最低1か月はみたほうがいい。
その間、市販のクリームを塗ることにした。

アメリカで、昔からサプリメントが非常に普及しているのも、売薬の効き目が日本の薬よりも数倍良いのも、結局、病院にかかるまでに時間がかかり、面倒だからじゃないかと思う。
そして、アメリカ人の平均寿命が日本よりも若いのも、きっとそのせいではないかと私は思っている。
ちょっと具合が悪くても、すぐには病院にかかれないから我慢する。
ようやく病院にかかったときには手遅れ。

アメリカにはアメリカの良さがある。
私は夫が元気でいてくれる限り、アメリカに骨を埋めようと思っているけれど、
こと医療制度のお粗末さにはほとほと愛想がつきるのである。





普通なんて100万たらある

2023-01-19 07:30:15 | 日記
日本に住んでいた時は、身近に性的マイノリティの人はいなかったけれど、
今はいろんな人に囲まれて暮らしている。
レズビアンも、ゲイも、バイも、トランスジェンダーも同僚にいて、いないのはクエスチョニング(Q:性的志向が定まっていない)だけだ。

若い頃、普通にいかない自分の人生を嘆いたことがあったが、あの頃はなんと狭い世界で生きていたことか。
当時、私が思う普通とは、20代前半で恋愛して、祝福されて結婚し、何人かの子供を持つというようなものだった。
その通りにいかないからといって、嘆く必要などまったくなかったのに、嘆かざるを得ないような風潮が、確かに社会にはあったと思う。
私が離婚した20年前ですら、実家のあたりではまだ「出戻り」という雰囲気が残っていたのだ。

普通、25歳までには結婚するでしょ。(信じられないだろうが、25歳すぎるとクリスマスケーキと言われて価値が下がった時代)
普通、男と女がカップルでしょ。
普通、結婚したら子供ができるでしょ。
普通、一生添い遂げるでしょ。
もしこの時代に、私が同性愛者だと言ったら、ご先祖様に顔向けできず、家族全員で墓場まで持っていくような大ごとだったはずだ。


それを思えば、この20年の社会の変化には目を見張るものがある。


いくらか人生経験を積み、さらに日本の外に出たことで、私は様々な生き方に寛容になったと思う。
それは私個人だけのことでなく、社会全体も少しずつ寛容になってきている。
夏にドイツのフランクフルトの空港に行った時、バスルームが「女性」と「男性」と「その他」と3つあった。
ハワイの運転免許証の書き換え時にも、確か女性、男性、その他と選べるようになったはず。

トランスジェンダーの同僚が(彼女は心は男なので男性に移行中)、ガールフレンドの生後8か月の子供をとても可愛がっていて、クリスマスパーティにも連れて来た。
ガールフレンドのことは「ママ」で、自分のことは名前で呼ばせたいのだそうだ。
普通、男が父親で女が母親でしょ。
という観念は、吹っ飛ぶ。
子供を愛せない、血のつながりだけの父よりも、子供を心から愛せる他人のほうがずっといいのでは。


普通、は、常識、とも言い換えられるかもしれない。
誰かの常識は、他の誰かの非常識。
あなたの普通は、他の誰かには普通じゃない。
普通なんて100万たらあって、それでいいのだ。
もっと誰もが、自分を偽ることなく楽しく生きられる世界になっていくといいと思う。