太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

枝から、枝へ

2020-02-24 15:04:28 | 日記
かれこれ1年近く前からずっと考えていることがある。
たいしたことじゃない。
週に5日働いているのを、4日にしたい、というだけである。

最初は、あと1日休みがあったらいいなあ、という程度だったのが
節分を過ぎてから、ひしひしとその思いが強くなってきた。
オリジナルの作品を8点近くギャラリーに収めたために
手元のオリジナルが品薄になり、
作品をもっと生み出したい、などという欲が沸いてきた。
昼間の太陽光の下で創作したいから、休日しかできない。
2日ある休日のうち、日曜日は唯一夫と過ごせる日なのであけておきたい。
そうすると、創作にかけられるのは週に1日だけ。
それも野暮用などをしていると、どんどん時間は限られてくる。

じゃ、もう1日休みにしよう、そうしよう!

と、話はいたって簡単なのだが、これがそうはいかない。
週に1日減らすと1か月で、1年で・・・と、減る収入をちまちまと計算している、
みみっちい私がいる。
『もしまた夫が仕事を辞めちゃったら‥』とビビる私がいる。
こっちの枝から、あっちの枝に飛び移ろうとしているのに、
こっちの枝を放さないもんだから、2つの枝の間で浮いている。
「放しちゃいな」
と心の中の私が言う。
放さないと、新しい枝はつかめない。
「でも、新しい枝が大丈夫な保証がないと放せないよぅ」
と別の私が言う。
いつまで握っていたところで、保証など見つかりはしない。
必要なのは保証ではなく、大丈夫だと信じる心だけなのだ。
思い余って友人に愚痴った。

「わかるよ、飛び移るの怖いよね。
でもさ、もっと怖いこといっぱいやってきたの、見てるからなぁ」

まったくその通り。
こんなことよりもっと無謀なことを、私はいろいろやってきた。
私はいつだって、こうして大騒ぎしながら、ときには半泣きで枝から枝へ飛び移ってきたのだ。
けしてヒョイヒョイとやってきたわけじゃない。

経験からいって、あっちの枝に行くのが私の真実の幸せであるならば
いつまでもグズグズしていると、「お知らせ」がやってくる。
それは身体の不調だったり、どうしてもそうしなければならなくなるような、ネガティブな出来事が起きてくる。
だからそうなる前に、さっさと古い枝を放しておしまい!と気持ちは焦る。
意気地なしの私を、外堀から埋めようと、まわりの人に話す。
夫に話したら、
「絶対にそうするべきだよ。僕は全面的にサポートするよ」
と言った。
アナタが仕事を辞めないでくれたら問題ないんだけどね、などと思う。

しかし私は知っている。
夫が仕事を辞めてしまうかもしれないから、今の収入をキープしたい、
という考え方こそが、夫が仕事を辞めるという現実を引き寄せていること。
週4日にしないことを、夫のせいにしようとしていることも。


ここまでわかっていて、私はまだ愚図っている。
毎日毎日、同じ思いが泡のように発生しては、底に沈んでゆく。
この状態は、もう行くしかないのだ。
きっと私は新しい枝に飛び移るだろう。









パケ という名の花

2020-02-13 08:26:28 | ハワイの自然
パケという花がある。
発音は、「ケ」にアクセントをおいて、少し伸ばす。
パ ケェー、という感じ。

隣家にあるパケの木の種が、我が家に落ちて、いつのまにか育っていた。
手前がクロトン、後ろがパケ


花が開く前には綿棒のようで、
花が開くと、ローストチキンについてくる紙の飾りみたい。
誰に聞いても名前を知らず、本にも載っておらず、
ようやく新しい庭師の人が知っていた。

パケ、というのは、「中国から来た人たち」というような意味らしい。
友人に一枝分けたら、直射日光が当たるベランダでも元気に咲いているといって
驚いていた。
どこであっても、自分たちの世界を崩さないまま、根を張って生きる中国人のたくましさを、
この花に見るような気がする。








慣れる、って、それ?

2020-02-12 08:01:53 | 日記
私はスーパー方向音痴である。
・地図を読むとき、ぐるぐる回す。(結局まわしても読めない)

・日本では地下道(道の反対側に出るだけだが、出口がいくつもある)で、
出たい位置に出られる確率が少ない。

・東だ西だと言われてもわからない。
たとえば「その建物の東側だよ」と言われて「それって右?左?」と聞く。

・覚えた道順は、何があってもその道順でしか行けず、応用ができない。
日本で、引っ越したばかりのアパートに帰るのに、途中が工事中で迂回させられ、
ほうほうのていで辿りついた。

・生まれ育った町で、映画館から出てくると、左右どちらに行けば帰れるのかしばらく考えなければならない。

と、まあ、こんな具合。
頭の中で描く地図は、たいてい間違っている。
それならカーナビゲーションをつければいいのだけれど、
方向音痴のくせに、カーナビが好きじゃないときている。


先日、ホノルルに用事があった帰りに、日本食スーパーに寄ろうと思い立った。
そのスーパーは街のはずれにあって、夫の運転で数えきれないほど行っている。
自分でも何回か行ったことがあるが、それはいつも家から行くのであって
どこかの帰りに寄ったことはなかった。
自分の運転で反対側から行くのは初めてだけれど
ディリングハムという大きな通りに面しているので、間違いようがない。

ワイカミーロ通りを下りてゆくと、ディリングハム通りと交差しているはず。
だが、ディリングハム通りは出てこない。
私の脳は言った。

「ディリングハム通りは、たしかキングストリートが途中で名前が変わって
ディリングハム通りになるんだよね」

じゃあ、キングストリートを左折すればいいわけだ。
ところが、どうも様子が変だ。
KFCがこんなところにあるはずがない。
これはきっともう1本手前の道を左折すべきだったのでは・・・
そこで私は適当な交差点を左折し、あわよくばその道が正しい道に通じている可能性に賭けたが、
道はどんどん狭くなり、曲がりくねって、一方通行ばかりになって、
自分がどっちに向かっているのかもわからなくなった。

やっとのことで、元のキングストリートまで出て、
なんとか無事にスーパーに行くことができた。
あとでわかったことだが、ディリングハム通りは、名前が変わることは変わるのだが
それはキングストリートではなかった。

その日、その話を夫にしたら、夫が言った。

「そろそろ慣れたら?」
「静岡市でだっていまだに迷うんだよ?」
「いや、そうじゃなくて。
そういう自分に慣れたらどうか、って言ってんの
あ、また迷っちゃった、あははー、これが私♪
あれー。ここはどこなんだろうー、うふふー、これが私♪」

夫は楽しそうに節をつけて、そう言うのだ。
小憎らしいったらない。
私が慣れるべきは地理じゃなく、こういう自分なのか。
それは的を得ているだけに、これまたこづらにくい。




私が右だと思ったら、それは左だ。
私が、ここはこっちにつながっていると思ったら、それは間違いなくつながってない。
私の脳は、平気で勘違いを覚えている。
それなのに、私はこの期に及んで、まだどこかで自分を信じており、
迷い続けているのである。

















9年で1ミリ成長

2020-02-11 07:54:38 | 英語とか日本語の話
先日、車のメンテナンスをしている待ち時間に、スターバックスに行ったのだが
頼んだコーヒーを飲みながら、しみじみ思い出すことがあった。

あれはまだ、ハワイに住み始めたばかりの頃。
今はもうなくなってしまった、本屋のBORDERSの中に、シアトル系のカフェがあった。
そこで私はコーヒーを買おうとしたのだったが、そんな簡単な英語が通じない。
その時の記事はコチラ
日付を見たら、このブログを書き始めて3日目ぐらいの記事だ。
ディカフェ、を伝えるのに苦戦。
カップに書く、自分の名前すら伝わらない。
私の本名はヒロコなのに、発音が悪いためにキロコだとか書かれるのだ。

私はこれからここで暮らしていくというのに、
こんな英語すら伝わらないなんて・・・・

と、落ち込む。
一応、落ち込んで、夫に愚痴をこぼしたりもするのだが
落ち込みが長続きしないのが私。
これから仕事も見つけようというのだから、英語をしっかり学んだほうがいいのでは。
一応、そんなふうに思ったりもするのだが、
それをしないのが私。
表面の私は、焦ったり、落ち込んだりしているが
深いところでは「どうにかなるさ♪」と高をくくっているのだ。



あれから9年。

英語も勉強せず、高をくくったまま今日まで来た。
図々しくも、日本人は私だけ、という職場で働き、
飼い猫相手に日本語を話す、という日常。
私がスゴイところは、ナンチャッテ英語で厚かましく暮らしていることだろう。


でも、いつのまにか自分の名前も一発で伝わるようになった。
9年前に比べれば、1ミリぐらいは成長しているかもしれない。
どんなことも当然に伝えられた、日本。
言葉のことなど、考えたこともなかった。
思えば遠くにきたもんだ。










車にネズミ捕り

2020-02-10 10:54:24 | 日記
昨夜は、日本の台風なみの大風だった。
雨は降らずに、風だけがゴウゴウと一晩中、庭の木々を揺さぶって
玄関の軒下に吊るしておいたガラスの風鈴が、落ちて粉々になっていた。
おとといの、スーパーでっかい満月のあとで
余計なゴミを全部吹き飛ばしたような大風だった。
今朝、夫を見送るのに外に出たら虹。


虹が生まれた場所まで見える


さて、
シュートメの車にネズミが出たという。
ここじゃ、車に せせらぎ(ゴ、のつく気持ち悪いあの虫)が出るのは珍しいことではない。
もちろん、私の車にはいないが、
車にホイホイを置いてある人を何人も知っている。
せせらぎが出るのも不思議だが、なにゆえネズミがいるのか。
ここのところ寒くて(ハワイ的に、だけど)、暖かい場所を求めたネズミが車の中に入り込んだのではないか、ということになっている。
そのうえシュートメの車には、ミカンだとか、スターバックスで買ったスコーンのカスだとかがあって、
ネズミが仲間を呼んだのではなかろうか。

というわけで、シュートメの車にはネズミ捕りが仕掛けてある。
今朝、おそるおそる車のドアをあけたシュートメは、ネズミ捕りに尻尾をはさまれているネズミを発見し、
大騒ぎして義父を呼び、すったもんだした挙句、
ネズミは尻尾を残したままシートの下に逃げ込み、振り出しに戻った。
ネズミ捕りがダメなら、ディーラーに持って行って、シートを全部外してもらうしかない。
というか、最初からそうしたほうが手っ取り早いんじゃ・・・

シュートメの車の隣に私の車はある。
ネズミ一家がこっちに来ないよう、いつもよりも気持ち距離を置いて車を停め、
すべての窓がきっちり閉まっていることを何度も確認している。