太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

延命措置

2021-08-31 07:11:24 | 日記
10日ほど前に母が入院した。
前回のときは肺に水が溜まり、検査しているときに軽い脳梗塞もみつかったが、
半月ほどで退院し、グループホームに戻ることができた。
今回は、肺と心臓。
酸素をうまく取り込めず、ハイパーな吸入器に変えて様子をみている。

患者の延命措置について家族の意見を問われた、と姉から連絡がきた。
父のときにもそうだったが、今後、回復して再び普通の生活に戻れるのでなければ、延命措置はしない。
私たち姉妹はそう決めた。

たぶん父も母も同じ気持ちだと思うけれど、本人に確かめたわけではないからわからない。
生き死にを、子供であっても、自分以外の人が決めていいものだろうか。
私たちしか決める人がいないのだから仕方がないけれど、ぬぐい切れない疑問が残ってしまう。


今度ばかりは、母は退院できないかもしれない。
母にもしものことがあっても、私は母に会いに行くことができない。
成田空港まで、姉に車で迎えに来てもらわねばならないが、片道4時間以上。
実家にたどりついても、その日から14日間は自粛せねばならない。
GPSがあり、わりとしっかり確認連絡が入るのだと、日本に行った人が言っていた。
自粛があけたとしても、コロナで母に面会はできないから、結局行く意味がない。
姉が働いている総合病院に母はいるので、姉は会うことができるが、妹は会えない。


母には、もう会えないのだと覚悟をしている。

夫の叔父が、春先にジョージア州にいる母親を亡くしたのだけれど、行くことができなかった。
夏にあったメモリアルも、行くのをやめた。
コロナで、親の死に目に会えない人が案外いるのではないだろうか。

2年近く、母には会っていない。
母がいなくなってしまうかもしれない、という考えに、胸が苦しくなるほどの悲しさを感じないのは、母に会っていないからだろうか。
母が、じゅうぶんに生ききってくれたからだろうか。

けれど、母がいなくなったあと、実家に行って、母が残したものを見たら、私は号泣する。
数年前、母がデイサービスに通っていた頃、広告の紙でゴミ箱を折る方法を教わってきて、
夕食のあとでテーブルに紙を広げて折るのだけれど、脳細胞の病気のためか、折り方を記憶していられない。
折りかけの箱や、私が助けて折りあげた箱がテーブルに乗っているのを見て私が言った。

「おかあさん、こんなもの残してどこか行かないでよ、悲しくなるから」

すると母が笑って言った。

「まだ行かないよ。そのうちにね」

手芸や裁縫が大の得意で、私たちの洋服をたくさん作ってくれた母が、
デイサービスに履いてゆくズボンの裾上げをしようとして、履き口を縫い合わせかけたままにしてあったり。
老いてゆく過程で、徐々にいろんなことができなくなっていって、
まわりの助けが必要になっていって、本人も家族も、少しずつ心の準備ができてゆくのではないか。


眠る前に、母に話しかける。

幼稚園の遠足の、雪遊びでやったソリ、楽しかったよね。
同じころ、英語教室で生まれて初めて食べたピザ、おいしかったねえ。
私のおかあさんを一生懸命やってくれて、ありがとう。
おかあさん、ありがとう。おかあさんがしたいように、していいよ。
おかあさんが行きたいなら、行ってもいいよ。








語尾が、変

2021-08-30 08:55:26 | 英語とか日本語の話
母国語が違う夫婦の多くは、暮らしているうちに独自の言語形態ができてくるのではないかと思う。
どちらかが相手の言葉を母国語並みに操ることができる場合は、その限りではないだろうけど。

ちなみに我が家の日常の会話はほぼ英語だが、日本語特有の単語は、日本語のまま。
「ただいま」とか「おかえり」とか、「いただきます」「ごちそうさま」「おつかれさま」といった単語がそれだ。

しかし、うちの場合、その英語の会話の語尾が時たま変になる。
同意を求める時、日本語だと語尾に「ね」をつける。

「今日は暑いねー

その語尾だけが、英語のあとにつくことがあるのだ。

「Its warm today ね~

「This is much bigger than I thought ね~」(思ってたよりずっと大きいよねえ)

英語にも「Isn't it?」といった同意を求める言い方があるけど、夫すらそれを使わず「ね~」と言う。



日本にいたとき、奥さんが日本人の夫の同僚がいて、ときどき夫婦でうちに遊びに来ていた。
奥さんは英語がペラペラで、英語はてんでダメだった私は3人の会話を呆然としながら眺めていた。
彼らはカリフォルニア州に移住することが決まっていた。
奥さんが、

「家だと、二人だけに通じる会話が確立されつつあって、あっちに行ってからそれが出ちゃったらって不安になるよ」

と言って、それがどんなふうに変なのかを説明してくれたのだけれど、
その説明すら私にはよく理解できなかった。
よくまあ、そんな程度でガイジンと結婚したもんだ。
それは勇気ではなく、向こう見ずといったほうがいいだろうが、人生にはそういう向こう見ずなことが必要なこともあるのだ。たぶん。


あれから15年。
あのとき奥さんが言っていたことは、こういうことかと腑に落ちた。
そして私は職場で同僚相手に、つい「ね~」がポロリと出てしまうことがあり、
あの人もカリフォルニアで冷や汗をかいているのだろうかなあ、と思ってみたりするのである。









舞い上がるような幸せの瞬間

2021-08-27 07:19:35 | 日記
カリフォルニアから来た、若いカップル。
彼らがレジの前に立った途端、ハッピー光線が半端ない。
少し会話したあとで、彼女のほうが

「実は今日、プロポーズされたの!」

と言って、薬指の指輪を見せてくれた。

「あらー!それはおめでとう、よかったね」

どうりでハッピーなはずだ。

「私たち、6年つきあってたの」

彼のほうは、ハワイでプロポーズする計画を立てて来たのだろう。

「日本では、交際期間が長いことを『長い春』って言うんだよ」
「へえ、そうなんだー、私たちの長い春は終わったんだね」

舞い上がるような幸せ。
人生にそういう瞬間はどのぐらいあるだろう。
何の疑問も不安も入り込む隙間のない、ただただもう、幸せなだけという瞬間。
結婚が決まったと友人が報告したとき。
友人の出産をお祝いに出かけたとき。
彼女たちを見て、まるで満月だなあと私は思った。
一点の曇りも欠けもない、完璧な幸せの中に彼女たちはいた。

ねじれにねじれまくった末の、長すぎる春のあとの最初の結婚だった。
結婚するとき、幸せというよりも、両肩が重く、早くふたりで縁側でお茶を飲むようになりたい、などと思っていた。
「嬉しい!幸せ!」という思いはあっても、不安や心配といったネガティブなことにとらわれてしまう癖は、母から受け継いだものだと思う。
当時は、そんなことに気づかなかったけれど。
幸せな恋愛も結婚も出産もなかった私は、満月のような幸せの中にいる友人たちが眩しかった。

私の、舞い上がるような幸せは、ずいぶん遅れてやってきた。
母から受け継いだ癖を捨て、そういう意味での母という存在と決別し、たぶん本来の私を取り戻したときに、それは来た。
今の夫に初めて会って、頭の中で鐘が鳴り響いたとき。
その半年後、ハワイのビーチで結婚式を挙げたとき。
結婚式のとき、私は妊娠していたから、二重の幸せ。
その2週間後に子供はいなくなってしまったけど、私に満月を味合わせるために一瞬来てくれたのかも、などと思う。


「今度ハワイに来るときは結婚式ね」

カップルにそう言うと、彼女は飛び上がって喜んだ。

「そうだよ、それがいいよ、ねえ、そうしようよ!!!」

この旅行は、何を見ても輝いて、眠るのも惜しいだろう。
ずっとずっとお幸せに。
そんなありふれた言葉が、真実味をもって心に浮かぶ。
私まで幸せな気持ちになれた出会いだった。



波紋の先に見えたもの

2021-08-26 07:30:51 | 日記
ハワイ州のイゲ知事さんが、言っちゃった。

「どうかハワイに来ないでください」

8月に入って、コロナウィルス新規感染者数の伸びが止まらないからで、昨年の最高と言われていた300人台を軽く超えて、1000人以上の日もある。
感染の元は旅行者が1%ほどで、あとは島外に出かけて戻ってきた居住者だという。
居住者に対して、ハワイの外に出ないでください、というほうが納得できる。
観光しかないハワイに、やっと人が戻ってきたところ。
私の職場含め、観光業の人たちは「あーぁ、言っちゃったよ・・・」という気持ち。




同僚のジェニファーが転職する。
ジェニファーはマネージャーの一人で、私が1番好きな同僚だった。
どんなときも、いいムードをまとわせている彼女に、どんなに助けられたことか。
マーニも、本土に引っ越すことになって今年いっぱいで辞める。
彼女もまた、私が好きな同僚のひとり。

もっと働き甲斐があり、ベネフィットも充実している場所を求めて、ステップアップするジェニファーを心から祝福するし、
未知の世界に踏み出すマーニを、心から応援する。
だけど、このザワザワ感はなんだ?
私はこのままでいいのか。

「シロは日本語も英語もできるから、転職するにも選択肢が広くていいよね」

ジェニファーがそう言った。
確かにそうかもしれないが、それはワイキキあたりの話。
もうホノルルまで通勤するのは懲り懲りだ。
駐車場は自己負担、ラッシュ時は片道1時間は覚悟したほうがいいし、ガソリンがどんどん高くなっている昨今、ガソリン代もばかにならない。
駐車場代、ガソリン代、通勤時間のロスを鑑みても尚、やりたい、と思う仕事があるのか。
そこまで考えて、ハタ、と思う。


そもそも、私は何がしたいのか。
絵を創作して、それを売って、私はやりたいことを既にやっているのではないか。


私が今の職場にいるのは、医療保険が必要だからだ。
通勤が10分というのも魅力で、それだけ自分の時間もとれる。
他の会社に比べたらベネフィットは殆どないも同然だけど、私には日本で27年間働いた年金があるのだし、(あてにならないにしても)
私がやりたいのは、もっとお金を稼ぐことや、やりがいを見つけることではないはず。


好きな同僚のステップアップで、思わず波紋が広がったけれど、

「そうか、私はやりたいことをやってるんだ!」

ということに改めて気づいた。
隣の芝生も、私の芝生もみんな青々。






猫は変化に弱い

2021-08-25 07:28:06 | 日記
仔猫のコーちゃんが来てひと月あまり。

チーズケーキたちは最初は敬遠し、ガールなど威嚇までしていたが、10日もすると慣れて、
今ではコーちゃんを舐めてあげたり、ボーイの追いかけっこの良い遊び相手だ。

先週の初め、ガールの様子が変だった。
喉を鳴らさないかわりに、喉の奥のほうから時々、キュー・・という音がする。
香箱座り(前足を体の下に入れて座ること)をしているのは、調子がよくない証拠だし、
なにより、とびきりの食いしん坊が、それほど食べたがらない。
吐きたそうにするのに、なにも出てこないので、毛玉を出せないでいるのかもと、
毛玉が出しやすくなるフードに変えてみた。

もう少し様子みて、動物病院に行こうと言っていた矢先の日曜日。
今度はボーイまで元気がない。
だるそうにジッとしていて、食欲もなし。身体も熱いような気もする。
すぐに病院に電話をし、予約をとって二匹を連れて行った。


生活の変化による免疫の低下で、呼吸器系がやられた、ということらしい。
肺は大丈夫なのでよかった。
抗生物質と、耳に塗る、食欲を増進する薬(1万円なり!!)をもらってきた。


猫は環境の変化に弱いと聞いたことがある。
彼らも、コーちゃんを受け入れてはいるものの、少なからずストレスだったのだと思うと、
申し訳なさと、いとおしさと、感謝がわいてくる。

いっぽうのコーちゃんは、ますます元気印で食いしん坊。
チーズケーキたちとは、部屋の隅と隅で離して食事をさせているのだが、
自分の分がまだあるのに、鉄砲玉のように速く部屋を横切り、彼らのフードを食べようとする。
コーちゃんが横取りしても、チーズケーキ達は怒らず、黙って見ているだけ。
苦肉の策で、コーちゃんだけ階段下のクロゼットの中で食べるようにした。
チーズケーキ達が食べ終わるまで、ドアを開けない。


チーズケーキたちも、この夏で7歳になった。
いつまでも若いような気がしていたけれど、人間の年齢にすれば夫と変わらない中年だ。
病院で体重を測ったら、ガールが10.42パウンド(4.7キロ)、ボーイが9.6パウンド(4.36キロ)。
特にガールは少し体重を減らしたいので、今からは気を付けていこうと思う。



おすましボーイ

鳥ハンターのガール