太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

失くしものの不思議

2023-01-11 07:59:49 | 不思議なはなし
必要なものが見つからないとき、ほんとに困る。
探す時間がないときは特に。

昨日の朝、玄関のドアを施錠して、車に乗ろうとしたら車の鍵がない。
家の鍵と車の鍵は、ひとつのキーホルダーについており、その車の鍵だけがないのである。
家に戻り、鍵の置き場を確認し、車から玄関の間の地面を探す。
いつもギリギリに家を出るので、悠長に探している暇などない。とりあえずスペアキーを掴んで、家を出た。

道々、最後に車を使ったときの行動を顧みる。
前の日、私はジュディスの家に行ったあと、ギャラリーに行って、4時ごろ帰宅したから、4時には車の鍵はあった。
鍵束を使って玄関を開け、たぶん一旦テーブルに置いてから、猫たちに挨拶して、いつもの鍵置き場に置いたと思う。
その間の、どこで車の鍵だけが抜け落ちたのか。

昨日は通勤バッグを使ったので、信号待ちのときにバッグの中を探してみたが、ない。
しかし、ものぐさズボラの私が、ちゃんとスペアキーを保管していたのは奇跡で、自分に感謝した。
さて、探し物に困ったときは、この方。

大天使のチャミュエルさん。

私は過去、どれだけこの人(?)に助けられてきたか知れない。(その辺の記事はコチラ
信じるもよし、「ンなことあるかぃ」と笑い飛ばすもよし。
私は車の中で

「大天使チャミュエーール!車の鍵のありかを教えてえーーー!!」

と大声で叫び、あとは鍵のことは忘れて仕事をしていた。
1日の仕事が終わり、帰り支度をしていたとき、サブバッグにしている布バッグの底に車の鍵を見つけた

「なんで????」

通勤にはメインのバッグと、その他のものを入れる布バッグを持っていく。
布バッグは仕事にしか使わず、家にあるときにはデスクの椅子の背にひっかけてある。(ズボラーがやることの定番)
前の日はメインのバッグだけ使ったから、布バッグはずっと家にあったはずだ。
テ、テレポーテーション・・・・てやつ?
何がなんだかよくわからないけど、とにかく見つかってめでたし。

「チャミュエルさーん、ありがとうッ!!」

帰りの車の中で、お礼を言った。
夫が帰宅したらこの話をしなくちゃ、と思いつつ家に帰ったら、玄関のドアがあいていた。
車の鍵のことで頭がいっぱいで、施錠しないで出かけた模様・・・・

出がけには少し余裕をもとう

今年最初の教訓である。






目に感謝したら起きたこと

2022-12-23 16:30:51 | 不思議なはなし
最近、目がすっきりしなかった。
マウナロア火山の噴火の粉塵のせいか、目が痒い。それに加えて、まつ毛が入ったときのような違和感があることが多く、その都度、日本から買ってきた抗菌目薬をさしている。
6,7年ほど前にまぶたの裏にデキモノができて、麻酔がけっこう痛い手術を両目とも受けたことがあり、それ以来、目の状態には気を付けている。

数日前、眠る時に目が痒かった。
こすらないように、目頭を押すのだが、痒みはなかなか収まらない。
デキモノはないが、目がなんとなく重だるい感じがする。
そこで私は急にひらめいて、両手を合掌の形にして、てのひら同士をこすりあわせてから、両手で両目を覆った。
てのひらの熱が、目に温かい。

『私の目さん。毎日すばらしく健康でありがとう。
美しいものや愛するものをはっきり見せてくれて、ありがとう。ありがとう。ありがとう』

心の中で繰り返しつぶやいた。

翌朝、今まで見たこともないような大量の「目ヤニ」が、特に右目から出ていて、眼の縁にこびりついていた。
痒みはほぼ収まっていて、重だるい感じも消えていた。


私は、人には癒しのパワーがあると信じていて、それが手のひらから出ることも知っている。
というと、なんだか宗教ぽくなっちゃうんだけど、そうではない。

30年も昔、両掌を合わせてエネルギーのボールをつくれることを教えてくれた友人がいる。
手のひらからは電流のようなエネルギーが出ていて、両掌を間隔をあけて合わせていると、磁石の同極同士が反発するような「なにかがそこにある」感覚がある。
意識をそこに集めていると、その見えないボールは少しずつ大きくなっていく。
友人は、別の友人の家で二人でそのボールを作って遊んでいたら、どんどんボールが大きくなっていき、肩幅ぐらいになったので、腰を痛めてうつ伏せになっていた友人のダンナさんの腰にそれを「そーれ!」と投げたのだそうだ。
そうしたら、ダンナさんが起き上がれるようになったのだという。

それが何であるのか、私は知らない。
けれど、人には人や自分を癒す力が備わっているのだと思う。
「手当て」の語源は、言葉どおり手を当てること。
昔から、手で治すことを人は知っていたのではないだろうか。

次の日も、私は手のひらを目に当てて感謝をした。
昼間、多少目は痒いが、重だるさや違和感は消えている。

身体の気になる部分に手を当てて、感謝をする。
きっと何かが起こる。





不思議ちゃん

2022-11-18 13:57:59 | 不思議なはなし
夫は、昔からちょっと不思議ちゃんなところがある。


昨日、帰宅した夫が

「今、歩いてたらさぁ」

と話し出した。
夫は車を車道に停めて、15mぐらいのドライブウェイを歩いて家に帰ってくる。
そのドライブウェイを歩いているときに、「何か声がして」立ち止まったのだという。
勝手に腕が動いて、両手に提げたランチボックスと水筒を、上腕を鍛えるときのように持ち上げたり下げたりした。

「あ、また自動太極拳かなと思ったらさ、それは家に持ち込まないで、全部手放して置いておけ、て言うんだよ」

「ランチボックスと水筒を?」

「違う違う。今日あったネガティブな出来事とか思いとか」

「(* ̄- ̄)ふ~ん」

「で、勝手に動く腕の体操をしていたら、おへその前に、こう、すっごいきれいなオーラがまあるく見えた」

「へえー、オーラが (* ̄- ̄) それで?」

「なんかすごいよかったよ」

「そりゃよかったねえ」

なんだかよくわからないけど、よかったそうなのでよかった。


こんな夫が、ふわふわ生きているかというとそうでもない。
スーパーに行ったら、ロメインレタスの棚の前で夫が

「1パウンドが5ドル48セントになってる!」

と言う。
実は私は、スーパーではほとんど値段を見ないで買うので、物の値段をよく知らない。
貧乏性にできている私は、値段を見ると、お金がなくなってしまうという恐れに取りつかれてしまい、恐ろしいことに実際にそうなっていく過去の実績がある。
そして50円でも安いものを探し、「品質より、欲しいものより、安いものが似合う私」というふうに、自己価値が下がってしまうオマケ付き。
それで、せめてスーパーでは値札を気にせずに買う、という訓練をしているうちに、本当に値段に疎くなってしまったというわけなのだ。

「私、ロメインレタスがいくらか知らない」

と私が言うと、

「えー、値段見ないの?僕はいつもしっかり見てる。一昨日までは3ドルだった」

うちの不思議ちゃんはふわふわちゃんではないらしい。





自動太極拳

2022-10-28 07:53:52 | 不思議なはなし
廊下を歩きながらバスルームを見たら、帰宅後シャワーを浴びた夫が鏡の前でなにやら妙な動きをしている。
両腕を顔の前で交差させたり、その腕が上のほうにゆっくり上がったかと思うと、今度は開きながら降りてきたり。
腕だけじゃなく、肩も首も上半身も微妙に角度を変えつつ動いていて、まるで太極拳みたいにみえる。

「何やってんの?」

と声を掛けると、夫は動きながら言った。

「わかんない」

「( ゚Д゚)ハァ? どういうこと?」

「僕の意思とは別に勝手に動くんだもの」

「えええー!なにそれ!」

夫の仕事は建設業なので、1日中肉体労働。
家で毎日ストレッチをしていても、身体が凝ることがある。
数日前、シャワーを浴びたあと、ふと鏡の中の自分を見たら、勝手に体が動きを始めたのだという。
「なにこれ、なにこれ、なにこれ」
と戸惑いつつも動きは止まらず、戦うのをやめてその動きに任せてみたら、それは数分で終わり、終わったあとは恐ろしく体がスッキリしていた。
どの動きも今までやったことがないものばかり。

「だからね、身体の声を聞いてるわけなんだよ」

「ふーーん」


夫はスピリチュアルな知識は全然知らないし、それほど興味もないのに、私から見れば、どこか イっちゃってる 突き抜けているようなところがある不思議ちゃん。
心が薄汚れている私には蚊しか見えないが、庭で妖精を見てしまうのも夫で、
バリ島で出会った友人が宇宙人だった(のではないか)というのも夫で、
メネフネ(たぶん)に家事を助けてもらう(一人でいたときに乾燥機にいれたものが勝手に外に出してあったとか)のも夫で、
「日本に行け」と毎日ささやきかけてくる心の声に負けて、仕事も住まいも車もすべてを投げ出して日本に行って人生変えたのも、夫。
だから、勝手に体が動くなんてことがあっても、まあそれほど驚きはしない。

自動書記、というのがあるけど、これは自動太極拳か。

「あー、すっきりした!なんなんだろ、これ」

さあね、なんだろうねえ。



あれから1年

2022-09-03 09:22:50 | 不思議なはなし
ハワイ時間の9月1日は、母の命日だった。
グループホームから総合病院に入院して10日余、病院に駆け付けた姉から、
「午前11時43分、亡くなりました」
というLINEを受け取ったのが、まるで先月のことのようだ。
死に目に立ち会えなかったどころか、2年も母に会っていないままだったから、1年たった今でもまだ、日本に行けば母がいるような気がしている。

近い親族だけで一周忌をやったときの、みんなで写した写真を妹が送ってくれた。
何年か会っていない間に、若い人たちはどんどん変わってゆく。
大学生になり、東京で初めての一人暮らしを始めた甥の背が伸びて、痩せて、すっかり大人の男みたいになっていた。


マッサージセラピストをしている妹は基本的には地元のサロンにいるが、時々、両親の住まいを借りて出張施術することがある。
母と懇意だった保険の仕事をしている女性の施術をすることになったとき、その前の晩に女性が夢をみた。
夢の中で、両親の家のリビングで、母が女性に向かって

「よろしくお願いいたします」

と頭を下げたそうだ。

「優しくて、きれいなおかあさんでしたね」

とその人が言い、

「それを聞いたら、泣きそうになった」

と妹が言った。
私だって、それを聞いたら泣きそうになった。
姿は見えなくても、母はちゃんとこっちのことを見てる。

妹が、自分の夢には1度も出てこないと文句を言うが、あるとき寝ていて、なにか触った気がして、とっさに「おかあさん!!!」と思ったそうだ。

「でも誰もいないし、思い違いだったみたい」

いやいや、そうじゃなくて。
とっさにそう思ったのなら、それはおかあさんだったに決まっている。

私は母が亡くなった日に、母の不思議な夢を見た。
姉は、母は夢には出てこないが、寝入りばなに「〇〇ちゃん」と呼ばれたので思わず返事をした、と言っていた。
私は夢は見るが、私も母に呼ばれたりしてみたい。
あちらにも事情があって、夢に出やすい人、出にくい人というのがあるのだろうか。



母は、見えない世界のこと、科学的には説明のつかないこと、不思議な話が好きだった。
よく、そういう話をしたし、冝保愛子さんの講演会に二人で行ったことだってあったのだ。
だから母は、実際にこっちに来てみたらこうだったよ、ということを私に話したいんじゃないかな。
そんなことを思い出していたとき、アフターライフの夢は、母のメッセージだったのだ、ということに気がついた。

死んだあとで出される『どう生きてきて、これからどうなりたいか』という質問に、母はなんと書いたのだろう。

「私も急に聞かれて困ったから、アンタは今のうちに考えておいたほうがいいよって思ってサ」

母のそんな声が聞こえてきそうである。



おかあさん ありがとう