太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

4年ぶりの日本 日本のコンビニ

2023-12-14 06:40:21 | 旅行
12月3日から日本に行ってきた。
今回は夫の休みが取れず、一人で行ったこともあり、1週間という短さ。

ハワイから日本へは逆風で、9時間半という長いフライトだったが、普段はみる機会のない邦画を4本もみることができたのでヨシ。
小腹がすいたので、品川駅でお弁当を買おうとしたら、あまりにも美味しそうなお弁当がズラリと並び、しかもどれもが安い!迷った挙句、『蕎麦屋の天むす』を買う。
新幹線のホームで、タッチパネルの自動販売機を発見し、写真に撮る。


静岡駅に姉夫婦が迎えに来てくれた。
4年の間に、静岡の町も変わった。
店が入れ替わり、あるところは更地になり、大きな老舗の本屋が2件なくなっていたのは寂しい限り。
実家の至近距離にセブンイレブンができていた。そこは以前、市の教職員住宅のアパートで、老朽化し、廃墟になってもしばらくそこにあったのだった。

4分ほど歩くとファミリーマートもあるのだが、セブンイレブンは1分以内に行けるので、ほぼ毎日通った。
日本のコンビニエンスストアは、外国に住む人にとってはアミューズメントパークのようなものだ。
その辺のカフェに負けない美味しさのコーヒーや、ケーキ屋に劣らないスイーツ、迷うほど種類があってどれも美味しそうな食べ物。
夏には、自分で作るスムージーが人気で、売り切れ続出だったのだと友人が言っていた。
店内に入ると、気持ちが上がる。
レジで支払いをするとき、お金を出して待っていると、

「こちらでお願いします」

と、画面を指さされた。
そこには、さまざまな支払い方法が書かれている。こんなにも支払方法があるのかと目を見張る。クレジットカードと現金以外は、いったいそれが何のことやら意味がわからない。
「現金」を押し、駅の切符支払機みたいにお金を入れて、お釣りが出て来て支払い完了。
到着した日に、既に気分は浦島太郎。


仏壇にお線香をあげる。

「お母さん、死に目に会えなくてごめんね、遅くなったけど来たよ」

両親のいない日本に帰ってきたのは初めて。
母には4年も会ってないから、こんな小さな位牌になってしまったことが、まだ信じられない。
晩年、母が寝室にしていた和室に、布団を敷いて寝た。
両親が使っていた1階部分の殆どはリノベーションして、すっきりし、雰囲気も変わったけれど、この和室だけはそのまま。
母のことを思い出しているまに、眠ってしまった。



ワシントンDCとインディアナ6 おまけ 本土の暮らし

2023-04-24 07:59:44 | 旅行

10泊11日の旅も終わり、帰りはインディアナポリス空港からシカゴ空港まで1時間、シカゴからホノルルまで9時間。
インディアナを出た日は20℃ぐらいあったのに、翌日には4℃まで下がって、その週末には雪が降るという予報。
あと1週間滞在する義両親は、凍えて過ごしたと思う。

インディアナは、冬は豪雪、夏は日本並みの蒸し暑い酷暑。
当然、ハワイとは暮らし方も全然違う。
一般的に家はセントラルヒーティングで、各部屋に暖気の吹き出し口がある。
80年代に建てられた叔母の家には、セントラルクリーナーもついていた。
家の壁にある吸い込み口にホースの先をつけて、吸った埃はすべてガレージの1か所に集まるようになっている。

水道水は金属分が多く、水のヒーティングシステムのタンクの中に、大量の塩を入れる。
食べる塩とは違うのだろうが、叔母は確かに「塩」と言った。肥料が入っているような大きな専用塩の袋が、ガレージに積まれている。
これを定期的にタンクの中に投入するのは難儀なことだ。
塩入りのお湯は、石鹸があまり泡立たなくて、洗い流してもヌルヌルした感触が残る。
水道水は飲めなくはないけれど、飲料水は特大のミネラルウォーターを使うので、それもガレージに山積みされている。


義父は、歯科医のインターンとしてハワイに派遣され、1年後にインディアナに戻り、そこで義兄が生まれた。
その冬は豪雪で、車が雪に埋まってしまい、家まで歩きながら「That's it!(もうたくさんだ!)」と義父はハワイに移住することを決めたのだという。
すぐに荷物をまとめてハワイに戻り、夫が生まれた。
気候でいえば、ハワイは恵まれすぎている。
寒いの、暑いのと言ってはいるが、本当の寒さも暑さもここにはない。
雪下ろしの心配もなく、水道からは美味しい水がジャンジャン出る。
1年中、素足にサンダルで、かしこまった服を着る機会もない。

ただ、自然は盛りだくさんだけれど、「これ」といった欲しい何かが手に入らない。
なにも特別なものじゃない。たとえば、コーヒーをドリップするドリッパー。
ペーパーフィルターをセットする、三角のあれ。
今使っているのが亀裂が入ったので、新しいのを買おうと思ったのだが、どこに行っても見つからない。
結局、Amazonで買った。

インディアナは田舎だけれど、これが欲しい、というものが簡単に買える。
まず本屋がたくさんある。ハーフプライスブックという、日本でいうブックオフ的な店もあった。
ハワイでは撤退してしまった、バーンズアンドノーブルと、ボーダーズという本屋が、インディアナでは元気に生きている。(バーンズアンドノーブルはアラモアナで細々と営業しているが、撤退予定らしい)
インテリア雑貨のベッドバスビヨンドもある。好きだったのに、ハワイからは姿を消した。
叔母が連れていってくれた、ホビーロビーは、ホームセンターサイズの雑貨屋で、あれもこれも欲しくなるような可愛い雑貨に溢れていた。
「ハワイにこの店があったらいいのに」
私は何度そう言っただろう。
太平洋の真ん中の島に住んでいるのだから、最小限の日用品があるだけでも感謝しなくては。
Amazonのおかげで、大抵のものは手に入るのだし、やっぱり気楽でのんびりしたここがいい。

旅行は楽しいけれど(今回のように怖い出来事もあるけどさ)、初日から猫たちが恋しくなるし、日ごろのルーティンから離れてみれば、そのありがたみを再認識する。
乗り物酔いする私は飛行機が苦手で、旅行は年に1度かせめて2度ぐらいで充分。
日本の運転免許証の更新があるので、12月あたりに日本に行く予定ではあるけれど、どうなることか。






ワシントンDCとインディアナ5 12年ぶりの再会

2023-04-23 08:30:32 | 旅行

インディアナ州に行く1番の目的は、夫の叔母、義父の姉に会うこと。
キャロル叔母さんは、夫が1番好きな叔母である。
元気でいるけれど、84歳という高齢でもあり、元気で会えるうちに会っておきたかった。
4年前にダンナさんのジムが脳梗塞で倒れ、キャロルは多少麻痺が残ったジムの世話をしていたのだけれど、キャロルがコロナ陽性になったりしたこともあって、昨年、ジムがアシスト付きのケアホームに入所した。
キャロルの息子たち、つまり夫の従兄弟らは、みんな近所に住んでいるから、キャロルは安心して一人暮らしを楽しんでいる。
キャロル叔母さんの家

12年前に来た時は、ここに泊めてもらった。
この家はキャロルの両親が住んでいた家で、キャロルが生まれて育った家だ。
キャロルは二十歳で結婚したとき、両親は別の家を買って引っ越したので、以来ここに住み続けている。
キャロル叔母さんと、夫



男の子が義父、女の子がキャロル

晩年の、義父の両親

おじいさんの頭蓋骨の形が、夫にそっくり。夫もこんなふうになるんだろうか。

従兄弟たち

左から2番目が、従兄弟のジェフ。
右から2番目が、ジェフの弟のブレット。
両端が、ジェフの息子たち。
真ん中が、夫と、キャロル叔母さん。

身長が196センチの夫が、この中にいると全然目立たない。
ジェフのほうがいくらか背が高い。
キャロル叔母さんも、年齢の割にはずいぶん背が高い方だ。
高身長のルーツは、どうやらこの辺から。

この従兄弟たちとは年齢が近いこともあって、子供の頃から仲がいい。
夫が子供の頃は、毎年夏休みをインディアナ州で過ごし、何回かは彼らがハワイに来て過ごした。
ティーンエイジャーの時は、バカなことばっかりやって遊んでいたらしい。

たとえば、ブレットが運転する車に乗っていたらブレットが、
「腹減ったなぁ、何か食ってこう」
そういって、ハンバーガー屋のドライブスルーに行き、
「さっきチーズバーガーとか買ったんだけど、フレンチフライがついてこなかったんだよね」
すると店員が
「あっ!すみませんでした。じゃ、これ」
と言ってフレンチフライをタダでもらった。
3件目のドライブスルーで、レシートを見せろと言われてあわてて逃げた、とか。
そんな話で大盛り上がり。
「いい時代だったよなぁ、今じゃもうそんなの通用しないもんね」
40年以上も前にドライブスルーがあったのも驚きだけどね。

40年以上前といえば、インディアナ州に住む人にとってハワイはどこか遠くの離れ小島でしかなく、日本人はまだチョンマゲをしていると信じている人がいるように、ハワイの人は1日中ウクレレを弾きながら暮らしていると思っている人たちがたくさんいたそうだ。
当時、従兄弟の通う学校の友達が何人か来て、夫が質問責めにあった。夫はおもしろいので、ちょっとからかってみようと思った。

「ハワイの人は普段何をしてるの?」
「魚とったり、ウクレレ弾いたり」
「へえー!ハワイからどうやって来たの?」
「トンネルで」
「えっ!!!トンネルがあるの!!!」
「知らないの?海底をずーっとトンネルが通ってて、シカゴに出るんだよ」
「へえーーー!!テレビ、ある?」
「市長は持ってる」
「じゃ、車、ある?」
「市長は持ってる」

アホな若者たちも、今じゃ立派な五十代。





ワシントンDCとインディアナ4 インディアナへ

2023-04-22 08:56:38 | 旅行


10泊11日の旅行のうち、ワシントンDCには5泊したが、1泊でもよかったと思う。シュートメは仕事で数えきれないほどDCに行っており、旅行のプランを完全に義両親に任せてしまったのだけれど。
私たちだったら、あんな歴史のあるラグジュアリーな古いホテルは選ばなかったと思うし、せいぜい2泊ぐらいして、インディアナで過ごす時間を多くとったと思う。
フライトまで、ホワイトハウス裏側の唯一リラックスできる公園で過ごす。
インディアナポリスまでは、ダレス空港から2時間ほど。
ワシントンDCは1度来ればもういいなと思いつつ、インディアナに向かう。


雪が溶けたあとのインディアナは、まさに春!!
気温は20℃ぐらいか。空気はひんやりしているけれど、日向にいると暑くなる。

新緑の青葉がきれい。ライラックやマグノリア、水仙やチューリップがそこいらじゅうに揺れている。
やっとゆったり深呼吸ができる。
夫の叔母の家に泊まらせてもらった。
家の周囲にグースがたくさん。




この叔母はシュートメの1番下の妹で、私とは9歳しか違わない。

3ベッドルームのこの家に、叔母は一人で住んでいる。

私たちが使わせてもらうゲストルーム


気に入ったのは、このポーチ。屋根はあるが窓ガラスはなく、すべて網戸になっている。冬はここに雪が積もるのだそうだ。

叔母の家にいるときの、ほとんどはここで本を読んだり、ボーっとして過ごした。
叔母やシュートメの両親。
2人とも五十代で亡くなった。
左が3番目の叔母のジョイス(ハワイに住んでいる)、真ん中がシュートメ、右が2番目の叔母のジャッキー(シアトル在住)。
インディアナの叔母は、まだ生まれていない。

車で1時間ほどのところにある、ブラウンカウンティに行く。
延々とこんな景色が続く。

とにかく土地が有り余っている。
5000万円あったら、だだっ広い庭付きの立派な家が買える。
街の中にある店も広いし、駐車場もショッピングモール並みに広い。小さな島から来ると、夢のようだ。
ブラウンは、昔、アーティストたちが集まって作った地区。
古い建物の中は、ギャラリーやレストランになっていて、歩いているだけで楽しい。
そしてこの天気!




叔母が好きな店。こまごまとした雑貨であふれていて、ここに住んでいたらあれもこれも買いたい。ハワイではどんなに探しても見つからないものが、インディアナでは簡単に手に入る。こういう店も、そう。
お昼を食べて、さらに散策した。
明日は義父の姉、キャロル叔母さんに会う。

ワシントンDCとインディアナ3 恐るべし憑依の夜

2023-04-20 07:17:48 | 旅行
今日の記事は長くなるかも。オカルト系が苦手な方はスルーしてください。


呑気に散歩から戻り、夕食を済ませてホテルの部屋に戻った。
夫がシャワーを浴びている間、私はベッドに寝転がって本を読んでいた。
シャワーのあとしばらくしたら、なんだか夫の様子が変だ。
うろうろと歩きながら、しきりにネガティブなことを言い始めたのだ。

「僕は良い息子じゃなかった」
「なんて愚かなんだ、僕はどうしようもない」

しまいには、義両親に謝ってくると言って部屋を出ようとする。
一足先にワシントンDC入りしていた義両親は、同じ階の部屋にいる。私はこんな姿を彼らに見せたら心配するだけだと思い、引き止めた。
なんとか横にならせて、落ち着かせようと試みる。
私にはわかっていた。夫は完全になにかに憑依されている。
仰向けに寝た姿勢で、夫のネガティブは止まらない。おまけに、私は意識はしっかりあるのに、身体が思うように動かなくなってきた。
あとから思うと、あれは金縛りみたいなものだったのかも。

「ふっ、52歳か。案外短い人生だった。これからもずっと一緒にいたかったけど、ごめんね」

なんだ、死ぬ気か?

私はうつ伏せになったまま動けないので、私の天使たちと夫の天使たちに真剣に祈った。おいおい、助けて助けて助けてーーーーーーー!
私は必死に言葉で夫を励ます。

そうしていると、義父から夫に電話がかかってきた。基本的に別行動しているので、今日は何をしたのか、というような話だったのだが、義父は夫の様子がおかしいのに気付いた。
電話を切ったあと、義両親が部屋のドアをノックした。
「おとうさんだよ、開けてあげて」
私は動けないので、そう言うと、困ったようにおろおろして会いたくないと言う。
「とにかくドアを開けて!」
ようやくドアを開け、義両親が入って来た。
「ごめんね、僕は悪い息子だよ、時々無視したりしたかも」
寝た姿勢のまま、そう言う夫を義父がなだめる。
「何を言ってる、そんなことない。無視したことなんかないし、いつだって良い息子だよ」
彼らはしばらくこの部屋にいる、と言って30分ほどいたのだが、もう部屋に戻っていいと言い張る夫に負けて、何かあったら必ず電話して、と言い置いて帰った。

義父が電話をくれたのは、天使のおかげ。私はそう思っている。
義父は100%愛の人で、義父が来てから少し落ち着いたように見えた。
しかし、義父を帰して、再びパワーアップ。
うつ伏せで動けないまま、死ぬの、自分はバカだの延々聞かされて、こっちの気分も滅入って来るし、このまま誰かに乗っ取られて戻れなかったらと思うと焦りに焦る。
まったく天使たち、これだけ頼んでるのに何とかせーよ!と、焦りが怒りに変わった時、それは起きた。


動けないはずの私がガバリ!と起き上がり、夫の上に馬乗りになった。
夫の顔の前と、両肩の3か所で、大きく1つずつ拍手をした。自分でもなぜそんなことをしているのかわからない。
「OK,OK,OK(わかった、わかった)」
夫は突然のことに驚いてそう言ったが、かまわずに夫の両肩を両手でしっかり掴んでベッドに押し付け、

「Who are you?What is your name?(おまえは誰だ。名前は?)」

と、夫の目を睨みながら、低くドスの効いた声で3回繰り返して聞いた。
夫の目は、初めは驚き、そしておびえたようになって、目が泳ぎ始めた。
その時の顔は、確かに夫ではなかった。そして、

「〇〇・・・・」

と、男の名前を言った。(覚えているけど、何となく書きたくない)

「〇〇。OK,Go home!(〇〇だな。よし、家に帰れ!)」

そのあと、夫の隣に横たわって、

「△△(夫の名前)のオーラの外側を、真実の愛の黄金の光でしっかりシールドしました。△△のオーラの内側に存在できるのは真実の愛だけで、それ以外のものは元いた場所に戻りなさい」

と、具体的にイメージをしながら繰り返し唱えた。
これは、1日に何百人という人に会う私が、職場に行く車の中で自分に対して唱えるもので、自分のときには「元いた場所に戻ります」と宣言口調なのだけど、この場合は命令形。
唱えながら、夫の額、第三の目のあたりに手をかざした。これも、なぜそうするのかわからないままだ。
夫は、ネガティブなことを言うのをやめたが、まだ本来の夫ではない気がする。
ランチをした店でもらってきた、ほんの爪の先ほどの塩が入った袋をあけ、首の後ろに振りかけた。
再び、唱えながら、どのぐらいそうしていただろう。その部屋は隣の部屋とドア続きになっており、何家族かで使えるようになっている。
むろん施錠されているそのドアのあたりから、「シュッ シュッ」というような音がずっとしていたが、私は疲れていて、頭にも来ていた。

「うるさーーーい!もう怖くもなんともないんだよッ!!」

私はいつのまにか眠ってしまった。


翌朝、夫は、
「古いホテルだから、いろんなのがいるんだろうね」
などと言っていたが、その日は義両親に誘われて、第二次世界大戦メモリアルや第一次世界大戦メモリアルなどを歩いたせいもあり、今ひとつ本来の夫ではなかった。
こんな時に、本当はそういう場所には行きたくなかったのだけれど、昨夜のことに一切触れない義両親に、こんな話ができようか。
その夜も、その次の夜も、寝る時に夫を真実の愛で包んだ。

「真実の愛」

と言っててのひらを夫の胸にあてると、私の背中からゾワゾワー・・・と何かが這い上がって来る感じがあった。


結婚して16年。
遅ればせながら気づいたこと。

この人、もしかして憑依体質???

過去にも、ライブハウスで憑依されたことがあったっけ。
そして旅行に行くときには、持参。、必須。今さらだけど。

夫が完全に夫に戻ったのは、3日後のインディアナ州に行ってから。
ホワイトハウスの裏手に広い公園があり、残りの二日はその公園内のベンチで多くの時間を過ごした。
緑があふれて鳥がさえずり、空気は冷たいが太陽が暖かく、ワシントンDCの中でここだけが深呼吸できる気がした。
夫は、ロサンゼルスに行くと具合が悪くなると言っていて、ワシントンDCもそういう合わない場所であるのかもしれなかった。

「自分の中心をしっかり持って、簡単に誰かに明け渡しちゃダメだよ」
「はーい」

やれやれな出来事だった。