「クリスマス・キャロル」
クリスマス・キャロルというのは、クリスマス賛歌という意味です。
イギリス人のチャールズ・ディッケンズという作家が、いまから約160年くらい前に書いた小説です。
私も英文学が好きで、大学の研究もイギリス文学でした。
ディッケンズは、イギリスではシェイクスピアに並ぶとてもすばらしい作家です。
私はあまり好みではなかったです。
説教くさく、テーマが、人間愛だの神の御心だの道徳的だと思ったからです。
此の頃、映画に取り上げられるイギリスの古典はなかなかいいものが多く、
私の古典嫌いを吹き飛ばしてくれる作品が多いです。
ナタリー・ポートマンの「高慢と偏見」とか「デイビット・カパーフィールド」など原作のよさをそのまま映画にしてくれました。
さて、「クリスマス・キャロル」は守銭奴の性格も極悪冷徹という嫌なお爺さんが主人公の、実写かと思うようなアニメです。
この映画を見ているうちに「あれ!」と思うような言葉がちりばめているのにきがつきました。
例えば
「この世はすべて自己責任。他人への情けや助けに頼るなんて甘ったれは通用しない、人生は他人を押しのけてでも前絵へ上絵へと進む競争だ。目標は成功、出世具体的に言うと金だ。途中で立ち止まって弱いもの、負け組みに情けなんてかけていたら絶対に勝ち残れんぞ」
これは、まだ先ごろ、日本で、小泉政権の自己責任論が強いコロ、言われていたことではありませんか?
実直な主人公青年のスクルージはこれを受け入れて実行。
勝ち組に残ることができました。刑務所や貧窮院を維持する為に高い税金を払ってる。といっています。
そしてクリスマスの精霊によって見せられたお話により、本来の彼を取り戻すのです。
「ばかげた御伽噺のように見えるかもしれませんが、馬鹿にしてはいけません。
この物語の主人公はあなた自身なんですから。
あなたが自分の力で自分の心の汚染を洗い清めることができるかどうか、という大切な御話なんですから。」
とディッケンズは言っているのです。
わたしは、どこからが現代の映画のためのアレンジか分からないので、原作を買ってきて読みました。
原作もそのとおりです。
心の温かい甥の言葉で
「僕は、クリスマスがめぐってくるごとに親切な気持ちになって人を許してやり、情け深くなる楽しい時節です・・・神のお恵みがクリスマスの上にたえないように言いますよ。」
アア、クリスマスは、単にキリストの誕生日を祝うだけでなくて、
日本人が新年を迎えられた時に、健やかに過ごせた過去を神に感謝し、
新たなる年の幸せを祈り、
他の人々と平和な暮らしを願う初詣に、似たところがあるんだな~
と思いました。
ほかにも、私たちにとって、何が大切か教えてくれるお話でした。
みっちゃんも大事な時間をおばさんたちへの怒りに時間を取られないで、前向きに生きるように諭された気がしたよ~
クリスマスキャロルの頃には-稲垣潤一