( 上品な白モクレン。 この季節を待っていました。 市内中央公園近くで見られます。)
今日は白モクレンを中心にお届けします。毎年撮っています。この花は 期待通り咲いてくれています。
プロ野球の野村克也元監督が亡くなった。84歳だった。多くの追悼番組があり 人気の高さが改めて分かった。
私もファンの一人だった。その歴史は長い。彼も私も京都出身だったこと、関西は阪神に次いで南海ホークスが
人気チーム。アンチ巨人もあって 南海の活躍を願ってラジオにかじりついていた。特に日本シリーズなど巨人戦では
仏壇に祈りながら聞いたものだ。従姉妹が巨人ファンだったこともあり ケンケンガクガクで 聞き入ったものだ。
大阪まで行くお金もなく ただただラジオ放送が頼りだった。
野村時代になってようやく巨人に勝てるようになった。当時の杉浦 皆川 そして蔭山 木塚 岡本 飯田 などの
名選手の名前が浮かぶ。私も大きくなって次第にプロ野球の興味も薄れていったが 野村が45才迄細々と選手生活を
送っていたのを 蔭ながら応援していた。そしてヤクルト監督時代になり ID野球をひっさげカッコよく日本一に
なる姿を見て 又拍手を送った。ヤクルトが好きだったわけではなく ただ同郷の昔からのファンを引きずっていた。
彼が書いた本も幾冊か読んだ。哲学書に近い。高校卒の人だが その当時からノートをよくとっていたという。勉強家
だった。評論家としても分かり安い納得させる解説だった。声も仲々良かった。歌もうまいらしい。彼は選手として
監督として 野球評論家として 又作家として 更に言えばサッチーのダンナとしてユニークな存在だった。ボヤキも
ささやき戦術も 人の心をとらえていたのだろう・・。
ここ数年の衰えは見るからに気の毒だった。奥さんを亡くして 孤独をぼやく野村監督に 頑張れ !と 声をかけて
いた。その死はやはりショック。 同じ時代を歩んで来た思いもあったから・・。でも多くの局で追悼番組があり
彼へ賛辞を寄せる人々が多いのを見て 私もうれしかった。特にONや張本など 元巨人軍の人々から彼を讃える声を
聞き 我がことのように ? うれしかった。巨人に負け続けた怨念がようやく消えて行った・・。そんな思いになった。
確かに古き良きプロ野球の星が又一つ消えた。 ご冥福を祈りたい !!
蕾から開いていくと すぐ汚れが出て来るので 今がいい見頃かも・・。
これは少し茶色くなってきています・・。
五分咲き~七分咲き
ミモザアカシア。房アカシアという。 まだ五分咲き。
この辺りは満開近い・・。
沈丁花(じんちょうげ) ユーミンの歌 『 春よ 来い 』 の歌詞に 『 いとし面影の沈丁花 』とあります。
春を待つ歌ですが 去年のクリスマスの祝会で ハーモニカで合奏しました。
椿の種類も多くありますが 図鑑で見ると 『 吹き上げ絞り 』というのが 近いです。