( 高知市の北にある土佐山 その更に奥に 梅の里 嫁石があります。 )
あの大地震から10年 あの日、10年前の3月11日 友人と3人 伊豆の伊東に遊びに行き 東京駅に戻ってきた時だった。
駅のコンコースで激しい揺れに見舞われ 壁にしがみついた。少し収まって 中央線のホームで電車に乗ろうとして 又揺れた。
電車内で我慢したが 車内放送もあって外へ出た。放送は電車を降りるだけでなく 駅から離れてほしいという内容に変わった。
指定されたのが皇居前広場だった。私も指示されるままに 歩いて皇居前へ行ったが 多くの人々が集まっていた。そこには
近くの工事中の労働者も仕事を止めて 集まってきていた。
午後2時46分の大地震だった。東京は震度4位 何回も余震があった。しばらく広場で過ごしたが 当てもなく少し寒くなって
来たので又駅に戻った。電車は全く動いていない。お茶の水駅の近くにある教会センターに頼ろうと思い 歩き出した。その時は
もう歩道は人々で一杯だった。帰宅難民とその後呼ばれる人々だ。道路は車であふれ 救急車が立ち往生していた。コンビニに
入ったが 食料品はもう無かった。インド料理店へ入ったのを覚えている。お茶の水駅に着いたが センターはシャッターが降りて
おり ガッカリしたのを覚えている・・。
仕方なしに又歩いて東京駅に戻った。広いコンコースには多くの人々がおり 南北が開いているので 冷たい風が吹き抜けていた。
幸い空いている所を見つけて座った。地面直では固くて冷たい・・、その時店の人が空きダンボールを配ってくれた。うれしかった。
ダンボールおじさんである。一人だからトイレに行くのも 何か買おうとしても ダンボールを持って歩いた。遠くのTVで菅首相
(民主党)が演説していた。 内容は聞こえなかったが 何となく対策はうたれていると思い 安心したのを覚えている。
駅の売店は全て閉まっていた。電車が止まると同時に JRは店舗も閉めた。帰宅難民は水も買えない状況でJRに頭に来た !?
後で石原都知事がJRに文句をつけたということが伝えられ その通りだと思った。ところが中国人が経営する中華料理店が1店
テークアウトをやっていた。お茶のボトルと弁当が買えた !! これで何とか今夜の寝場所と食べ物は確保出来た。夜10時を
まわった頃 地下鉄丸の内線が新宿まで動いていると聞き 赤い丸ノ内線へ急いだ。何とか新宿に着き 今度は京王線だ。私鉄は
動いている。これも何回か乗り継ぎ 夜中2時頃高尾駅へ ようやく自宅へ戻れた・・。
私の帰宅難民ストーリーです。未だ10年前のその日をはっきり覚えています。わずか半日の体験ですが 色々なことを感じました。
NHKのドラマでトタン屋根で3日海を漂流して助かった実話をやっていたが 私も実感できる部分があった。現地での被災は
こんなものではないだろう。命を亡くした人 家を無くした人々 仕事 学校など多くの人々の犠牲は大変なものだったと思う
未だに自宅へ戻れない人々も多い。そしてコロナ禍である。貴重な機会を失った人々 再建をあきらめた人々 悔しい想いを多くの
人々がしている。この10年 必死に頑張った人々も多いだろう。既に二次災害で亡くなられた方も多い。改めてご冥福をお祈り
したいと思います。鎮魂・・・。
毎年2月中旬から今頃まで 『 梅祭り 』が 行われるのですが 今年は 中止 !!
梅林の中へは入れない !? ということですが そこは花のブロガー あきらめず行って来ました !?
梅も後半ですが まだ充分見頃 ! 道路からの写真ですが 充分楽しめました !!
菅原道真の歌ではないですが 主(あるじ)無きとて 春を忘るな ・・ でよく咲いていました。
毎年の梅祭りに来ています。数年前は教会の皆さんとも来ました。山菜うどんが美味しかった !
本当に こんなにきれいに咲いているのに 見る人が居ないのは 寂しい限りです・・。
車の行列どころか すれ違う車も無く 忘れられた感じさえ しました。
地元の人は居ましたが 何しに来た ? という感じで 逆にジロジロ見られました・・。
ホント コロナ禍であっても 土佐山の風景は変わっていませんでした。
『 東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 ・・・』 詩人の表現力の素晴らしさに感服です !
雨の跡は道路に残り 濡れて運転はしずらかったですが 静かな山麓のドライブはよかったです。
名物のふきのとうは すっかり伸びきっていました。
帰りも慎重に すべらないように気を使いました・・。
きれいに咲いてる梅を見ながら 来年は多くの人で賑わう 梅祭りであって欲しいと思いました。