豊臣秀吉の築いたお土居は、この地図の左端を南北に走っていたので、この地図はもう三条口を出てしまっている地域の地図になるのですが、何となく三条大橋が三条口と思ってる方が判りやすいですね。
地図中央に青線を引いた、細い路地にあったスナック(バー)に友達と集まって、時には向かいの「河しげ」から名物満月弁当を頼んで食べたりした後、麻雀をしていた期間が40年ぐらい前に有りましたので、懐かしい路地です。
写真撮影中に、その頃はまだ20代であったと思っている河しげの三代目と偶然会って、懐かしい話が出来ましたが、彼ももうお爺さんでしたね。
その後この辺りは、「おやじ狩り」がよく出たので、私たちは近づくのを止めました。
この路地を三条通から抜けると、そこは15年前から龍馬通の名が付いています。
昔は、三本立てで1本は立ったまま観て、残り2本は出て行った人の席に座れて観てた「田園シネマ」、30円で活劇映画とトムとジェリーやポパイの漫画、それにニュース映画が付いていた「京劇名画座」が有りました。
戦後10~20年、アメリカの戦争映画で、時々日本の零戦がアメリカの艦載機を撃墜したりすると、場内から拍手が沸き起こっていました。
その龍馬通にある「酢屋」、酢屋があったから龍馬通の名が付いたのですが、坂本龍馬が暗殺される一ヶ月前まで住んでいて、海援隊の京都本部も置かれていた材木商の家です。
今もそれから持ち主が変わらずに、木工品を扱う店になっていますが、娘さんは(今ではおばあさんですが)私の高校の同級生でした。
オヤジ狩りがそんなところで、発生していたとは、全然知りませんでした。
そーいや、昔の映画館って人が出て、空いた席に座るシステムでしたね。笑
30代の時、木屋町の自販機の前で迷ってたら、女子高校生ぐらいの子に「おやじはよせいや」と言われて、びっくりしたことが有ります。
映画が終わりかけた時に、スクリーンの横に立って座席を見ると、映画の光で座席の空くのがよく見えました。
洋画の文化劇場に東映、東宝等。
ゴジラ、マタンゴ、モスラに各種時代劇
色々観ました。昔は、お弁当持参で朝からずっと居る人も。
途中で入り、次の上映の途中まで入れました。
今は入れ替えあるんですね。
映画館、暫く行って無いんです。
映画館のはしごもしたし、オールナイトのやくざ映画シリーズにも行きました。
完全入れ替えは、40年ぐらい前にシネコンが出来てからですかね。
私ももう2年ぐらいは映画館に行ってませんね。