地図中央の細い川が高瀬川ですので、ここから鴨川に架かる三条大橋までは100ⅿも無いぐらいです。
単なる騒動にしか過ぎない事件があった 池田屋騒動之址 の碑。
案内板にもあるように、過激な尊王攘夷派をこれまた過激な取り締まり集団新撰組が、祇園祭宵々山の夜に襲った池田屋事件。
映画や小説などで有名ですが、その池田屋の跡はごはん屋さんになっていました。
高瀬川に架かる三条小橋のたもとにある 佐久間象山先生遭難之碑・大村益次郎卿遭難之碑 です。
でもこの石碑は、北へ壱丁とも刻まれてるように、本当の碑への案内用の碑に過ぎません。
後ろに立ってるビルの中の雀荘で、30代の10年間ほどはよく麻雀をしましたが、遭難同然の負けもよくありました。
その高瀬川沿いに北に一丁の 象山(ショウザン)(1811~1864)先生遭難之碑 です。
佐久間象山はやや世の中より先に行ったのか、西洋科学の導入などの開国論を唱え(彼の塾から勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬などが出ています)、公武合体に努めたのですが、1864(元治元)年7月11日に刺客に斬殺されました。
この碑は1915(大正4)年に建立されています。
その横に並んで立つ 大村益次郎(オオムラマスジロウ)(1825~1869)卿遭難之碑 で、こちらは1934(昭和9)年建立です。
益次郎は長州藩出身で、藩の軍事指導者として活躍し、明治政府では近代兵制擁立に尽力したため、兵部大輔に任命されたため、卿と刻んでます。
廃刀論を唱えたため、1869(明治2)年に反対派士族に討たれました。
1977(昭和52)年のNHK大河「花神」はこの益次郎(村田蔵六)が主人公でしたし、浅丘ルリ子のイネ(シーボルトの娘)さんに看取られて死んでたと思います。
そう言えば、そう書いてあるか。
日本中にちょっとした騒動の石碑を建てたら、笑えるでしょうね。
邪魔やけど。笑
よい旅を!
そこから、明治維新へ。
一気に日本が変わりました。
あれが無ければ、日本はどうなっていたのでしょう。
しょうもない事を時々考えてしまう、ネガティブな私です。
あのまま徳川幕府が続いていた方がよかった気がします。薩長のあんなわがままな政治が無かったら、大東亜戦争もなかったと思います。
土方さんて、男前やなあ…コレ、ほんまかなあ?くらいのことで、終わってしまう人間です。汗
北海道に榎本武揚と一緒に渡ろうとした曾祖父の兄は、銚子沖で沈没して江戸へ引き返していますし、もしかしたら他の親族が五稜郭で戦ってた可能性は有ります。
新撰組の土方歳三と沖田総司は男前、近藤勇はまあ石破茂ですね。
新撰組になる前に京都まで行った浪士隊の中に常見一郎(家の系図にはあるのですが、はっきりしません)がいますが、男前かどうかは不明です。
先生、武士の家系からの〰️、医者の家系?
その頃、我々の先祖は田舎で何してたのか、家系図なんぞございませんが、父が亡くなったときに、次男だと思っていた父が三男だと知ってびっくりした戸籍のある家系です。笑
昔のことは言ったもん勝ちですよ。