再び福江島観光です。
富江の畑道を、道標に沿って走ると、見落としそうな何の変哲も無い場所がありました。
「井抗溶岩トンネル」と言う、溶岩が冷えて固まったときに出来るトンネルの入り口ですが、崩落が危険なため、柵がしてあり、なんとなく穴が開いているぐらいしかわかりません。まあ、元々閉所も浮「ので、あまり進んでは入りたくは無いですが。
ずっとたどって行くと、沖合いの黄島にあるトンネルに、繫がっているらしいです。
新田次郎の「遭難」という小説にも出てきましたが、五島にまで来て、わざわざ見に行くことは無いかもしれません。
その富江に行く途中、自動車学校(奈留の人は船でここに通い、最後の筆記試験は、本土の大村まで受験に行くそうです)の横の原っぱに「日本古代牛骨碑」が立っています。
魏志倭人伝には、その頃の日本には、牛はいないと書いてあるそうですが、ここの弥生時代の墓の跡から牛骨が出て、この記事が誤りとなったそうです、「へエー」と言うだけですかね。
と言うことで、上級編たいしたこと無いようですね。上級編2は、もう少しためになる話にいたしますので、明日を楽しみにしてください。
富江の畑道を、道標に沿って走ると、見落としそうな何の変哲も無い場所がありました。
「井抗溶岩トンネル」と言う、溶岩が冷えて固まったときに出来るトンネルの入り口ですが、崩落が危険なため、柵がしてあり、なんとなく穴が開いているぐらいしかわかりません。まあ、元々閉所も浮「ので、あまり進んでは入りたくは無いですが。
ずっとたどって行くと、沖合いの黄島にあるトンネルに、繫がっているらしいです。
新田次郎の「遭難」という小説にも出てきましたが、五島にまで来て、わざわざ見に行くことは無いかもしれません。
その富江に行く途中、自動車学校(奈留の人は船でここに通い、最後の筆記試験は、本土の大村まで受験に行くそうです)の横の原っぱに「日本古代牛骨碑」が立っています。
魏志倭人伝には、その頃の日本には、牛はいないと書いてあるそうですが、ここの弥生時代の墓の跡から牛骨が出て、この記事が誤りとなったそうです、「へエー」と言うだけですかね。
と言うことで、上級編たいしたこと無いようですね。上級編2は、もう少しためになる話にいたしますので、明日を楽しみにしてください。