島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首88

2014-03-07 | 奈留島百人一首
 
 88. 難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
            身を尽くしてや 恋ひわたるべき

                       皇嘉門院別当(コウカモンインノベットウ)(12世紀末頃) 
 「難波の入江に生えている蘆の刈り根の一節のように短い一夜の仮寝をあなたと過したばかりに、この先ずっと難波の海の澪標のように身を尽くし恋続けなければならないのでしょうか。」
 一夜の思い出に、ますます恋心がつのってますと言う意味か、一夜の過ちを後悔してる歌なのか、はっきりしないような気がする歌で、貧乏くささがむしろ鼻につく感じもしますが、どうでしょうか?
 
 88. 遠見番山の 役のかりねの ひとよゆゑ
             薪燃やしてや 指示わたるべき

                 の・のかりねの・ひとよゆゑ・してや・わたるべき  19字 同じ
 東風泊の北に193.2mの遠見番山(トメバンヤマ)が有ります、五島藩はこの山の上に烽火台を置いて、五島の島々の間を早く連絡する体制を整え、山の上に役人が常駐して烽火で合図していたようです。
 
 城岳へ行く途中からフークと一緒にこの烽火台跡まで登ったことがありますが、木々が茂ったせいか見晴らしはそれほど良くなく、烽火台と思われる崩れた石垣が残るだけでした。
 こんな所で、いつ来るかわからない合図の煙を待ち、すぐに煙を上げる準備をしている役人も大変だったでしょうね。

      返事
大雪男さん:上五島にはもう薪の風呂はないのですか!
    私も小学校ぐらいまでは五右衛門風呂でした。
花水木さん:五右衛門風呂を焚くのは、子供の頃の私の役目、
    薪の火の明かりで勉強していました?
     風呂がぬるいと、裸のまま外に出て薪を足していたのを思い出しました。
福山市さん:隣の家の、煙抜きのような明り取りのような小屋根は、
     京都の私の家にも有って、梁を伝ってそこまで登り、屋根の上に出たりもしていました。
     私は、花水木さんがロッキングチェアでじっとしているような人とは思えませんが。
コメント (2)
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