島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

北朝4-2後光厳天皇後宮藤原仲子

2021-10-30 | 天皇陵巡り
 
 島で買ったパソコン、突然デスクトップパソコンの蝶番が壊れ、画面が出なくなってしまいましたので、先週は競馬もスマホから苦労して買いました。
新しいパソコンを近くの電気屋さんで買って、何とか一時的に出てくれた古い画面からデーターも移してもらい、設定もしてもらって再開です。

 実父の石清水八幡宮検校善法寺通清がどれだけ高い地位の人か知りませんが、同じく姉の紀良子(キノリョウシ)(1336~1413)が足利義満(1358~1408)の生母であるので、そこそこの地位の人だと思います。
そんな父を持つ藤原(広橋)仲子(ヒロハシチュウシ)(1336か1339~1427)は、贈左大臣広橋兼綱(カネツナ)の養女となり、後光厳天皇(1338~1374)(在位1352~1371)の典侍(ナイシノスケ)となりました。
  写真の京都円町に近い華開院(ケカイイン)(上京区天神筋通丸太町)、おそるおそるくぐり戸から入り墓地の見学をお願いしたら、気持ちよく許可していただけました。
京都の名所では、駐車場の番人でさえ高圧的で愛想ない人が多いですが、華開院はそうではなくてうれしかったです
 
 仲子は1358年に、後に後円融天皇(1358~1393)(在位1371~1382)となる緒仁親王(オヒト)を産み、その後も3人の皇子を産んでいます。
  華開院墓地に入ると、写真の塀に囲まれ菊のご紋付きの門や制札もある場所はすぐに分かりましたが、これは宮内庁管理の光昭院宮墓地でした。
私の探してる墓はこの向かい側でした
 
 息子後円融が足利義満(従兄弟同士なんですが)と衝突して、いろいろ厄介な事件を起こした時には、姉の子である義満と我が子の間に入っていろいろとりなしたりして、仲子は90歳ぐらいまで生きました。
  光昭院宮墓地の前に立って撮った写真です。
仲子の墓には制札がないのが不思議ですし、次期天皇を産んでますが皇后ではないので陵ではなく墓なんですかね。
 
 右が仲子、左は息子後円融の嫁の墓で、息子がこの嫁を殴って出血が止まらなくなった時も、仲子が仲介に入っています。
そんなわけがあってかどうか、嫁と姑が仲良く並んで眠っています。
 
 仲子墓の横にひっそりあるのは、8代将軍足利義政の正妻ですが「天下の悪妻」とも言われてる日野富子(1440~1496)の墓のようです。

         返事

花水木さん:朝橘さんも更新少なくなってますが、
    お元気ですよね。
     スマホで更新は私も試しましたが、難しいですね。
Toitenさん:現代庶民の三種の神器ですか?
    スマホ・マスクとくれば、あと一つはイコカ。ま、ええけど。
    JRの回数券販売がなくなったので、私もイコカ買いました。
    改札口をスッとイコカで通ると、
    なんか自分がエリート会社員になった気がしたので、
    庶民の三種の神器にはイコカは合いませんかね。
大雪男さん:あんなに勝ってたのになんか気が抜けました。
    来年は新庄の日本ハムでも応援しますかね。

コメント (2)
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