島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

108-5後水尾天皇後宮藤原国子

2022-08-03 | 天皇陵巡り

 8月1日13:00で本当にteacup.ブログは無くなっていましたよ。

「島の医者になって」⇒「島の医者になって、た頃もあった」と15年間続けた私のteacup.ブログは無くなりましたが、幸いこのgooブログに上手に移転出来(一部文字化けしてるとこはありましたが)ましたので、このgooブログの続いての読者でいていただけることを願う次第です。

 15年間で、閉鎖される2時間前までの総アクセス数は25万9260、1年間で1万7千ほどと沢山の人に読んでいただけた幸せ(内365回は私ですが)に感謝しています。

今回gooブログに移って3ヶ月ですが、何故か1日50以上や100以上のアクセス数の時もあったりで、1万近いアクセス数になってます。gooブログの認知度のほうが高いせいでしょうか、新しい読者の方もこんなブログですがよろしくお願いいたします。

 不評の天皇陵巡りも意外と人気になってるのかも?と、楽天家の私は早速また天皇陵巡りを揚げています。

 園基任(モトタダ)の息子園家13代当主園基音(モトナリ)(1604~1655)は、妹光子に続いて娘の園国子(ソノクニコ)(1624~1677)も後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)の後宮に入れました。

国子は4男2女をもうけ、その末子である後水尾天皇の第19皇子が第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)になりました。

  写真は泉涌寺境内にある月輪陵の門前です。

 死の直前に国子は、息子霊元天皇から新広義門院を宣下され、その日のうちに亡くなって月輪陵に葬られました。

 園家は藤原北家持明院の庶流で、権中納言までしか官位を上げることが出来ない家柄でしたが、国母を続けて二人も出して、後光明・霊元と2代の天皇の外祖父になったことより、左大臣や権大納言を出す力を持てるようになりました。

  月輪陵右横の、写真の民墓に行く人しか入れませんと書かれた柵を越えて、少し月輪陵を横から見てみました。

コメント (7)
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