64. 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼(995~1045)
藤原定頼は55番の作者藤原公任の息子ですし、60番作者小式部内侍を「お母さんが遠くでは、歌を作ってもらえないでしょう。」とからかって、逆に「大江山 生野の・・・」の歌でやり込められた人です。
奈留島に来る前に京都の南の方の病院に勤めていたので、朝の通勤の近鉄電車が観月橋で宇治川を渡る時、確かに宇治川に朝霧がかかっている冬の日が多かったように思います。
64. 朝ぼらけ 奈留の海霧 たえだえに
あらはれわたる 矢神の小島
朝ぼらけ・の・霧・たえだえに・あらはれわたる・の 21字 同じ
写真左は奈留島の観音崎鼻、奥の霧の中に葛島、前の三つの山があるのが矢神の小島です。
奈留島の北の端、矢神地区の海岸から、幻想的な海を眺めながら詠みあげられた自慢の秀作です。
手前の矢神の小島までは、軽く泳げるくらいの距離(私は決してしませんが)、奥の葛島までは2㎞はあります。
晴れた夏の日が一番奈留島らしいですが、こんな日も綺麗な奈留島です。
この写真、どや!「なせばなる」さん! って、しつこく対抗心燃やしてどうすんの!と、突っ込んでください。
返事
花水木さん:それなりに・・・。
私にとって、それなりには嬉しいほめ言葉です。
喜珍さん:私は読んでくれる人がいる、と思ってブログ書いています。
老婆心ながら、ブログにしたら、井戸や窒竄ヤではなく、やっぱりその向こうには
相手がいると、影響があると、おもうほうが良いとおもいますよ。
大雪男さん:五島列島は常夏のイメージで来ましたが、
日本海気候ですよね。