島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

55-2文徳天皇皇子惟高親王

2020-02-14 | 天皇陵巡り
 
 大原から途中を越えて滋賀に行く道、最近は休日になったら走ってるような気がしてます。
その大原へ行く手前に野村別れと言う、静原・鞍馬へ抜ける分かれ道が有りますが、そのまた少し手前の道端にこの道標が有ります。
この道標に従って、少し道を登って行きます。
 
 この辺りは小野と言うらしいですが、10分ほど登って行くと、なんか少し神秘的な感じのするする場所に到着。
隣の小さな社は、やはり不幸だと思われていた親王の御霊を祀る小野御霊神社です。
 
 惟高親王(コレタカシンノウ)(844~897)は文徳天皇と紀名虎(キノナトラ)の娘静子(シズコ)との間に産まれた第1皇子でしたが、なにせ第4皇子が藤原良房の娘明子(アキラケイコ・メイシ)の産んだ惟仁親王(コレヒト)(後の第56代清和天皇)だったので、皇太子になったのは7歳の第1皇子惟高親王ではなく8ヶ月の惟仁親王の方でした。
 
 父文徳も出来れば後継ぎにと推していた第1皇子でありながら後継ぎになれず、あまりでしゃばると良房に殺されるかもしれないという境遇で、惟高親王はここ大原小野以外にも色々な場所に隠棲したとありますが、在原業平とも親交があったようで、歌の世界にも逃げていたのかもしれません。
 
 ここは宮内庁が治定した惟高親王墓ですが、滋賀県湖東の山の奥にある木地師の里近くには、惟高親王陵と言われてる墓があるそうです。
つい最近知ったので、近くまで行ってみましたが、山の中の道の駅のおばさんに尋ねたところ、「冬はいかない方が良い」と言われて断念しました。
この隠棲地で、巻物の形からロクロで木を削る方法を思いついた惟高親王を、木地師の祖とする伝承があるようです。

       返事
花水木さん:写真で一番若かった私も70才越え、
    父母は鬼籍に、叔母は元気ですが施設に入所です。
     これと同じような写真を私も子供たちと撮って、
    子供たちは孫と撮った同じような写真を送ってくれます。
    時代は巡り、今日は「男と女人生最良の日々」を観てきました。
     symbol7symbol7ダバダバダ ダーダーダ ダバダバダ~

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55-1文徳天皇

2020-02-11 | 天皇陵巡り
 
 光仁・桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明と続いた歴代天皇の治世時代、藤原氏はその政治の中枢にはずっといましたが、この歴代天皇の母は藤原氏の出ではないので、外戚にはなれていません。
 写真は御陵に通じる、私にとってはなんとなく懐かしい参道入り口です。
 
 しかし827年に仁明天皇と藤原冬嗣の娘順子の間に第1皇子として道康親王(ミチヤスシンノウ)が産まれると、冬嗣はその時はもう死んでいましたが、順子の同母兄良房が、その後時の皇太子淳和天皇の皇子恒貞親王(ツネサダ)を廃して、16歳の道康親王を皇太子にたてました。
この陰謀が何度もこのブログで書いてる842年の承和の変です。
 参道は直角に曲がって拝所に続きます。
 
 850年父親の仁明天皇がその母橘嘉智子が何度も悶絶するなか亡くなると、道康親王は26歳で即位し、第55代文徳天皇(モントク)(827~858)(在位850~858)と成りました。
 即位数日後には良房の娘明子(アキラケイコ)との間に、第4皇子惟仁親王(コレヒトシンノウ)(後の清和天皇)が産まれています。
 
 文徳天皇には以前から紀名虎(キノナトラ)の娘静子(シズコ)との間に、第1皇子惟高親王(コレタカシンノウ)などをもうけており、惟高親王を皇太子にしたかったようですが、藤原良房に遠慮してか8ヵ月の惟仁親王を皇太子にしました。
 
 最後は遠慮が確執に変わっていき、32歳で没した時は、突然の発病と死が少々異常だったこともあって、生きてる間に早く外祖父になりたかった藤原良房による暗殺説もあるようです。
 
 文徳天皇は田村天皇とも呼ばれていて、田村陵(タムラノミササギ)(右京区太秦三尾町)が御陵に治定されていますが、写真の京都市内では最大級の前方後円墳で桂坂近くにある、昔から天皇陵と言われてた写真の天皇の杜古墳(テンノウノモリコフン)(西京区御陵塚ノ越町)が本当の文徳天皇陵だという説もあります。
 
 実は私はこの治定されてるほうの田村陵から500mぐらいしか離れてない場所で産まれています。
この辺の人は皆「ぶんとくさん・ぶんとくさん」と呼んでいた御陵です。
 終戦後4年、1歳未満の私が父母と叔母そして姉と一緒に近くの田村陵へ行った時の写真です。
この写真の場所がどこか田村陵の中を捜して見ましたが、それらしい場所は見つかりませんでした。
 もうだいぶ天皇陵巡りをしましたが、私が最初に行った天皇陵はこの文徳天皇陵である田村陵と言うことになります。

      返事
花水木さん:1円切手でよいのに、
    無いので62円はがきに2円切手を貼って出しています。
     タカアシガニは美味しいと以前ブログで書かれていませんか?
    見た目の驚きだけですか?
    でも、蟹は渡り蟹もモズク蟹も毛蟹も何でも美味しいですね。

コメント (1)
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お年玉付き年賀はがき

2020-02-09 | ノンジャンル
 
 
 今年初めて家の周りにも雪が積もりました。
寒い日曜日、京都の小学校駅伝の大文字駅伝ももう34回目で、私の息子たちが6年生になる数年前から始まってます。
近くを通るので、小雪が舞う中少しだけ観に行きましたが寒い!
 
 今年もお年玉付き年賀はがきをたくさんいただきました。
オリンピックの観戦チケットは当たりませんでしたが、3等下2桁16.37・67のうち、16が2枚・37が2枚・67は0枚と、やや籤運は悪かったですが、計4枚が当たりでした。
 
 早速郵便局で交換しましたが、今年の切手シートはやけに明るいです。
4枚の当たり葉書、3枚は医局の先生から、1枚は奈留病院の看護婦さんからのでしたので、例年のようにお礼の葉書だけはだしておきました。
まあそれでも、1枚84円のもうけです。
4人の皆さまありがとうございました!
今日の競馬も当たるように頑張ります。

     返事
花水木さん:駿河湾のタカアシガニはすべて冷凍と聞いていますが、
    美味しいということなので、一度食べてみたいです。

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再び蟹

2020-02-07 | 
 
 今朝は、今年初めてぐらいの、自宅から見える山のうっすら雪化粧。
先週までは暖かい日が続いていた関西ですので、松阪へ松阪牛を食べに行ってあまり感激しなかったので、先週はまだ雪もないと思われる福井県越前海岸に、蟹を食べに行こうと出発、越前の港も冬とは思えません。
 
 TVで直前ぐらいに放送していたと思われる店に入って、蟹を注文。
今回は一匹を刺身と焼きガニにしてもらいました。
 
 松葉(越前)蟹の新鮮刺身も久しぶり、やっぱり蟹は美味い!!
1年1回と思ってましたが、2回もいいもんです。
 
 蛸の卵や白子の天婦羅も美味しい!
松阪牛より満足して、途中はいろんな道の駅でトイレ休憩しただけで、どこにも寄らず帰っただけの旅でした。

      返事
花水木さん:家ではすき焼きの時だけ、
    私が味付けしてます。
    息子が学生時代に下宿で友人とすき焼きした時に、
    甘すぎると言われたのが、我が家のすき焼きの味です。

コメント (1)
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松坂

2020-02-05 | 
 
 第2名神が一部開通してるので、国道1号線で鈴鹿峠を越さずに、伊勢など三重県に早く行けるようになり、松坂も近くなりました。
その松坂に行ってきましたが、軽く日帰りです。
 例によって松坂近辺にも御陵(御墓)が有るので、まあ第1目的は松坂ではなく御陵です。
御陵巡りはすぐに終わって、近くの斎宮跡(イツキノミヤアト)をざっと見学、それでも斎宮歴史博物館(340円)開館まで少し待ちました。
 
 時の天皇に代わって伊勢神宮に奉仕するため、未婚の皇女が斎王に選ばれ、この地に赴任してきたようです。
 今回の御陵(御墓)巡りも、斎王としてこの地で亡くなった皇女の墓でした。
 
 松坂と言えば本居宣長、その本居宣長宅跡です。
家は明治時代にもう松坂城の方に移築されています。
 
 その移築された旧宅を松坂城の方へ見学に行きました、本居宣長記念館(400円JAF割あり)です。
 30年近く前に家族で訪れた時には2階にも上がれましたが、今は1階の見学だけになっていました。
 
 その替わり、2階の書斎を外から眺められる展望所が作ってありました。
ここから古事記を編纂していた4畳半の書斎「鈴屋(スズノヤ)」が見えて、鰍ッ軸の「県居大人之霊位(アガタイノウシノレイイ)」も読めます。
県居は文通で添削もしてもらっていた師の賀茂真淵先生のことです。
 
 松坂と言えば松坂牛、以前有名な「和田金」で家族5人が食べて、私としては大判振る舞いで喜ぶと思っていましたが、息子たちはすき焼きの焼き方や食べ方にうるさい仲居さんを嫌がり、なかなか白ご飯がこなかったと不評でした。
 そこで今回はもう一つの有名店「牛銀本店」に行きましたが、予約で満員でした。
 
 隣のややカジュアルな「洋食牛銀」には少しだけ待って入れました。
まあ美味しかったですが、わざわざ松坂まで来て松坂牛を食べたぞ!と、すごく豪華で大満足という気にはなれませんでした。

      返事
花水木さん:旦那さんもう大丈夫ですか?
    私もインフルエンザに対する抵抗力を過信していましたが、
    そもそも免疫力が落ちてきてる年齢になってます。
     沙羅さんは、まだまだ体力的にも年齢的にも行けると思いますが、
    気持ちですかね?
    ジャンプなんて浮「とかもう良いかと思ったら飛べませんよね。

コメント (1)
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