島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

浄瑠璃寺

2021-11-16 | 京都
 
 先週土曜日は、孫Ⅰ-1の少し遅れた誕生日祝いを持って奈良を訪れました。
息子は仕事で、孫は午後は塾、二回トイレを借りて訪問終了。
帰りは奈良の奥山の紅葉を見ようと柳生の里に足を延ばすも、あまり紅葉はなく、トイレだけ借りて月ケ瀬を抜け、何とか開いていた店で軽い昼とトイレ。
そのまま道の駅みなみやましろ村でこれを食べて、トイレ休憩。
 
 奈良との府県境に近く京都の最南端にある真言律宗の浄瑠璃寺(九体寺)(ジョウルリジ(クタイジ))に寄りました。
25年ぶりくらいかもしれませんが、この門前を何となく覚えていました。
 
 浄瑠璃寺の伽藍配置は、この池を中央にして東に薬師如来を祀る三重塔があります。
そして東側が現世の此岸(シガン)になります。
 
 この三重塔も国宝です。
 
 この三重塔から(此岸)から、西方浄土の彼岸にある本堂を礼拝するのです。
そしてその本堂内(400円)には九体の阿弥陀如来が安置されていました。
 きれいな金色の九体の阿弥陀如来さんでしたが、曇り空でもあって紅葉自体はまだですかね。
 トイレに行って、駐車場までの帰り道で、日が差してきましたので、惜しかったです。

        返事
花水木さん:日本のプロ野球は、
    巨人から離れないと発展はないと思いますし、
    阪神の巨人を補足している体質も変わらないといけませんよ。
Toitennさん:来年の年賀状はこの電信柱にしますかね。

コメント (1)
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北朝5-1後円融天皇

2021-11-13 | 天皇陵巡り
 
 一緒に関西ダービーをするためにオリックスもがんばれと言われてたのに、自分がだらしなく負けてしまった阪神です。
弱い阪神も巨人も監督変わらないので、来年は阪神・巨人で最下位争いをして下さい。
私はにわか日本ハムファンになって、のんびりします。

 緒仁親王(オヒトシンノウ)の父は北朝4代後光厳天皇(1338~1374)(在位1352~1371)で、母は足利義満(1358~1408)の生母紀良子の妹の藤原仲子(1336か1339~1427)です。
  写真は師団街道沿いに立つ深草十二帝陵の石柱です
 
 父の後光厳天皇は、兄の北朝3代崇光天皇系が南朝に拉致され京都を留守にした時に、足利幕府によって天皇の座に就いた天皇です。
足利幕府が安定してきて、南北朝時代も圧涛Iに北朝方が優勢になり、拉致されていた崇光天皇系も次々と京都に帰ってきたので、次の北朝天皇はやっぱり長子である元の崇光系統に戻せとの、崇光上皇の運動がおこりました。
  写真はおなじみのJR奈良線沿いにある(深草十二帝陵)深草北陵(フカクサノキタノミササギ)(伏見区深草坊町)
 
 この兄弟同士の対立で、次期天皇争いに勝利すべく、崇光たちは京都に戻る時にもう皇位は望まないと約束したはずと、これを盾に取ったり、足利幕府と共に苦労した後光厳天皇に対する足利義満などの介入もあって、息子緒仁親王は1371年親王宣下され立太子、2か月後には12歳で後円融天皇(ゴエンユウ)(1358~1393)(在位1371~1382)として即位しました。
 
 後円融天皇は即位後1374年までは父後光厳上皇の院政下の治世でしたが、上皇亡き後は旧暦では同い年の従兄弟である3代将軍足利義満が頭角を表わし、朝議に介入したために衝突を紛議を繰り返し、後円融天皇は譲歩や敗北を繰り返したために、1382年には息子に皇位を譲り上皇となりました。
 結局従兄弟同士の後円融と義満の相性は、最悪だったようですね。
  たくさんの名前が並ぶ制札の5番目に後円(圓)融天皇の名前があります
 
 後円融天皇は宮人藤原厳子(1351~1406)との間に、第1皇子幹仁親王(モチヒト)(1377~1433)(後の後小松天皇)をもうけた他に、数人の妃と数人の子もいます。
 上皇になっていた1383年には出産後早めに宮中に戻した厳子を、密通を疑って刃傷におよび、出血が止まらなくさせたりもしてますし、愛妾按察局(アゼチノツボネ)と義満との密通を疑って出家させたりもしています。
 挙句には義満との対面を拒否し、義満が自分を島流しにでもすると思い込んで仏堂にこもり自害しようとしたり、上皇になってからも二人の相性は最悪のままでした。
  深草北陵は白い塀に囲まれた陵です
 
 こんな後円融上皇の錯乱をなだめ、義満との融和を図ったのが生母仲子(義満には叔母にあたります)で、義満には准三后を与え、上皇は自分の家に連れ帰ったりしたので、以後は両者の争いはなくなり、義満の天下になりました。
 後円融は南北朝合一のなった1392年の翌年に亡くなり、この深草北陵に葬られています。
  塀の内には方形堂がある陵の形です

          返事
花水木さん:関西もやっと紅葉の季節を迎えましたが、
    まだ綺麗!と思う紅葉には出会えてません。

コメント (2)
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件pの秋

2021-11-10 | 趣味
 
 寒さにも少し慣れ、新型コロナもだいぶ遠くに行ってしまい、天気の良い日も多かった先週は、食欲の秋ではなく、件pの秋でした。
 京都市京セラ美術館には市バスで行きましたが、バスの乗客も少しは増えています。
 
 「第84回新制作展」、84回目なので歴史もありそうですが、展示作品はなかなか新しい感じで、日展のように古めかしく色あせた感じの作品はありませんので、楽しかったです。
 
 1日に2か所は行くつもりでしたが、最近は1回に二つのことはできなくなっているので、京都国立博物館の「畠山記念館の名品-能楽から茶の湯、そして琳派-」には別の日に行きました。
 大正時代に荏原製作所というャ塔v会社を作った畠山一清(ハタヤマイッセイ)(1881~1971)さんが集めた美術品ですが、私の全く知らない世界の作品が並んでいました。
人も少なく、ゆっくりと鑑賞できたので、こういう作品も良いですよ。
 
 国立博物館の建物の裏には庭があって、「堪庵」という茶室も公開されていました。
ここまで見て回ったことはなかった茶室の庭は、すっかり秋でした。
 
 また別の日は、「創工会×和中庵in鹿ケ谷」に、昨年も行ってますが、友人が出品してます。
 
 展示作品も少ないですが、皆が素晴らしい。
そして美術館より、こういう場所での展示のほうが、作品がよりさえますね。
 
 和と洋の建物なので、洋館もいい雰囲気です。
 
 和と洋の建物をつなぐ渡り廊下からの眺めも秋です。
京都の観光客も増えてきました。

         返事
花水木さん:食欲は落ちてないようですが、
    量はかなり減りました。
    一人前が食べられなくなっています。
Toitennさん:福井は嶺南も嶺北も良いですね。
    でもかなり行きつくした感もありますが、
    探せばまだまだ知らない良いところがありそうですね。

コメント (1)
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白山神社から三国へ

2021-11-05 | 
 
 平泉寺白山神社の巨大宗教都市遺構の発掘現場から下りてきたら、「人手がかからない現代の雪除けです」と、説明してくれた雪除けで囲まれた、旧青木家という長者の家の茶店に出てきました。
 
 さすが福井県、大きな仏壇のある家の中から、朝日の差し込む縁側を眺めながら、ボーと休憩です。
 
 かるかん風の平泉寺まんじゅうと抹茶のセットに、よもぎ餅を餡でくるんだあんころ餅を注文し、ぜんざいも食べようとしましたが、「いくら甘党でも、それは無理」と茶店のおばさんに止められました。
家内はコーヒーとシホンケーキのセット、少しおすそ分けをもらいましたが、生クリームがいい味です。
あんころ餅は甘すぎずあっさり目だったので、ぜんざいも食べられたかなと、ちょっと悔やんでいます。
 
 勝山からそのまま日本海の三国に出ました。
三国は完全な大きな漁港です。
えちぜん鉄道の終点三国港駅に、ちょうど列車が着きました。
 
 勝山から三国に向かう途中のトイレ休憩の道の駅から、10月下旬ですがたぶん白山?の冠雪が見れました。
福井の冬はもうすぐなんですかね。
 
 駅の駐車場かこの店の駐車場か分かりませんが、車が簡単に止められたので、この店に入りました。
越前蟹の解禁はまだなので、まだすいています。
 
 甘海老てんこ盛り丼、コクはありますがとろけるような甘みの大きな甘海老、食べるのは簡単ですが、これだけの殻をむくのは大変でしょうね!
  おいしかった!!
 
 家内は海鮮丼、仲の良い夫婦ですので、甘いものも新鮮なものも少し手伝って食べます。
   タコがうまい!!
 
 帰りもトイレ休憩の道の駅やSAに寄りながらですが、「かき氷ソフト」の名前にひかれて食べてみました。
中からソフトクリームが出てきます。
いい天気といってももう秋、もう少し暑い日のほうがおいしかったと思います。

       返事
Toitennさん:便器と性器はインパクト、大!
    のさすが先生ですかね。
花水木さん:PC画面で見てもらっていますか?
    縮尺を下げてもらったらどうでしょうか?
     マックのセットに「ャeトは?」と聞かれ、
    「要りません」と答えてしまいました。

コメント (2)
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平泉寺白山神社

2021-11-02 | 
 
 新型コロナ感染者も不思議なほど激減したので、もうどの他府県にも行って良いようですね。
最近は滋賀県と福井県によく行くようになりましたが、今回は頑張って恐竜で有名になった福井県勝山市に日帰りです。
 
 行く途中でもトイレ休憩を繰り返しましたが、(この日は朝早くてスーパーもまだ開いてないので、何十年ぶりかのマクドナルドにも入りましたが、二人で一つのセット200円と、めちゃ安いですね)着いたところは平泉寺白山神社(ヘイセンジハクサンジンジャ)。
真っ先に駐車場のトイレに入りましたが、島でもそうでしたが、トイレの便器間隔がかなり密、コロナのご時世ここなら便器二つでしょうね。
 
 勝山にある白山神社、私が島にいた時に、家内が息子に連れて行ってもらい、「良かったので、もう一度行きたい」と言ってましたが、1~2年ぐらい前に行ったのは違う白山神社で、「こんなんではなかった」と言っていたのですが、本日は正真正銘の白山神社。
 
 苔むしたゆっくりした登りの石段の参道からして、この写真以上にいい感じです。
奈良時代泰澄大師(タイチョウタイシ)創建の、白山信仰の由緒正しい神社です。
 
 平安時代以後も隆盛を極め、宗教都市としても最盛期の戦国時代には、僧兵8000人の勢力を誇っていたようです。
 朝も早かったので、参拝者もまだ少なく、厳かな雰囲気に満ち溢れていました。
 
 拝殿は当時正面45間という、日本最大規模だったようですが、1574年の一向一揆で放火により、全山灰塵に帰しました。
ぽつぽつと小さな祠が散在してるだけですが、これがまたいいですね。
 
 焼け落ちた後は、江戸時代ぐらいまで荒廃したままで、植林もされたのか、杉の林の中を歩く感じです。
 
 神社境内の左右には、たくさんの宿坊などが建つ中世の巨大都市が広がっていたようで、最近発掘が始まって伐採された階段状の広場が、境内とは別世界のように明るく広がっていました。
 
 一部土塀も再現されていて、発掘された石垣や石畳の道も並んでいました。
この左側の杉林の中も宿坊だったようです。
 吉永小百合さんの写ったJR東海のャXターがあったので、むしろ関東の人のほうがここを知ってるかもしれませんが、私は全く知らなかった素晴らしい白山神社でした。
 写真があまりにも明るく撮れすぎていたのが残念なぐらいです。

        返事
Toitennさん:7~8年ぐらい前ですよ。
    ICOCAはスマホでも有るのですか。
花水木さん:奈良の博物館の食堂で、
    前方後円墳型のカレーとシャベルのスプーンを見たことあります。
     観光だけなら京都より奈良のほうが見ごたえあると思いますよ。

コメント (2)
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