まだまだ暑い日が続いてる9月ですので、削り冷凍苺に練乳をかけた氷の小を頼んでみました。
苺の下は氷と思ってたら、ソフトクリームとババロアでした、と言うことでまた月輪陵です。
もう上皇になっていた第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)と後宮櫛笥隆子(クシゲタカコ)(1604~1685)との間に生まれた第8皇子で幼名は秀宮(ヒデノミヤ)ですが、叔父にあたる高松宮初代好仁親王(ヨシヒト)(1603~1638)が世継ぎの無いまま亡くなったので、唯一の遺児明子女王(1638~1680)を娶る形で相続し、1647年に高松宮2代となりました。
秀宮はその後、1648年親王宣下を受け良仁親王(ナガヒトシンノウ)となりましたが、異母兄第110代後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)が亡くなり、同帝の養子になっていた次期天皇候補の異母弟識仁親王(サトヒト)(1654~1732)は生後間もなくであったし、他の兄弟候補は出家の身であったりしたので、中継ぎ天皇として急遽良仁親王が即位し第111代後西天皇(ゴサイ)(1638~1685)(在位1655~1663)となりました。
在位期間は10年弱でしたが、父の後水尾上皇が院政を敷き、後西天皇自身は学問に力を注いで、著作や和歌の世界に没頭したようです。
ただ治世中には、江戸で明暦の大火(振袖火事)、伊勢神宮・大阪城炎上や諸国の天災など忌まわしい出来事が多く起こりましたし、次期天皇候補識仁親王も10歳になったので譲位しました。
譲位後も宮中の記録類の筆写を続けさせたりし、49歳で崩御後は月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町)に葬られています。