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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

会いたい…

2006-11-18 01:03:09 | 日記・エッセイ・コラム

というタイトルで、連載をしたことがある。

もう3年前のこと。

拉致被害者とは認めてもらえない、

でも、それ以外には考えられない…

そんな特定失踪者家族の慟哭を綴った。

その失踪者の一人、Sp20061118004301_1

米子市の松本京子さんがこの度、

拉致被害者に認定された。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200611180043.html

京子さんが姿を消して30年。

老いた母にはあまりにも長い。

当時、米子のご自宅で、お母さん、お兄さんと会った。

そして京子さんがいなくなった午後八時、海に向かって歩いてみた。

暗闇に波の音がごうごうと響く。

砂に足を取られながら波打ち際にたどり着くと、

イカ釣り漁船のともし火だけが波間に浮かんでいた。

何が起こっても不思議じゃない…

不気味さにゾクリとしながら、京子さんの絶望に触れたような気がした。

拉致問題に深く関わったわけでもないが、Tky200611110189

折に触れ、自分なりのアプローチはしてきた。

これほどの「罪業」はないと思うからだ。

彼の国は論外だが、

一顧だにしなかった政府、そして多くのマスコミにも罪はあるはずだ。

「5人生存、8人死亡」の衝撃がもたらされた最初の小泉訪朝。

同行はできたのだが、諸般の事情で見送った。

だが逆に、拉致家族の会見に立ち会うことができた。

長々とこんな仕事をやっているが、

そのインパクトたるや、群を抜いていた。

ふだん大事件や政局絡みの会見ともなると、

TVクルーやスチールカメラマンの怒号が飛び交うものだが、この時は違った。

衆院議員会館の一階会議室は静寂に包まれ、

横田滋さんたちのすすり泣く声がはっきりと聞こえた。

目の前で起きていることの「悲劇性」に、

数多の「猛者」たちも言葉を失っていた。

さまざまな事象に常に懐疑的な私も、

この時ばかりは、さすがに魂が揺さぶられたのを覚えている。

時は前後するが、松本さんの取材の後、山口県内の特定失踪者家族に会った。

単なる行方不明者扱いという不安に苛まれる家族たちは、

心のよりどころを求めていた。

そこで、横田夫妻との橋渡しをした。

失踪者家族を慰め、「一緒に闘いましょう」と肩を抱いた夫妻。

家族とともに涙に暮れた。

ここでも私の心は揺れた。

日々の業務の中で、なかなか拉致問題までは手が出せない。

だが、いつも心に留め,

隙あらば「字」にしていきたいと思う。

それが、「現場」に立ち会った職業人の使命なんだろう。