最近、毎日1冊のペースで、
東野圭吾の「加賀恭一郎シリーズ」を読んでいる。
「卒業」
「眠りの森」
「どちらかが彼女を殺した」
「悪意」
「私が彼を殺した」
「嘘をもう一つだけ」
「赤い指」
「新参者」
「麒麟の翼」
こんなラインナップですね。
なかなか面白くなってきた。
今ごろ東野圭吾かい!って向きもありましょう。
いや、これまでも東野作品の大半は読んできたんだけど、
加賀刑事シリーズをあらためて最初から読むってのが面白くてね。
とゆーのも、東野作品ってのは初期、いわゆる「文学」って感じがしない。
これ、あくまで俺の感覚ですよ、悪しからず。
推理小説である以上、トリック重視なのはわかるけど、
そこに力点が置かれるあまり、何だか「設計図」っぽいんだよね。
「パズル小説」ってゆーか。
叙情的なさまざまな文学的表現に、敢えて背を向けている感もある。
理系の人が書いた「作品」って風に、ずっと思ってました。
実際、大学は工学部だし、勤務先はデンソーだったんだもんね。
典型的な文系とゆーか頭が悪い俺は、トリックの辺りは流し読み。
作者には申し訳ないんですけどね。
ただ、最近の作品は感情をたんねんに描いたり、社会性を帯びたものが増えてきた。
そうなると、俺好み。
加賀シリーズでも「赤い指」なんてのは今、夢中になって読んでる。
で、理系、文系なんだけど、
あたしゃ、文系とゆーよりもとにかくメカ嫌い。
とゆーか深く考えることを忌避している。
その辺がちと情けない。
今はまっているロードバイクにしたって、
耳学問的な知識はあるけど、整備だの何だのは思考の外です。
その辺がロードバイクの楽しみでもあるらしく、
何だかもったいないことしてるみたいだね。
実際、ロードバイク愛好家って、理系っぽい人が目立つような気がします。
コンピューター関係とかお医者さんとか。
小生の周囲は少なくともそうだなあ。
DIYの気性に富む方が多いんだよね。
まあ、文系=ずぼらってわけじゃないんですけどね。
論理的思考ってことでいえば、職業的には鍛えられていると思う。
ただ、日常生活の中では、あんまり頭を使いたくないって感じもあります。
面倒なことは仕事だけにして!って感じ。
自転車仲間さんとつるんでるときも、いつも「判断」はお任せ。
仕事となると、あらゆることを仕切ることが多いのですが、
そういう意味では、俺はON・OFFがものすごくはっきりしていますね。
まあ、現在、仕事はあんまり面倒じゃなくなったので、
会社でもあんまり頭は使ってない。
バカになる一方なんだけどね(笑)
わが家を振り返ると、奥さんも文系っぽい。
さて、うちのショーネンなんてのはどうなのかなぁ?
理系なのかな、文系なのかな?
まあ、理系だの文系だのって論議こそ、あんまり意味がないのかもしれません。
人間、括れるもんじゃないからね。
だからどっちでもいいけど、
今のうちにいろいろ頭を使って、磨いておいてもらいましょう。
この年になると、劣化が著しくて悲しくなることばかりですからねww