HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

「山」は今…の巻

2017-01-04 13:51:40 | 農業
仕事始め。

記念すべきw実質一発目は何かなあ~って考えた時、やはりこれだろう、と。



うちの伝家の宝刀であり最も新しい「中国山地」が、本になりました。

https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=308125&comment_sub_id=0&category_id=112

まあ、職場で書いてるわけでもないんだけどw


過去、「中国山地」(1966~67)、「新中国山地」(84~85)、「中国山地 明日へのシナリオ」(2002)と、長期連載があったわけ。

で、過疎という言葉が生まれて半世紀が経った今、「地方創生」なる言葉が一人歩きしている今、あらためて過疎という言葉が生まれた中国山地の山裾に立ってみようと思ったわけですな。


前職にあった昨年3月末まで、デスクとして関わらせてもらったミッション。

まあ、実質はただただにやにやして、いつものように「GO!」って言ってただけなんだけどねぇ。


それにしてもなかなかの労作。

「中国山地」シリーズってのはウチの金看板だけに、現場としてはプレッシャーもあったはず。

で、僕も実は「中国山地」は知らない場所じゃないのよ。

むかしむかし、2007年ごろに、取材版の一人としてムラを駆け回りました。

「ムラは問う」って長期連載ですね。

http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/fe95b462358b967be15f14971aae137d


「中国山地」って名乗ってないから、歴史あるシリーズものには加えてもらっていません。

だけど、そこは敢えて付けなかったって思いもちらほら。

世界の食糧事情と中国山地をリンクさせて考えるって構想だし、もっと本音を言えば「自由にやらせろよ」って感じだったような。

先達にうるせえこと言われたら、すぐに激高しそうだから(笑)




で、そんな「ムラ」も褒めてもらったことはあるのよぉ。

ほら!



農業ジャーナリスト賞とかってのをもらいました。

その時の選評がコレ。

井勇人副会長が「圧倒的な企画力と取材力で審査委員全員が最高ランクを付けた」と審査経過を説明。

この後の受賞祝賀会では、「この作品に出逢えた幸運に感謝したい」とかって、女優の浜美枝さん(農業に興味がおありだったらしい)。

人生でこれほど褒められたことはないなあって思いますたw


ただここからが俺様テイスト。

「行くぜ~」って銀座に繰り出し、その後も新橋に転戦。

いただいたトロフィーを容易になくしますね。

帰りの新幹線で気付き、「まあ、いいか~」って一度は思ったところがわれながら凄いなとw

上司Kさんにお店に取りに行ってもらったのも、今ではいい思い出です。ぷぷぷ。


いやいや、どうしてもネタに走っちゃうな、俺w

本論に戻ろう。


大先輩が必死に書いてきた「金看板」。それを敢えて名乗るのにはそれなりの覚悟も必要ですってお話だね。

で、はねのけるにはクオリティーを担保するしかないわけだけど、今回、それは十分果たせたと思います。

やはりこだわったのは「今」を描くことだったのでしょう。

簡単なようで、これは難しい。

頭の中の設計図は大切なんだけど、そこに寄せていくようになっては魅力が半減。

現場でいかに「今」に気付き、予定調和を超えていくか。

そして、「過疎50年」では、そこはよく描けたんじゃないかなあ。

カメラマンも含め、取材班はよくやりました。




例えば、今を描くうえで、不明を恥じたのは「林業」だね。

ちょっとかじってる俺は、林業をシリーズのひとつに加えるのに疑問を抱いていたわけ。

斜陽どころか絶滅危惧種の産業だから、「残酷物語」をになるだけだって。

ただ、話を聞いてると、新たな息吹も感じられるし、曙光も見える。

現場を歩かないとわからない、時代を映す話がそこにあるわけで、したりげな年寄りは引っ込んでろってことなわけです。



じじいの目を開かせてくれる仕事でもありましたよ。


そんな「山」であり「ムラ」。

10年前のメンバーは今も何かにかこつけ、集まってます。

気心が知れたダチ同士、思い出話やら近況やら。

年末もコレ。



かんぱーい!



悪漢として名高いこやつはハンガーを折りました。



でも、しらばっくれてます。



さらにはわが家でジャーキーをちらつかせ、いたいけなころっけをいたぶります。



ホント、悪そうな顔だよねww


まあ、瀬戸内海とともに、ずっと定点観測しなくちゃならないテーマなわけです。

次は誰がやってくれるのかな。

そのころはもう会社にいないだろうけど、ずっと応援してますよ。