大変な事態となっている。
東日本大震災。
今から、福島原発1号機の炉心溶融、
あるいは爆発について、発表があるところだ。
容易ならざる事態である。
阪神大震災の取材を続けた身としては、
息長い支援が望まれる、と感じます。
それぞれが何ができるか。
できることをずっと続ければいい。
例えば、三陸産の物産を買い続けるとかね。
何だかピントが外れてると思われる方もいらっしゃるかもしれないけど、
そう思うんだよね。
ただでさえ経済が疲弊している地域。
いろんなモノをそこから買うっていうのは、
間接的だけど、地域を勇気づけることになると思う。
傷ついた地域に、常に眼差しを送ることが大切なんでしょう。
(英紙 インディペンデントの1面)
政治家が「政治家」として、志をもってこの事態に対処してくれるのを願うばかりです。
いろんな批判が出てきました。
ただ、私は想うんです。
阪神大震災の際の対応に比べれば、ずいぶん迅速で効率的になったと思います。
政治もメディアも、市民の動きや支援も(心情的なものも含む)。
日本ってのはちゃんと学習できる集団なんだと、私は信じてるんです。
それにしても阪神大震災の取材は寒かった。
同じ寒さを今、何十万人の方々が感じてるわけですよね。 それも不安とともに…
少しでも力になれたらと思います。
中越地震被災地を取材した経験からも、被災した方々は、この悲惨な現実が、人々の記憶から消え去ることを一番恐れているといってもいいと思います。
もちろん物理的な支援は欠かせませんが、できることは限られています。被災した人たちに思いをはせ、それを伝えることは、何でもないことのようだけど、彼らにとっては「自分たちは見捨てられてはいない」と思えるだけで、力になるのです。
恐怖と緊張感が少し収まり、厳しい現実が突きつけられるこれからが、被災した方々にとって精神的にきつくなっていくと思います。少しでも前向きになれるように、一人一人が何かしら取り組んでいくことが大事だと思います。
おお、どーもどうも。
先日は楽しかったですな。
あのまま時間が止まればよかったんだけど(笑)
俺の半端な取材経験とは違い、
貴方はまさに修羅場くぐり。
その言葉は重いです。
地震から一年後に再び神戸を訪れ、
震災直後の知己と再会したとき、
復興の息吹とともに、深い喪失感を感じました。
「もう、頑張れへん」って言葉にね…
これからが長いんですよね。
うちからも昨日、取材陣が出発。
そろそろ現着するみたい。
16年前のわが身に重ね合わせながら見送ったのですが、
「とにかく無理はするな」っていう自分に実は驚いてます。
「よう言うわ」って。
自身のブログでは伏せておりますが、
たぶん、HAPPYMANさんと同業の
神戸の某社で現場奔走系のシゴトをしています。
今回の震災、いろいろ思うコトもあり、
日々バタバタやっておりますが、
あまりのコトに言葉をなくしています。
伝える立場なのに。
特にこれから先の長い道のりを思うと、
「がんばれ」って言葉が出てこない心境です。
我が家の愛犬と、静かに被災地を案じるばかりです。
初おじゃまなのに、
とりとめなくつぶやいてしまいました…とほ。
ほんとに言葉がありませんね。
「未曾有の」「壊滅」「消失」…
さまざまな「負」の言葉が氾濫しています。
それを被災者がどう受け止めているか。
考えてしまいます。
が、立ち止まるわけにはいかないのが、
私たちでもあります。
考え続けていきたいと思います。
で、同業の方なんですね。
でしょうか?
それならダチがたくさんいます(笑)
…ダチがいますか!
ワタクシの半径5メートル以内の人だったりして(笑)
ハーバーランドの会社だったら、まず人事部長がダチです(笑)
以下、たくさんいらっしゃいますよ。
うちは週末、取材陣が戻ってきました。
マジに心配でした。
年取ったのかな、俺…