割と物持ちのよいボク。
30年以上着ているコートとかジャンパーとか、いろいろあります。
で、ネクタイも割と残ってる。
とゆーか、そもそも本数だけはいっぱい持ってて、しかしながら着用しないわけ。
まあ、着けなくていいって仕事でもないけど、俺、面倒なの嫌いだから。
その辺はこんな感じ。
http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/3d510b2b83050dd1a9b09197beef4308
で、この日、ふと気付きました。
「このネクタイって、長く締めてるなあ」って。
これはねえ、1993年か94年に買ったのよ。
当時、バカだったので、このブランドに凝ってました。
何着もスーツを持ってたし、ネクタイもぎゃんぎゃん。
とっくにバブルも弾けてたのにねえ。
スーツは30万級だし、ネクタイだって3万弱だったような。
まあ、絶対に手が出ない額ではないけど、出さないよね、フツー。
一緒にゼニアに凝ってたのは、ダチのT造。
彼に限っては今も走ってるような気もするな。
で、なんで思い出したかとゆーとですね、それはいつものように反省がセットなわけですよ。
時は1994年10月下旬。
弊社が激しく関わった広島アジア大会が終わり、その打ち上げがあったわけですな。
ただ、アジア大会については、「お前は治安関係をやっとけ!」ってことでボクは蚊帳の外。
唯一やったのは、某国の選手団長が亡くなり、「変死か?」って捜査一課に走ったことぐらいでしょうか。
あとは、やってきた選手のうち少なからぬ人数が大会後に行方をくらまし、それを追いかけたことぐらいでしょうかw
でもね、この時って、俺のターニングポイントだったわけ、今思えば。
ずっと下についてやってきたパイセンが、アジア大会絡みで職場からいなくなっちゃった。
必然的に俺がやるしかなくなって、その秋、まあまあ大きなヤマが弾けたのさ。
当時、2年生?だったヒデちゃんを主任捜査官に雄々しくショーブ!
今思えば、「おいおい!」ってほど事件に突っ込んで、やっためたらに書き倒したわけですね。
この時の気付き。
「あっ、俺、自由に書いていいんだ」。
あるいは、「俺、もしかしたら大丈夫なのかな?」。
それは大きな分岐点でしたね。
その頃まで、コンプレックスってほどでもないけど、「自分はダメな感じだから」って気持ちが常にありました。
諦念とでもいうのかな~。
それは、進学校の中でどうしようもないバカとして過ごした6年間とかが影響してるんだろうと思う。
お勉強が物差しになってる学校にいると、バカはバカなりに傷つくわけ。
なら勉強しろよって話なんだけどね。
で、就職しても、叱られるのが仕事みたいなもの。
才気煥発な先輩や同期の姿を見ながら、ただただ「凄いなあ。眩しいなあ」って思ってたのでした。
そんな時にアジア大会があり、そんなヤマと出会い、生来の負けず嫌いに火が着いたって恰好かな。
時々言う、現役としてのボクの「三大仕事」のひとつであり、今の小生に通じるドアだったのかなと思いますね。
で、なかなかこれにたどり着かないな。
そうそう、そんな「分岐点」の打ち上げの際に着けてたのがこれなのよ。
なぜ覚えているかというとね。
後に某地方テレビ局の社長様になられる、当時のブチョーさん(推定50歳)の言葉が聞こえてきたわけ。
少し離れたところで、俺のネクタイの話題になってたみたいなのですね。
で、俺の方を指し、「HAPPYMAN君は素人じゃないからなあ」って。
それは揶揄するようなニュアンスじゃなくて、むしろよく頑張ってるって感じでした。
しかし、明らかに違いますね、その認識は。
俺、シロウトだよ。
それも内心に劣等感を抱えた、ただの30歳男子ですよw。
海千山千のブチョーさんにそう言わせるってのが、まずおかしいww。
外面だけは、偉そうにしてたんだろうなぁ。
で、ここから暗転。いつものように(笑)
当時、カチョーさん的立場だった大先輩(推定49歳)が調子に乗ってこの俺様に。
「おお、HAPPYMAN君、キミはアジア大会でなにかやってくれたかいなあ?」。
内心に劣等感を抱えた(シツコイw)僕ですが、ご案内の通り、易々と激高!
「はあ? あんた、何を言いよるん? 誰に言いよるんや!」
いや、今の僕なら、あの頃のキミにこう言ってあげたい。
「貴方に、大先輩が親しみを込めて語りかけてくれたんですよ」ってw
机を叩いて、部屋を出る小生(30歳10ヶ月)。
慰労の場は凍り付いたそうです。当たり前だよ。
しかし悲しいかな、行く当てもなく、戻るのは県警ですw
いやあ、このころから壊れてるよなあ。うふふ。
ただ、狂犬にも親しいダチやパイセンがおりまして、彼ら彼女たちからすぐに電話。
「どこにおる? みんなであいつ(カチョーさん)をやっつけてやったから、今から呑もう!」
思い出せば、皆さんに支えられらてきただけの人生ですな。
生意気が服を着て歩いていたような小生。
当時の「大」先輩方、ホントに申し訳ありませんでした。
で、思うのはね。
周りを見渡したとき、いろんな思いがあるわけです。
当時、「素人じゃないから」っておっしゃったブチョーさん。
まさか俺が劣等感を抱えて懊悩していたとは思われなかったことでしょう。
そう、すべてがわかるわけはないし、ほんのちょっとしか触れることは出来ない。
でも、理解しようという努力は必要だし、手を差し伸べようという姿勢が大切だよね。
もちろんブチョーさんを批判してるつもりはまったくないよ。
ただ、出来得れば、まさにターニングポイントにある奴に気付いてやれる人間でありたいよね。
難しいんだけどね~
そして今、いろいろと悩んでる若人がいたとしたら、「ダイジョーブ!」って伝えてあげたい。
目の前のことにまっすぐに取り組み、マジメにやってたら、きっと道は拓ける。
まるで捻りのないベタな話だけど、俺たちの仕事はそんなものだから。
なぞなぞ、当時乱暴を働いた自分、そして味方になろうとしてくれた周囲について、このネクタイは思い出させてくれたのですな。
そんなこんなの今夜は、最後の忘年会。
バカがいろいろとしでかす度に、変わらずいじってくれるダチとの夜でございます。
安心してください。
かつてのマッドドッグは更正しつつあります。
狂犬から不沈艦へ。
これまたターニングポイントな今日この頃ですね。うふふ。
30年以上着ているコートとかジャンパーとか、いろいろあります。
で、ネクタイも割と残ってる。
とゆーか、そもそも本数だけはいっぱい持ってて、しかしながら着用しないわけ。
まあ、着けなくていいって仕事でもないけど、俺、面倒なの嫌いだから。
その辺はこんな感じ。
http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/3d510b2b83050dd1a9b09197beef4308
で、この日、ふと気付きました。
「このネクタイって、長く締めてるなあ」って。
これはねえ、1993年か94年に買ったのよ。
当時、バカだったので、このブランドに凝ってました。
何着もスーツを持ってたし、ネクタイもぎゃんぎゃん。
とっくにバブルも弾けてたのにねえ。
スーツは30万級だし、ネクタイだって3万弱だったような。
まあ、絶対に手が出ない額ではないけど、出さないよね、フツー。
一緒にゼニアに凝ってたのは、ダチのT造。
彼に限っては今も走ってるような気もするな。
で、なんで思い出したかとゆーとですね、それはいつものように反省がセットなわけですよ。
時は1994年10月下旬。
弊社が激しく関わった広島アジア大会が終わり、その打ち上げがあったわけですな。
ただ、アジア大会については、「お前は治安関係をやっとけ!」ってことでボクは蚊帳の外。
唯一やったのは、某国の選手団長が亡くなり、「変死か?」って捜査一課に走ったことぐらいでしょうか。
あとは、やってきた選手のうち少なからぬ人数が大会後に行方をくらまし、それを追いかけたことぐらいでしょうかw
でもね、この時って、俺のターニングポイントだったわけ、今思えば。
ずっと下についてやってきたパイセンが、アジア大会絡みで職場からいなくなっちゃった。
必然的に俺がやるしかなくなって、その秋、まあまあ大きなヤマが弾けたのさ。
当時、2年生?だったヒデちゃんを主任捜査官に雄々しくショーブ!
今思えば、「おいおい!」ってほど事件に突っ込んで、やっためたらに書き倒したわけですね。
この時の気付き。
「あっ、俺、自由に書いていいんだ」。
あるいは、「俺、もしかしたら大丈夫なのかな?」。
それは大きな分岐点でしたね。
その頃まで、コンプレックスってほどでもないけど、「自分はダメな感じだから」って気持ちが常にありました。
諦念とでもいうのかな~。
それは、進学校の中でどうしようもないバカとして過ごした6年間とかが影響してるんだろうと思う。
お勉強が物差しになってる学校にいると、バカはバカなりに傷つくわけ。
なら勉強しろよって話なんだけどね。
で、就職しても、叱られるのが仕事みたいなもの。
才気煥発な先輩や同期の姿を見ながら、ただただ「凄いなあ。眩しいなあ」って思ってたのでした。
そんな時にアジア大会があり、そんなヤマと出会い、生来の負けず嫌いに火が着いたって恰好かな。
時々言う、現役としてのボクの「三大仕事」のひとつであり、今の小生に通じるドアだったのかなと思いますね。
で、なかなかこれにたどり着かないな。
そうそう、そんな「分岐点」の打ち上げの際に着けてたのがこれなのよ。
なぜ覚えているかというとね。
後に某地方テレビ局の社長様になられる、当時のブチョーさん(推定50歳)の言葉が聞こえてきたわけ。
少し離れたところで、俺のネクタイの話題になってたみたいなのですね。
で、俺の方を指し、「HAPPYMAN君は素人じゃないからなあ」って。
それは揶揄するようなニュアンスじゃなくて、むしろよく頑張ってるって感じでした。
しかし、明らかに違いますね、その認識は。
俺、シロウトだよ。
それも内心に劣等感を抱えた、ただの30歳男子ですよw。
海千山千のブチョーさんにそう言わせるってのが、まずおかしいww。
外面だけは、偉そうにしてたんだろうなぁ。
で、ここから暗転。いつものように(笑)
当時、カチョーさん的立場だった大先輩(推定49歳)が調子に乗ってこの俺様に。
「おお、HAPPYMAN君、キミはアジア大会でなにかやってくれたかいなあ?」。
内心に劣等感を抱えた(シツコイw)僕ですが、ご案内の通り、易々と激高!
「はあ? あんた、何を言いよるん? 誰に言いよるんや!」
いや、今の僕なら、あの頃のキミにこう言ってあげたい。
「貴方に、大先輩が親しみを込めて語りかけてくれたんですよ」ってw
机を叩いて、部屋を出る小生(30歳10ヶ月)。
慰労の場は凍り付いたそうです。当たり前だよ。
しかし悲しいかな、行く当てもなく、戻るのは県警ですw
いやあ、このころから壊れてるよなあ。うふふ。
ただ、狂犬にも親しいダチやパイセンがおりまして、彼ら彼女たちからすぐに電話。
「どこにおる? みんなであいつ(カチョーさん)をやっつけてやったから、今から呑もう!」
思い出せば、皆さんに支えられらてきただけの人生ですな。
生意気が服を着て歩いていたような小生。
当時の「大」先輩方、ホントに申し訳ありませんでした。
で、思うのはね。
周りを見渡したとき、いろんな思いがあるわけです。
当時、「素人じゃないから」っておっしゃったブチョーさん。
まさか俺が劣等感を抱えて懊悩していたとは思われなかったことでしょう。
そう、すべてがわかるわけはないし、ほんのちょっとしか触れることは出来ない。
でも、理解しようという努力は必要だし、手を差し伸べようという姿勢が大切だよね。
もちろんブチョーさんを批判してるつもりはまったくないよ。
ただ、出来得れば、まさにターニングポイントにある奴に気付いてやれる人間でありたいよね。
難しいんだけどね~
そして今、いろいろと悩んでる若人がいたとしたら、「ダイジョーブ!」って伝えてあげたい。
目の前のことにまっすぐに取り組み、マジメにやってたら、きっと道は拓ける。
まるで捻りのないベタな話だけど、俺たちの仕事はそんなものだから。
なぞなぞ、当時乱暴を働いた自分、そして味方になろうとしてくれた周囲について、このネクタイは思い出させてくれたのですな。
そんなこんなの今夜は、最後の忘年会。
バカがいろいろとしでかす度に、変わらずいじってくれるダチとの夜でございます。
安心してください。
かつてのマッドドッグは更正しつつあります。
狂犬から不沈艦へ。
これまたターニングポイントな今日この頃ですね。うふふ。
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