迷える羊のメモ帳

こんな言葉 あんな花に癒されて生きる

メモ帳173ページ目 メル友Janさんが逝く    

2011-12-26 10:53:38 | 日記
クリスマス寒波の居座りで、日差しはあるが風が冷たく寒い。
公休は今日が最後、大晦日まで仕事に出かける事になっている。

朝から、状差しの整理をする、1年間に頂いた手紙、ハガキ類を読み
返しながら賀状を書く準備に取り掛かる。

5日前に、X'masカードに簡単な近況報告を書いたばかりなので、改め
て年賀状となると手が付けにくい。
何のことは無い・・X'mas カードを選ぶ時に、Merry X'mas & Happy
new year. と書かれたものを選べば済む気がするが、やはり新年への
夢、抱負についても書きたいと考えているのでのびのびになり今日が
タイムリミットである。

今年は喪中ハガキを2枚受け取った。昔、仕事を教えてくれた大先輩
が旅立たれた。友人からの連絡もあり、後日、連れ立ってお仏壇で手
を合わせて故人を偲びご冥福をお祈りした。

もう1枚はメル友のJanさんが逝ってしまった。12/2 80歳で永眠された。

Janさんとの出会いは、リニュアル前の2001年、11/11 シニアナビ、
第2回オフィシャルOff会での隣席が縁だった。若い頃から病弱だった
との事で、クラシックを聴き、絵を書き、沢山の短歌を詠んだ人でした。
知り合った当時は、メールにバッハのサウンドをつけて送ってくれる
お洒落な人でもあった。

Janさんは、敗戦後の焼け跡で平和憲法は日本人の希望であったが、
半世紀を経て護憲派は「小数派」となったとしみじみ語っていた。
Janさんと私は年齢差が10歳あるが、経験者の言葉の重さを感じていた。

2004 10/1 歌集「少数派」を出版された時に、自筆サイン入りの一冊を
頂いた。青春時代から作り続けた少数派の視点からの風景を短歌で表現
されている。
週3回の透析治療を受けながら病と闘ってこられたので、この10年間にお
会いしたのは、6回きりであった。もっともっと話を聞きたかったのに
その願いは叶わない・・寂しい

歌集の一篇に、「透析を始めし二十年前はドラマ「おしん」の始まりし頃」
2002年に詠んでいる。
如何に長きにわたる闘病生活を余儀なくされていたかを思うと心が痛くなる
入退院を繰り返すたびに、私の書くお見舞いを兼ねた季節の挨拶状が嬉し
かったよと云ってくれたこともある。

Janさんと最後にお話したのは、去年の7/4 リニュアル後のオフィシャル
オフ会でまた隣席した。脚が弱ったので、これが最後のオフ会になるかも
と寂しそうに笑った顔が浮かぶ・・Janさん、ありがとう苦痛のない天国で
安らかにお眠りください、そしてお土産話を持って、私が会いに逝くその日
まで さようなら
コメント
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